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明治期に撮影された富士山の写真を鑑賞しよう

 これまで、NDLイメージバンク*から、川瀬巴水の風景版画を紹介してきましたが、川瀬巴水の富士山の版画を探索している過程で、K. Tamamura, photographerの『Famous scenes in Japan』における富士山の写真に出会いましたので紹介します。

*NDLイメージバンク:国立国会図書館の電子展示会です。国立国会図書館の蔵書から、浮世絵、図書、雑誌などの様々なメディアに掲載された選りすぐりのイメージを提供しています。画像はすべて著作権保護期間を満了しています。

作品名:MT. FUJI FROM HAKONE LAKE
作品名:MT. FUJI FROM TAGONOURA

【捕捉説明】
 国立国会図書館デジタルコレクションにおけるK. Tamamura, photographer『Famous scenes in Japan』の書誌情報の詳細をみると、著者標目が玉村康三郎されいたところ。彼についてもっと知りたくなり、インターネットで探索したところ、長崎大学附属図書館 幕末・明治期 日本古写真データベースにヒットしました。同データベースから次のことが分かりました。ただ、調べれば調べるほど、探求心が増して筆者の低性能な脳内がショートしそうなほどしびれを覚え、それはそれで快感を覚えました。いずれにしても、国立国会図書館デジタルコレクションや日本古写真データベースで幕末・明治期の貴重な写真をオンラインで閲覧できることに感謝です。
・前掲のMT. FUJI FROM HAKONE LAKEに類似する写真(構図は似ているが小舟なし)が、当該データベースに1点(目録番号4147)あり、玉村康三郎アルバム(4)に所収され、撮影者は玉村康三郎とされている
・前掲のMT. FUJI FROM TAGONOURAに類似する写真が、当該データベースに2点(目録番号22472278)あり、玉村康三郎アルバム(2)に所収され、撮影者は水野半兵衛とされ、「写真販売を玉村が行ったものか」とされている

【玉村康三郎(1856-?)のプロフィール】
 明治時代の写真家。東京生まれ。浅草で写真館を開業していた金丸源三に写真を学び、その後、横浜で開業し、主として日本の景色、風俗の写真書を作成。前掲の『Famous scenes in Japan』は、外国人向けに作成。
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[参考資料]『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』、『産業技術記念館 館報 赤れんが vol.54』(いわゆる「横浜写真」についての分かりやすい解説あり)、『写真新報』(1930-40(8))所収の「浅沼藤吉翁奮闘物語」(国立国会図書館デジタルコレクション(送信サービス)で閲覧可能)

【余談】
 今回の調べものの過程で、日本写真界の開祖とも言われる上野彦馬(1838 - 1904)(長崎(銀屋町)生まれ)の存在を知りました。彼は、文久 2 年(1862)、幕末の長崎において撮影局を開き、坂本龍馬、高杉晋作など多くの志士たちを撮影したとされています。日本における写真発祥の地は諸説あるようですが、長崎は写真に所縁のある地の一つです。ちなみに、上野彦馬の父は、長崎奉行所の御用時計師の上野俊之丞(1790-1851)です。彼は、時計のほか種々の細工物を製作も行っていたようです。
 天保 14 年(1843)に初めてダゲレオタイプカメラ(銀板写真)が渡来し、その時はそのまま差し返したが、再び嘉永元年(1848年)に渡来し、ダゲレオタイプのカメラを俊之丞がスケッチしたとされています(いずれの渡来時に描かれたかは不明)。金丸重嶺は、薩藩 の御用商人で あった上野俊之丞は、嘉永元年(1848年)、ダゲレオ タイプを輸入 し,江 戸 にい る島津斉彬公の もとに届けたのではないかと推測しています。
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[参考資料] 国立国会図書館 近代日本人の肖像>上野彦馬、長崎学 Web 学会「上野俊之丞のこと(その1)」、金丸重嶺「日本写真渡来考』、長崎県教育委員会『郷土の先覚者たち : 長崎県人物伝』(上野彦馬郷土の先覚者たち-年表-)  *送信サービスで閲覧可能
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 数年前、筆者は、日本の近代統計学の先駆者である杉亨二(すぎ こうじ)(1828-1917)の功績について調べたことがあり、杉亨二が年少の頃、長崎(銀屋町)で公儀の時計方をつとめていた上野俊之丞に奉公していたことは承知していたところ。今回の調べものの過程で杉亨二の奉公先の主は、前掲の上野彦馬の父である可能性が・・・(あくまでも予想のレベル)。
[参考資料] 国立国会図書館 近代日本人の肖像>杉亨二、『杉亨ニ自叙伝』、杉亨ニ『我新文明の曙光』「(日本と和蘭」所収)、長崎県教育委員会『郷土の先覚者たち : 長崎県人物伝』(杉亨ニ) *送信サービスで閲覧可能

【追記】2025.1.13
 前述のとおり、杉亨二の奉公先の主である上野俊之丞は、その職業等から前掲の上野彦馬の父である可能性があるとしました。予想のレベルにとどまっていた理由としては、杉亨二の自叙伝等彼の功績についての文献に上野俊之丞の氏名は登場していましたが、逆に、日本における写真技術の導入に関わった上野俊之丞を紹介する文献において、杉亨ニの氏名が登場していることの確認はできていませんでした。本記事を公開後、引き続き探索したところ、日本写真興業通信社 編『写真の今昔』所収の松尾樹明「黎明期の人々」*において、「・・・俊之丞の下に杉亨ニと云ふ奉公人があつた。・・・日本において初めて統計学を創始し法律博士となつた人である。」との記述を確認することができました。(単なる予想のレベルから点と点が線で繋がっている手がかりをゲットできたレベル)。
*『写真の今昔』所収の松尾樹明「黎明期の人々」(送信サービスで閲覧可能)


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