古典擅釈(30) 至孝天に通ず『雲萍雑志』①
『雲萍雑志』は江戸後期の作者未詳(柳沢淇園?)の随筆です。
その中から、“封建道徳に基づく古びた教訓話” を一つ、ご紹介します。
丹波の国と丹後の国の境に、毘沙門山と呼ばれる山があります。
その麓の村にたいそう貧しい農家がありした。
家には二人の娘がいて、姉は先妻の子で十七歳、妹は十歳です。
父は七年前に亡くなりましたが、二人の娘は母によく孝を尽くしていました。
姉は山野に入って薪を採り、あるいは人に雇われてわずかな金銭を手に入れ、それもかなわぬときは、人に食べ物を乞い求めて母を養いました。
妹は日々に果物を担って市に商い、食の乏しいときは、その品を売らずに母に贈りました。
けれども、幼い二人の働きでは満足にその日を凌いでいくことができません。
ある時、姉は妹を密かに呼び寄せ、次のように言いました。
「母様に不自由をさせまいと二人して懸命に働いてきたが、ぎりぎりの衣食でさえ思うに任せない。
聞けば、都には人商人がいるとか。
私はこの身を売って、その金銭で母様を養いたいと思う。
お前はまだ幼いが、どうかこれからも母様を大切にしておくれ」
涙を流しつつ語る姉の話に、妹もむせび泣き、返事をすることもできないのでした。
その日より、夜ごとに妹の姿が見えなくなりました。
姉が母に尋ねると、母は「心願があるといって、お山の毘沙門堂に詣でているのです」と言います。
ある晩、雨のひどく降ることがありました。
姉は心配して、妹を止めようとします。
「今宵は雨が降って道も暗く、小坂の険しいところで怪我でもしたなら、かえって母様が悲しみます。
明朝、空が晴れたなら詣でなさい。
今夜はともかく、行くのはおよし」
けれども、妹の決意は変わりません。
「今日は七日の満願の夜。
母様のこと、姉様のことを毘沙門様にお祈りしながら、なんで私の方が日を欠いて、毘沙門様を欺くことができましょう。
どうか許してください。
母様には決して言わないで」
こうして妹は深夜、大雨を冒して、一里余りも離れた峠の堂に向かうのでした。
〈続く〉