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漢詩自作自解⑯「贈許開夢」前編
10年ほど前、定年を数年後に控えていた私は、退職後をどのように生きるか、考えていました。
長年、狭い世界で働いてきたうえに、海外にも一度も出たことがなかったのです。
何か新しいことを始めたい、どこか新しい世界で生きてみたい、と漠然と感じていたのですが、どうすればいいのか全く分かりませんでした。
あれこれ考えるだけでは埒が明かないので、何でもいいから何かを始めることにしました。
それで、若い頃、少しかじった中国語を勉強し直すことにし、中国語の学校に通うことにしました。
週に一回90分、グループで勉強するだけの講座ですが、ちょっと真面目に勉強しました。
中国語検定問題集を解いたり、中国のドラマを視聴したり、そのドラマの台詞を全部書き写したり、通勤の車の中で文法教材のCDを流してシャドーイングしてみたり……、自分なりにいろいろやってみました。
そんなある時、中国人の先生から、「武漢にある湖北大学が日本語の先生を募集しているが、行ってみないか」と誘われました。
その先生の友人が湖北大学の日本語の教授で、その方が先生に「誰か日本語を教えることのできる人を紹介してほしい」と頼んできたそうで、それで私に声をかけてくれたようです。
私にとって幸運だったのは、日本語教師の資格がなくてもよかったことと、就労目的での中国渡航が簡単であった最後の年であったことです。
とにかく、私は退職した年の9月から湖北大学で勤務することになりました。
実はその時、もう一つ別のところから声をかけていただきました。
山東省済南にIT産業が集まる町があり、日本の企業も多く進出していました。
そこで中国人社員を対象に日本語を教えてほしい、というものです。
町の写真を見ると、現代的なオシャレなビルが立ち並んでいるようなところです。
ちょっと心を動かされましたが、やはり大学で教えることにしました。
何か見通しがあって中国語を勉強し始めたわけではありませんが、やはり何でもいいから一歩を踏み出してみるものですね。
思いもしなかったところから、道が開けました。
もしあの時に一歩を踏み出していなかったら、私は今でも日本の片隅で毎日をかこちながら生きていたかもしれません。
退職後、赴任するまで数カ月の自由時間がありましたので、私は中国語と日本語教育の勉強を進めました。
台湾の澎湖島に廉価で中国語を教えてくれるところがあることを知り、そこで勉強することにしました。
実はその前年に、初めての海外旅行として台湾を訪れていたのです。
観光旅行ではありますが、自分の中国語がどれだけ通じるか試したかったので、独力で台北を中心とした旅行を計画しました。
航空券の手配も宿の予約も、ネットを通して全部自分一人でやりました。
旅慣れた方には簡単なことかもしれませんが、初海外旅行を一人でやり遂げたことはかなり自信になりました。
お陰で、ネットではホテルの宿泊費〇%値引きとか宣伝していても、実際は少しも値引きされていないことがわかりました(ホテルに宿泊費が掲示されていて、その金額がネットで見た金額と全く同じでした)。
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四泊五日のウォーミングアップをしてから澎湖島に行き、一カ月間、中国語学校に通いました。
授業は月曜日から金曜日までの一日90分、マンツーマンで教えてもらいました。
この時、語学はやはりマンツーマンで教えてもらうのが一番だと感じました。
日本で通っていた学校は、先生はとてもよかったのですが、学生はやはり高齢の方が多かったです。
初めは中級講座を受講していたのですが、授業中にたびたび世間話が始まります。
それも中国語でやってくれればまだいいのですが、延々と日本語でおしゃべりをするおばあさんがいたりします。
たまりかねて別の講座に移ったのですが、上級コースであったにもかかわらず、なぜかほとんど中国語のできないお年寄りがいて、その人がまた経験年数だけは長いものだから、授業を取り仕切ろうとします。
私が下手な中国語でたくさん話したりすると、なぜかその方に目の敵のように扱われました。
マンツーマンの授業では先生を独り占めできます。
教科書は、あってなきが如し、です。
日本語ができない先生について教えてもらったのもよかったと思います。
初めて、次々に中国語が口をついて出る経験をしました。
澎湖島という場所も最高でした。
土曜日と日曜日に、島のあちらこちらへ出かけました。
バスで行けないところには、自転車で行きました。
そんなに大きい島ではありませんので、日帰りで大体のところへは行くことができます。
一カ月の間に澎湖島の隅々まで回ることができました。
ある公園に行った時、そこは南国の花に覆われた、広くて静かな公園だったのですが、あぁ極楽というのはこういう世界のことをいうのだろうな、と感じたほどです。
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私は海沿いを自転車で走るのが好きです。
ある時、軍事施設の横を通ることがありました。
近くに民家もありますし、特に気にすることもなく、海岸を目指しました。
ところが、途中で民家はなくなりました。
そして、これより軍事警戒地域である旨の看板が立っていました。
ただ、行ってはいけないとは書いてありませんし、通行止めしているわけでもありません。
散々迷った挙句、引き返しました。
その途中、軍のジープとすれ違いましたが、たぶん私のことを警戒したのでしょう。
軍の方には迷惑をかけてしまいました。
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澎湖島では、人生上の収穫とも言える、もう一つの大きな経験ができました。
それは、今までにほとんど出会えなかったような日本人と出会えたことです。
私を除く彼らは、海外旅行の達人ばかりでした。
20代半ばの青年がいましたが、もう世界70か国ほどを巡ったそうです。
彼からいろいろ教えてもらうことができました。
中南米の国を遍歴したそうですが、どうやって危険を回避したのか。
お金をそんなに使わずに、どうやって海外旅行するか。
年金だけで長期間ヨーロッパ旅行を続けている夫婦や、アメリカをバスで旅行している90歳のお爺さんの話も聞きました。
組織や共同体に縛られてきた私の目を開かせてくれる青年でした。
一か月の澎湖島暮らしの費用ですが、旅費や学費を含めて20万円を超えませんでした。
びっくりするほどの安さです。
学校の寮に入ったのですが、個室一日1000円でしたから、宿泊費は3万円ほどに収まりました。
マンツーマンの授業料が、一回(90分)1400円くらいだったと思います。
20数回の授業で3万円余り。
ともかく、学校には教材費などを含め、7万円強しか払った覚えはありません。
日本―台北―澎湖島を往復しましたが、その飛行機代をはじめとする交通費がいくらぐらいだったか、正確な金額は忘れてしまいましたが、これも7万円ぐらいでした。
あとは生活費と娯楽費、それからお土産代。
夜にはお酒も楽しんでいましたから、何かをガマンしたという覚えはありません。
寮の部屋は狭く、ベッドと映りの悪いテレビ、他には机・椅子とハンガーぐらいしかありませんでした。
炊事場、トイレ・シャワーなどは当然共同で使用しましたが、私は全く気にならなかったです。
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日本に帰ってきた時、税関の若い職員が私に声をかけてきました。
何かと思ったら、「一か月も台湾にいた割には荷物が少ない」というのです。
確かにお土産をたくさん買ったら大きなスーツケースが複数必要になるでしょうね。
私は家族のために少しのお土産を買って帰っただけです。
〈続く〉