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古典擅釈(25) 共感するということ『徒然草』②

 資朝は、王政復古を目指す理想家でした。
 しかし、それ以上に王政復古を目指す活動家でした。
 空虚な権威を嘲笑し、権力に屈服せぬ強さを賞賛しました。
 「あなうらやまし。世にあらん思ひ出、かくこそあらまほしけれ」という言葉には、理想を実現しようとする若き資朝の強烈な意志が感じられます。

 彼にとっては、理想というものはそういうものであったのでしょう。
 身を捨ててでも目指すからこそ、理想というに値するものだ。
 我が身のために理想を捨て去るような人間にどうして理想を語る資格があろう……。

 もちろん、資朝は欠点の多い人間でした。
 障害者に対する差別意識もその一つでしょう。
 ただ、資朝のために一言弁護するならば、資朝の意識は当時ではまだましな方だと言えます。
 「愛する値打ちがある」という彼の言葉に、露骨な差別意識はありません。

 資朝の理想にしても、欠陥の多いものであったに違いありません。
 それは、彼の理想の現実化した建武の新政権がすぐさま堕落し、崩壊していったさまを見てもわかります。
 しかし、そのような欠点や欠陥がありつつもなお、私は資朝に「清らかさ」を認めたいと思います。
 資朝の若さ、資朝の率直さ、資朝の真面目さ、資朝の意志の強さ、資朝のひたむきさ、資朝の反骨精神、資朝の無私の精神、……恐らくこのような資朝の資質が私に共感を覚えさせるのでしょう。


 共感とは何でしょうか。
 それは、他者の心を自己の心とすることであり、他者の考えを自己の考えとすることではありません。
 つまり、共感とは思想的営為であるというより、実践的営為です。
 私たちは論理的に共感するのではなく、人格を通して共感します。

 そして、そこに共感の危うさもあります。
 共感は私たちの理性をゆがめ、自分たちの無力や無能を正当化し、創造性や問題解決能力を阻害することがあります。
 典型的なのは、政治的共感や宗教的共感でしょう。
 非理性的なナチズムや十字軍遠征などがあれだけの力を得たのは、人々の共感を利用したからです。
 泰西の話に限りません。
 日本のリベラルや保守を自称する活動家たちが、その理念に対する人々の共感を利用して、およそリベラルや保守の理念とは真逆のことを行っているありさまを見ても、共感の危うい一面が見て取れます。


 そのことを承知しつつも、それでも私は共感の力を肯定したいと思っています。
 なぜなら、共感のなくなった世界の恐ろしさに、私を含めた(たぶん)ほとんどの人は耐えられないだろうと思うからです。
 共感を拒絶した相互理解は、論理の世界です。
 論理を窮めれば他者との一致は難しくなるだろうし、他者の誤りが見えればそれを見逃すわけにはいきません。
 そもそも、論理を窮めるなんてことが、普通の人にできるとも思えません。
 それは、鋭くはありますが、同時に冷たくもあります。
 明晰ではありますが、厳しくもあります。
 その冷たさや厳しさが日常を支配していたなら、たぶん私は耐えられない。

 資朝は実践者です。
 実践者は、現実のままならぬことをよく承知しています。
 実践には、何らかの犠牲が伴います。
 実践者は苦悩し、選択し、行動します。

 よき批評家、兼好には資朝に対する共感があります。
 そう書いているわけではありませんが、その筆致から明らかです。

 『太平記』には、兼好が高師直のラブレターの代筆をしたという話が残っています。
 兼好は、当時優れた歌人、有職家、能書家としても有名でした。
 高氏は足利家の家臣筆頭の家柄であり、尊氏は幕府を開くと師直を執事に任じました。
 隠者兼好は、大権力者と交際があったわけです。
 さて、師直執心の女性ですが、使者から手紙を受け取ると開きもせず、そのまま庭に捨ててしまいました。
 使者は、人目にかけてはなるまいと手紙を拾って懐に入れると、帰参してありのままを師直に報告しました。
 師直はたいへん不機嫌になって、「いやはや、何の役にも立たぬものとはもの書きのことだ。今日より後、その兼好とやらをわが家に入れてはならぬ」と怒ったそうです。

 鎌倉幕府の権力をものともしなかった資朝と、足利幕府の権力者にすり寄らざるを得なかった兼好。
 自分にはないものを持つ資朝への羨望と共感の気持ちを込めて、兼好は三つの逸話をしたためたのでしょう。
                              〈了〉

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