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漢詩自作自解⑩「仲春」

 張冬晢君ですが、念願の大学院博士課程に無事合格し、北京で研究生活を送っていました。
 北京からよく連絡をくれたのですが、特に寒い時期の大気汚染はひどく、私の想像を超えていました。
 次の写真は2021年3月15日と16日に、張君が大学内で撮った写真です。

内蒙古から飛来した黄砂のためだとも言いますが、実際は工場の煤煙や車の排気ガスにも原因があると思われます。
翌日の空。北京で何か大切な行事がある日には、空がきれいになるとか。

 ところで張君ですが、修士時代に指導教授と共著者となり、二冊の専門書を出版するほどの秀才でした。
 ただ、斯界で学者として独り立ちするためには、論文を書き続けねばなりません。
 それにはいろいろな苦労もあったようです。
 ある時、メールにこんなことを書いてきました。

――最近、ちょっと悩ましいことがあってね。
 ちょっとあなたの考えを聞かせてほしい。
 半年前にその分野で一流の雑誌に自分の論文を投稿してみたんだよ。
 その雑誌の編集部は私に、三ヶ月連絡がなかったら、論文は自分の好きに処理してよい(他の雑誌に掲載してもらってもよい)と言ったんだ。
 僕は三ヶ月待ったけど、結局何の連絡もなかった。
 それで、自分の論文を別の雑誌、まぁセカンドクラスの雑誌になるんだけど、そこに投稿したら、すぐに採用するって連絡をくれた。
 それで僕も喜んで「お願いします」って答えたんだよ。
 ところが、一昨日になって、最初の雑誌から僕の論文を掲載してもいいって連絡が来た。
 「もう半年もたったのに、今頃になって…」と僕は驚いたんだけど、正直言うと、悩んでしまった。
 その雑誌に論文が載るというのは、めったにないチャンスなんだよ。
 実は、僕はその時まだ二番目の雑誌への掲載を断ることができたんだ。
 でも、最終的に最初の雑誌に断りの返事を送った。
 ……正直に言うと、今でもその決断が正しかったのかどうか、自分でもよくわからない。
 なぜなら、最初の雑誌に自分の論文が掲載されたなら、間違いなく将来の研究ポスト探しに有益だからね。
 僕は道徳を守ったけど、その代償はものすごく大きかったんじゃないかって……。――

 私はすぐさま次のような返事を送りました。

――君の気持ちはわかった。
 でも、その選択は正しかったんじゃない?
 雑誌編集部は君に「三ヶ月連絡がなかったら、論文は自分の好きにしていい」って言った。
 それで、君はその約束の通りにした。
 そのどこに間違いがある?
 それに君は二番目の雑誌編集部とちゃんと約束し、それを守った。
 これって、荀子が言った「義を先にし利を後にする」振舞じゃないか。
 どこに悩むところがあるの。
 君は自分の選択を誇りに思っていいと思うよ。
 ……僕は部外者だから、僕の意見は全くの的外れかもしれないね。
 でも、問題は君から発生したんじゃない。
 君に関わりのないところから生まれた問題だから、君があれこれ考えても仕方がないよ。
 僕はそう思うよ。――

 日本でも一流大学の博士課程修了後の進路が大きな問題になっています。
 非常に優秀な研究結果を挙げながら、就職先が見つからないというのは、その人個人に限らず、国家的損失でしょう。
 シニアポスドクの問題は大変深刻です。
 その現実を知っている人からすれば、張君の選択は失敗であり、私の意見は「綺麗事」、単なる「慰め」に過ぎないのかもしれません。
 「恥を忍んで、今からでも一流誌に掲載してもらえるように動きなさい」と言うべきだったのかもしれません。

 ただ、私は彼の人柄を知っているので、仮に私がそう忠告したとしても、彼はおそらく自分の選択を変えなかったと思います。
 彼も自分は正しい選択をしたと思っていたことでしょう。
 ただ自分の判断だけでは不安だから、年長者の意見も聞いてみたかっただけでしょう。

 偉そうなことを言った私にしても、「他人」の問題だから一刀両断にできただけです。
 私が張君と同じ問題を抱えていたなら、彼以上にうじうじ悩んでいたかもしれません。
 他人事だから簡単に意見が言えます。
 同じ問題が自分に降りかかれば、とたんにどうしていいのかわからなくなる。
 だからこそ、軽々しく人に意見してはならないのでしょう。
 私の経験則ですが、人に自信満々に忠告する人は往々にして無神経な人でした。
 今回の場合、張君はすでに決断してしまったから、私の役目は彼に安心を与えることだったと言えます(おそらく)。


 大学のキャンパスの写真も何枚か送ってきてくれました。
 青い空と、テニスする学生たちの姿が写った写真でした(残念なことに、その写真は古いスマホとともになくなってしまいました)。
 私は一首を添えて彼に返信しました。


 仲春

蒼穹白雲浮
 蒼穹そうきゅう 白雲はくうん かぶ
校園青春熾
 校園こうえん 青春青春 さかんなり
書生勤学問
 書生しょせい 学問がくもんつとめる
何日不得志
 いずれのか こころざしざらん

〈口語訳〉
 仲春
真っ青な空に白い雲が浮かんでいる。
キャンパスのあちらこちらで若人たちが楽しそうにしている。
学生たちは研究生活にいそしんでいるが、
きっといつかその努力が報われて、志を遂げる日が来ることだろう。

〈語釈〉
〇蒼穹…青空。「蒼」は青い、「穹」はドーム型の天井の意。
〇校園…大学のキャンパス。
〇書生…学問をする若者。
〇勤…心力を尽くす。
〇何日不~…反語。いつの日にか~しないことがあろうか。いつかきっと~する。

〈押韻〉
熾・志
去声 七志


 張君は今、とある研究所に職を得て、研究を続けています。

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