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謎解き『山月記』(中島敦)③ 語りも李徴の妄想である

5 袁傪は李徴の分身である


 さて、前回確認したように、袁傪には奇妙な点をいくつも見いだすことができます。
 これはなぜでしょうか。

 ここで、李徴と袁傪を比較してみましょう。
 両者は同年に進士の第に登り、最も親しい友になったのですから、年齢も近かったと思われます。
 李徴は「性狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとし」ませんでした。
 袁傪は性格が温和で、「峻峭な李徴の性情と衝突し」ませんでした。
 李徴は腐敗と訣別し、袁傪は腐敗に順応しました。
 そして李徴は失敗し、袁傪は成功しました。

 李徴から見た袁傪は、どんな人物であったでしょうか。
 袁傪はきっと俗悪な大官や下吏たちの間で如才なく立ち回ったから、順調に出世できたのでしょう。
 袁傪も李徴と同じく博学才穎の俊才であったのでしょうが、彼は内心では歯牙にもかけないような鈍物の下命も恭しく拝してきたことでしょう。
 このことが往年の親友李徴の自尊心をいかに動揺させたかは想像に難くありません。
 李徴は若くして進士に登第し、江南尉を賤吏と見なすほどですから、将来は三公の位も視野に入れていたと思われます。
 昇進のありさまだけを見れば、李徴にとって袁傪の姿は自分の理想像であるわけです。
 ただ李徴は、袁傪のような要領のよさや抜け目のなさを備えていませんでした。
 はっきり言えば、自分が腐敗に染まることも、他人の腐敗に手を貸すこともできませんでした。
 李徴が袁傪に賞賛や羨望と共に、嫉妬や憎悪を感じていたとしても当然ではないでしょうか。
 つまり、あり得た理想の自分とあってはならない反理想の自分とが共存するのが袁傪であり、あろうことかそれが成立してしまったのです。

 自尊心を徹底的に傷つけられ、羞恥心にたえず責められた李徴の目に、袁傪の姿はどのように映り得たことでしょう。
 敵であった俗物どもより味方であったはずの傑物もどきのほうに、李徴はいっそう強い敵意をさえ感じていたかもしれないのです。

 結論を申し上げましょう。
 私は、『山月記』の「袁傪」はもう一人の李徴であったと考えています。
 悪党となって成功した李徴が「袁傪」です。
 そして、そのもう一人の李徴=「袁傪」が、懊悩する李徴の内面で肥大化し、ついには妄想となって現れ出た物語が『山月記』なのです。

 李徴は虎になどなっていません。
 李徴は、中国でも古来「転病(日本でいう『狐憑き』)」と呼ばれた病に罹患しただけです。
 つまり、『山月記』は李徴の妄想の産物であったということです。
 『山月記』に登場する「袁傪」が奇妙なのは、彼が李徴の分身だったからです。
 李徴は、自分の内面で肥大化した「袁傪」と、いつか決着をつけねばなりませんでした。
 それが『山月記』の誕生です。
 承服しがたいと言われる方も多いと思われますが、これから縷々説明していきます。
  

6 謎解き「袁傪」


 前回挙げた八つの疑問について、解明していきましょう。

①   袁傪は『山月記』の重要人物であるにも関わらず、袁傪に関する記述が極めて少ないのはなぜか。

 小説の中の「袁傪」は、現実の存在ではないからです。
 「袁傪」は『山月記』の狂言回しであり、それ以上の存在になることはありません。
 李徴にとって、袁傪は自分を語る上で必要不可欠な存在ですが、同時に嫉妬と憎悪の対象でもあり、内心では消えてほしいと思っていた人物でもあるのです。

② 袁傪は李徴の「最も親しい友」であったが、李徴は袁傪のことをほんとうに信頼していたのか。

 愛憎半ばする対象です。
 一面では信頼し、一面では信頼していなかったのでしょう。
 李徴は、自分の「傷つき易い内心」を袁傪が理解していたとは思っていません。
 しかし、李徴には頼れる人間が袁傪しかいなかったので、妻子の生活の保障を彼に依頼するしかなかったのです。

③ 虎になった李徴に襲われた時、袁傪はなぜ李徴を素直に受け入れたのか。

 李徴自身が「虎」になった自分を信じています。
 李徴の分身である「袁傪」も、当然「虎」となった李徴を素直に受け入れることができます。

 ところで、この場面には、「後で考えれば不思議だったが、その時、袁傪は、この超自然の怪異を、実に素直に受け入れて、少しも怪もうとしなかった」という但し書きが書かれています。
 その時、袁傪はこの超自然の怪異を実に素直に受け入れたが、後で考えればその態度そのものが不思議であった、ということです。
 このことから、「袁傪は後日このことを振り返り、虎となった李徴との出会いの事実そのものを疑うようになった。そのため、袁傪は記録した李徴の三十篇ほどの詩を、李徴の意に反して世に伝えなかった」と言う説があります。
 興味深い意見ですが、無理があります。
 李徴の存在は虚妄だが、袁傪の存在は真実であるということになり、『山月記』はあたかも袁傪の夢物語であるかのようになってしまうからです。

 私は「後で考えれば不思議だったが」の主語は、袁傪ではなく、語り手であったと考えています。
 語り手が袁傪の態度を不思議だと述べたのです。
 二人の出会いの場面は不自然なところがあり、それに整合性をつけようとしただけでしょう。

 あるブロガーが、「李徴は腹黒い?『山月記』を面白く読むための3つのポイント」と題する記事の中で、次のようなことを言っておられました。

 「虎になった李徴が草むらに隠れた場面の描写ですが、不自然だと思いませんか?
 ――叢の中から人間の声で『危ないところだった』と繰り返し呟くのが聞こえた。――
 …出会い頭に誰かとぶつかりそうになった時、『危なかった、危なかった、危なかった…』と何度も言うはずがありません。
 つまり、李徴はここで袁傪に気づいてもらうために自分の声を聞かせたのではないでしょうか。」

 誠にその通りです。
 李徴は袁傪に気づいてもらえなければ、永久に自分語りができなくなるので、何が何でも袁傪に気づいてもらわねばならなかったのです。

④ 袁傪は李徴の詩にどこか「欠けるところ」があると感じたが、それはなぜか。

 李徴は、内心、自分の詩を一流のものだと感じていたことでしょう。
 しかし、なぜ「長安風流人士」に受け入れられないのか、李徴自身にはわかりません。
 そのことに李徴自身がいちばん苦しみました。
 「一流の才能を持ちながら、どこか微妙な点において欠けるところがある」と感じていたのは李徴自身であり、李徴の詩の「欠けるところ」をいちばん知りたがっていたのも李徴自身です。
 李徴の分身である「袁傪」に、その「欠けるところ」が何であるか、わかるはずがありません。
 ですから、読者がその「欠けるところ」を追究しても、『山月記』の中にその答えがあるはずがありません。

⑤ 李徴の即席の詩を聞いた後、「人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然としてこの詩人の薄倖を嘆じた」とあるが、そんなことがあるのだろうか。

 袁傪は旧友だから、当然、李徴の薄倖を嘆じてもいいでしょう。
 しかし、袁傪の大勢の供人たちは、詩など理解できるはずもありません。
 仮に詩を理解できる官僚レベルの者たちであっても、「性、狷介」で、「峻峭」「尊大」な李徴に同情する者が、袁傪以外いたとは思えません。

 しかし、これが李徴の心の中の風景だと考えれば、容易に理解できます。
 李徴は自分を理解する人々の間に囲まれて、自分の不幸をともに泣いてもらえることを夢想したのです。

⑥ 袁傪は李徴と別れる際、なぜあのように泣いたのか。

 もうおわかりでしょう。
 「袁傪」は李徴の分身だからこそ、李徴の不幸を「自分のことのように」泣いたのです。

⑦ 『人虎伝』には袁傪の後日談があるが、これらの記述が『山月記』にはないのはなぜか。

 「袁傪」は、李徴の話を聞いてくれさえすればよかったのです。
 ですから、「袁傪」が李徴の話を聞くに至ったいきさつは丁寧に語る必要がありますが、それ以外の話は不必要なだけでなく、目障りです。
 『山月記』は李徴の独白録であり、袁傪の成功物語など、李徴は聞きたくもなかったでしょう。

⑧ 李徴と袁傪はかなり長い時間対話しているが、実際に経過したと思われる時間と矛盾が感じられるのはなぜか。

 李徴の夢想する物語だからです。
 時間的矛盾があっても何ら不思議はありません。


 以上、「袁傪」の謎解きをしてみました。
 「袁傪」を李徴の分身だと考えれば、李徴が発狂した時に彼の名を呼んだのも、もう一人の李徴=「袁傪」であったことがわかるでしょう。
 「その声は袁傪の声であった」とは書かれていません。
 しかし、その時の李徴を精神的に追いつめた者の声であるとするなら、「袁傪」の声と措定するのが適切であると思われます。

 ジュリアン・ジェインズに『神々の沈黙』という著作があります。
 ジェインズはその書の中で、「二分心」について述べます。
 ジェインズは、「古代人の心は我々現代人が持つ意識の他に、神々の声とでもいうべき内心の声を持っていた」というのです。
 現代では、統合失調症にその痕跡をとどめるといいますが、もしこの二分心が正しいのであれば、李徴はこの時、内心の声を聞いたのでしょう。

 さて、それでは私たちは『山月記』という小説をどのようにとらえればいいのでしょうか。 

7 発狂の原因追究に意味はあるか


  李徴は実際は「虎に変身した」のではなく、いわゆる「狐憑き」になっただけでした。
 それでも、発狂した(「狐憑き」になった)原因は探求すべきだ、という考えもあるでしょう。
 しかし、私はその必要もないと考えています。
 原因を探ることに全く意味がないとは言いません。
 しかし、原因を探るメリットよりも、そのことによって生じるデメリットのほうが大きいと思われます。

 「獣化妄想症」は病気ですが、そもそも病気の原因は何でも特定できるものなのでしょうか。
 細菌やウイルス、遺伝、公害など、原因を特定できる病気も多いことでしょう。
 しかし、癌や精神病はどうでしょう。
 「病気の原因は、間違いなくこれだ」と特定できるものなのでしょうか。
 例えば、癌の場合、その原因に喫煙、飲酒、食事、運動、肥満や痩せすぎ、感染、化学物質、ホルモン、ストレスその他が挙げられていますが、これは結局、「個別のガンの原因を特定することはたいへん難しい」ということを意味しているのではないでしょうか。
 精神病の原因の特定も困難だと聞きます。

 李徴の場合はどうでしょうか。
 彼は自分が「虎」になった原因を次のように述べています。

ⓐ「なぜこんな事になったのだろう。分からぬ。全く何事も我々には分からぬ。理由も分からずに押し付けられたものを大人しく受け取って、理由も分からずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ」

ⓑ「一体、獣でも人間でも、もとは何か他のものだったんだろう。初めはそれを覚えているが、次第に忘れてしまい、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか?」

ⓒ「偶々狂疾に因って殊類と成る」

ⓓ「おれは次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々おのれの内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ」

ⓔ「飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕とすのだ」

 あれこれ語っていますが、要するに自分がなぜ「虎」になったのか、李徴自身わかっていないということです。
 普通の病気の原因ですら、専門家である医師にも特定できない場合がいくらでもあるというのに、「虎に変身する」というわけのわからない現象の原因を、素人が(この問題の場合、玄人がいるとは思えません)あれこれ詮索することに意味があるのでしょうか。
 寧ろ他人の苦悩の原因に外野が口出しをするという悪趣味を楽しんでいるだけではないでしょうか。

 李徴の場合、「虎」になった原因として、よくⓔ(彼自身の人間性)がやり玉に挙げられます。
 つまり、李徴の自業自得というわけです。
 自分の行為に責任を持つのは大事なことですが、自分ではどうにもならないことにまで自己責任を追及するのはいかがなものでしょう。
 「李徴の人間性に問題があったから、彼は虎になったのだ」と断定することの「冷たさ」に、なぜ気づかないのでしょうか。

 李徴の人間性に問題がないとは言いませんが、そもそも人間性に一点の曇りもない聖人のような人がどれほどいるというのでしょうか。
 まして彼は腐敗を拒絶した男であり、俗悪な大官や腐敗臭のする袁傪よりよほど「良心的」です。
 李徴の獣化妄想症の原因の追究は、一見「人間の真実を追究している」ようでありながら、その実、真に批判すべき者には目をつぶり、「生き方が不器用なために不幸になった人間を断罪して悦に入る」練習をしているだけではないでしょうか。 

8 『山月記』の語り


  最後に『山月記』の語りについて、一言述べておきましょう。
 正直に申しますと、あまり深入りしたくない問題です。
 『山月記』の語りは、異様に複雑だからです。

 曰く、語り手は、初め李徴に寄り添っているが、その後は一貫して袁傪に寄り添っている。
 曰く、直接話法と間接話法が用いられているが、直接話法が用いられているのは、李徴の独白の効果を高めるためである。
 曰く、語り手の語りが李徴の告白と一体化していおり、しかも、語り手は主人公李徴を超越した視点を持ち得ていない。
 曰く、作中人物の言葉に(  )をつけ、語り手が自分の言葉を割り込ませているのは、超越的に物語を統御しようとしているのである。

 ……こんなふうに解釈しなければ、『山月記』は理解できない小説なのでしょうか?
 私が見るに、『山月記』の場合、直接話法と間接話法の違いはさほど感じられません。
 また、「 」や( )のあるなしで読みを変えねばならないのであるなら、こんなにも煩わしいことはありません。
 「それはお前の読みが徹底していないからだ」と言われれば、それまでですが。

 これはただ、『山月記』の構想上のミスではないでしょうか。
 袁傪の造形は、あまりにも李徴に引きずられています。
 袁傪の発言や思考に、自立した1個の人間が感じられません(李徴の詩批判でさえ、李徴の思考のネガであることはすでに述べました)。
 李徴と袁傪とが密接不可分であるように、語り手と李徴も密接不可分であるように見えます。

 これは私の想像ですが、作者があまりにも李徴に肩入れしたため、袁傪ばかりでなく、語り手まで李徴を中心に踊らされている感じがします。
 ですから、私の「袁傪=李徴の分身」説も、作者の故意ではなく、作者の李徴に対する拘泥がおのずとそのように叙述せしめたのではないかと疑っています。

 いずれにせよ、李徴と袁傪と語り手の3者が混然一体となっていることが、この『山月記』という作品を非常にわかりにくいものにしています。
 ですから、私には、李徴が「虎」になった理由を探求することも、李徴の詩の「欠けるところ」について解明することも、小説の語りについて分析することも、あまり意味あることには感じられません。
 李徴の即席の詩に過度な意味づけを行うことにも懐疑的です。
 なぜなら、あの詩はもともと『人虎伝』の李徴の詩であり、『山月記』の李徴とは別人格の人間が作ったものであるからです。  

9 終わりに


  小説としての『山月記』を否定するような言葉を並べてきました。
 若い頃に李徴のファンとなった身としては、とても残念な結論ですが。
 ただ一言、李徴のために擁護しておけば、彼は腐敗の蔓延した当時にあって、それに抗って生きようとした男であるということです。
 彼の中の「人間的な欠点」など、数え上げようとするなら、いくらでも上がることでしょう。
 例えば、妻子を苦しめたこと、同輩を見下したこと、自分のことばかりで悩んでいることなど。
 しかし、それらは目に見える李徴の欠点です。
 袁傪は、目に見える範囲において「好人物」なのでしょう。
 けれども、腐敗の中で世渡りをしてきたということは、目に見えないところで「悪漢」であったということです。
 もし李徴がもっといい時代に生まれていたなら、彼は自分も家族も友人も、世の中をも幸せな方向に持っていくすばらしいエリートとして活躍できたのではないでしょうか。
 『山月記』には疑問を感じた私も、李徴を嫌いになることはできません。

 柳沢浩哉氏が、『山月記』における撞着語法について、瞠目すべき指摘をなされていました。
 撞着語法とは、反対の意味の言葉を繋ぎ合わせることによって作られる表現のことです。
 「公然の秘密」「近くて遠い国」「冷たい炎」「暗黒の輝き」などがその例です。
 柳沢氏は次のように指摘されます。

――これらの表現は、その意味するところをある程度伝えてくるものの、決して明確な輪郭は示さない。
 しかも、その矛盾する組み合わせは逆説的な新しい意味を感じさせるため、受け取る側はその意味するところをさまざまに膨らませて予感し、ある種の含蓄を感じてしまう。
 ただし、その含蓄に値するだけの内実を撞着語法は備えているわけではない。
 思わせぶりな魅力ある表現をオートマチックに作り出せる、これが撞着語法の大きな特徴なのである。――

 まことに鋭い指摘です。
 柳沢氏は、『山月記』の「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」がまさにこの撞着語法であるとし、これらの語の含蓄の正体は「撞着語法の作り出す錯覚上の含蓄」であるとされます。
 そして、「執拗に自尊心を羞恥心に言い換えることで、李徴は、強烈な自尊心を小さく見せようとした」、そうすることで「自己の欠点の隠蔽」を図ったと批判されます。
 実に強烈な批判です。
 これは、李徴一人に対する批判であるというよりは、李徴の「修辞的演出の過剰な追求」に深い含蓄を見いだそうとしてきた私たち読者に対する批判でもあるのでしょう。
 氏は、「文学的才能は第一流でありながら、第一流の作家となれない悲劇。『山月記』は中島敦自身の寓話として読めるのである」と言います。
 確かに、『山月記』は「格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせ」ますが、「第一流の作品となるのには、どこか欠けるところがある」作品なのでしょう。
 『山月記』の修辞や文体のみごとさに感嘆しつつも、それらに幻惑されない読みが必要だと思われます。
 
 いかがでしょうか。
 今回は、袁傪の正体を明らかにしつつ、李徴という人間をどうとらえるか、小説『山月記』をどう読むか、についてお話ししました。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
                             〈了〉

〈初出〉YouTube 音羽居士「謎解き『山月記』①~③」2022年3月 一部改

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