事業の失敗はつまり、自分を生きるという成功の選択
noteの更新をストップしてから1か月間。
空白のひと月。
何が起こったかというと。
一か月前に新しい挑戦を始めたところでした。
さまざまな機会から得られた学びを
はやく、何らかの形で社会に還元しなければと、
はやく、何かの価値として社会に提供し、自分の仕事に、収入にしなければと
ひとまず、組織変革のプロジェクトに取り組み始めました。
そのうち、noteの更新や好きなこと、ワクワクすることに割ける時間がどんどんと減っていき、ただただ頭を悩ませる日々を過ごすこととなりました。
考えてみると、ビジネスも、組織変革も、プロジェクトの立ち上げも、これまでやったことがありませんでした。
そのうち、自分が他者に対して厳しくなってきているのを感じ始めました。
「変わりたいと思ってもいない他者を圧力で無理やり変える」という行為をし始めている感覚です。
「組織変革」を成功させる が目的になってしまっているような気がしました。
それは私が求めていた私の在り方ではなかった。
「依頼された目的=組織変革」を成功させるため
それはつまり「愛」が原動力ではない。
自分じゃない自分になってしまって、すごく苦しくなってしまいました。
「やりたいこと」で生きるために始めたはずなのに
好きな事にも、これまで取り組んでいた大事な「書く」ことにも、人を愛することにも、手も頭も回らない自分。
商談を取ったから、その人の期待に応えなければいけないと
自分の為の人生をまた「他者」の為の人生に置き換えてしまっていました。
「自分に価値」を感じたかったのでしょうか。
「何かを価値」として「社会に還元している」自分
自分ではない何者か。賞賛されるべき、承認されるであろう誰か。
何かを社会に与えなければ。誰かを救わなければ。自分を変えなきゃ。
そして、このままだとまたしんどくなる。そのループの沼に片足を突っ込んでいました。
そして、失敗しちゃいました。テヘペロ
というより、自ら失敗を選んだというのでしょうか。
なんだろう、なんだかもう無理でした。
これ以上自分じゃない自分でいるのは無理といいますか。
「どうやら自分らしくない生き方をしているゾ?」というキモチワルサに1か月で耐えられなくなる身体になってしまったようです。
「できないことはできません」
商談が破棄になることも覚悟のうえで、
嫌われることも覚悟のうえで。
そう伝えることができたのです!
凄い!凄すぎ私!!
「どう思われるか」という他人の目線を臆せず、自分を愛することを選びました。
そしたら意外と大丈夫だった。
むしろ。
自分のできること、好きなところだけを任されて、
それ以外はやらなくていい。という結果に。
面白いくらいに、自分の人生が自分のものになり始めている気がします。
私の原点は、「愛」です。
自分のワクワクすることが先に存在していて
それは自分を表現することなのかもしれないし、誰かを愛することなのかもしれないし、
「自分を生きて、やりたいことで生きて、その結果愛の溢れる社会をつくっていく」という本来の挑戦のきっかけの目的を思い出させてくれた、素晴らしい機会でした。
この挑戦を受けいれ、わがままでさえも理性的に受け止めてくださり、
自分を知る機会を作ってくださった取引先の方に
心からの御礼を。
行動した自分に特大の花丸と100点を。
そして支えてくださっている家族、友人、パートナー、
関わってくださる皆さまに、心からの感謝を。
そしてこうしてひと月ぶりの投稿も
読んでくださるnoteの読者の皆様
本当にありがとうございます。
明日、ずっとずっと、私が心待ちにしていた大事な発表があります💖
また、沢山の方に見ていただけたら嬉しいなっ✨
いつもありがとうございます
陽
☀
つらいとき、心の支えとなって勇気づけてくれた一曲を