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【兵庫県知事問題】斎藤元彦氏が決して認めないこと

斎藤元彦氏が、幼い頃から地元の名士であった祖父の影響を強く受け、兵庫県知事を目指していたのはよく知られている。
そして、東京大学、総務省(旧自治省)という首長への王道を歩み、2021年43歳という若さでその夢を叶えた。

このような華々しい成功体験は「自分は能力が高く、知事にふさわしい人間である」という揺るぎない自我を形成したであろう。
それが徐々に「知事である自分は大事にされるべき」「知事である自分が職員を指導する」「知事としての恩恵を得て当然」という具合に、知事という公権力と自己を一体化させていったのだろう。言い換えれば私物化させたと言ってもいい。

もちろん、そういった内面は政治家として表に出してはいけない。だから「県民のため」「将来世代のため」「改革のため」といった大義を前面に打ち出しながら、ここまで順調に振る舞ってきた。
当然、長期政権を見据えていただろうし、場合によっては国政等、より高いステージに活躍の場を移すことも考えていたかもしれない。
それ故に、西播磨県民局長の告発文を見た時にショックを受けたのではないだろうか。

斎藤氏が告発者に対して、相当なネガティブな心情を抱いていただろう事は、3月27日の「噓八百」会見でも見てとれる。
人は内面を暴かれそうになると、それに抵抗して、極端に攻撃的な反応を取ることがある。
告発文は斎藤氏が構築してきた「さわやかで県民思いの改革派知事」というイメージに疑義を呈し、「すぐに感情的になり、私利私欲を満たそうとする知事」というグロテスクな裏の顔を露わにするものだったからだ。
だからその情報の出所を根絶しようと、犯人探しとその処分に躍起になった。

ちなみに9月5日の百条委員会の場で、公益通報の専門家である上智大学の奥山教授は次のように述べている。

内部告発された側が内部告発者に対して 示す反応には1つの典型的なパターンがあります。(中略)
内部告発の内容が嘘だというのならば、内部告発された側はそれに反論すればいいところがそうではなくて、内部告発の内容について反論するよりも先に内部告発者の人格を攻撃し、内部告発者を非難するのが告発された側の人たちの多くに共通する習性です。
それはなぜか。1つは痛いところをつかれたと感じ、ばらしやがってと怒り、思わず感情を荒げてしまうというものです。
もう1つは内部告発した人の評判を落とし、信用を貶して内部告発の内容信憑性を低めようとする狙いがあっての意図的な攻撃です。(中略)
このように内部告発した人の多くは人格を攻撃され、情報漏洩だというふうに避難されます。これは日本だけではなくて、アメリカでもそうですしイギリスでもそうですし、もうこれは1つのパターンです。
実はここまで以上申し上げましたのは、7年前に書いた私が書いた文章からの引用です。そして私は斎藤知事の振舞を見てやはりいつものあのパターンだなという風に感じております。

当時の斎藤知事および側近たちの心理や行動を、典型的なパターンとして描写している。

「噓八百」会見以降の経緯はご案内の通りだ。
パワハラやおねだりの事実関係に疑惑の目が向けられるも、斉藤氏はこれを否定し続けた。しかし、7月に西播磨県民局長が亡くなって以降、報道は過熱し、9月19日に全会一致で不信任案決議が可決されるに至った。
その後の記者会見で斎藤氏は「慢心や驕りがあった」と一歩譲歩したコメントをしている。

しかし、それ以降も一貫して否定しているのが、懲戒処分の違法性だ。
斎藤氏の立場からすれば、処分に問題があったなどと、認められる訳がない。
なぜなら、告発者を探索し、処分を急いだ理由が、公権力を私物化している裏の顔を晒そうとした通報者に対する粛清に他ならないからだ。

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