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【小説】白いカーネーションの花束を

そして、一輪

 

 聖堂に光が差し込んでいる。葬儀には打って付けの神秘性だ。

 

棺の前に立ったアンナは、ぞんざいに花を手向けた。

 無慈悲な娘……とは思えない。

 彼女の母は決していい母親とはいえなかった。

 年に数回しか、娘と会わない。いや、数回といえるほども会っていない。

 母親らしいことを一切せずに亡くなってしまった。

 牧師の私がいってはいけないと思うが、最低な母親だった。

 

 

「リアム牧師ー‼」

 アンナが大声で呼んでくる。何回言っても大声癖が治らない。

「なんだい? アンナ」

 葬儀なだけあってたくさんの出席者がいた。ここは牧師らしく穏やかに答える。

「ね、ね、牧師、この人すごいんだよ! 映画に出たことあるんだって‼」

「人を指すのはやめなさい、アンナ」

 二十一にもなってそんなこともわからないのか。長年アンナを躾けてきた身としては恥ずかしい限りだ。

「いやいや、脇役も脇役ですよ。話すのもお恥ずかしい」

 男は全身黒スーツ(まぁ葬儀だから当然だが)ですらっとした出で立ちの長身だ。年は、四十手前といったところか。

「映画関係者ですと、近頃は大変ではないですか?」

 爺なりにも少し教養があることを見せつけた。

「よくご存じで。もうカメラやマイクを全部持っていかれて大変ですよ」

 男は共感者を見つけ、嬉しそうに話す。

「え、え、どういう事?」

 この教養のない娘は知らないでいるが、今、映画業界は大変なことになっているらしい。

 もともと映画は東海岸のニューヨークとシカゴが中心地となって撮影をしてきたのだが、近頃はトラブル続きで制作会社の何人かはハリウッドとかいう西海岸の土地へ移転してしまった。

 もっとも、これは新聞にも連日載っていることだから大人の女性ならば知っておいてほしかった。

「で、でも、この人、ウイリアム・デクソンの映画に出てるんだって。すごいでしょ」

 アンナが私に対抗するように話しかける。

「ほう、それはすごいですね」

 本当にすごい。ウイリアム・デクソンといったら世界初の映画監督として知られている。彼は腕のある俳優しか使わないと聞いたことがあるから、目の前の男は相当な腕利きなのであろう。

「それでは、私は仕事がりますので」

 男は決まりの悪い表情で、話しかけようとするアンナを手で制した。

「ああ、止めてしまってすみません」

「いえ」

 どんっ

 肩が当たった。

「す、すみません」

 男は、一礼すると、そそくさと教会を後にした。

 ニューヨークでも、シカゴでも、ここフィラデルフィア教会からではいくら急いでも半日は移動に費やしてしまう。仕事を入れてくるはずがない。おそらくもう帰りたかったのであろう。

「ね、すごい人だったでしょう」

 アンナが得意げに顔を近寄らせる。

「そうですね……」

 しかし、なぜあんな映画俳優がアンナの母親の葬儀にいるのだろう。

「アンナ、あの人のこと知っていますか?」

「ううん、全然」

 やはり母親だけの付き合いなのだろう。もしかすると、〝男〟なのかもしれない。

「あの人のお名前は?」

「わかんなーい」

 肩透かしをしたが、私も尋ねなかったのだから仕方がない……ことにしよう。

 

     そして、二輪

 

 アンナの母親の葬儀が一段落すると、私は部屋の片付けを始めた。

 六十も過ぎるとなかなか片付けも辛くなる。覚悟を決めて、まずは床に散乱している服たちを拾い上げることにした。

 服と一緒に新聞も散乱している。アンナの散らかし症は私に似てしまったのか。

 新聞には「フィラデルフィア・アスレチックスのルーブ・ワッデルが完封勝利で六勝目」という記事が書いてあった。五月の初めに六勝目とは尋常ではないペースだ。このままでは肩を壊すのではないかと心配したが、ルーブはこのシーズン、投手三冠という大記録を成し遂げ、ワールドシリーズではチームメイトとふざけあって肩を壊したことを、私はまだ知らない。

 のろのろと片付けを進めていると、葬儀の際に着る黒衣も床に落ちていることを発見した。

 これはいけない……

 黒衣は牧師にとって一番大事な商売道具だ。(牧師を商売と言っていいかわからんが……)

 焦って拾い上げると、一枚の手紙がゆらゆらと落ちてきた。

 ん?

 思わず拾い上げる。

 封の表には「遺言書」と書かれていた。その右下には小さく「アン・ジャービス」という名前がある。アンナの母親の名前だ。

 本来ならば、名前は封の裏に書け! と言いたくなるところだが、ことがことなだけに、そんな感情も浮かばなかった。

 素早く封を裏返すと、

「親愛なるリアム牧師へ。最後のお願いがあります。私が亡くなってから最初の五月第二日曜日にこの手紙をアンナに渡してください。素直には受け取らないと思いますが、何とか説得してください。中身はまずアンナに見てほしいので、渡すまで見ないでください」

 さして上手くも下手でもない字で書き綴られていた。

 なぜ、私の黒衣にこんな手紙が入っているのだろう。アンが最後に教会へ来たのは去年だ。その時はぴんぴんしていた。遺言書を入れるなどありえない。

 だが、私はその疑問を追求できるほど、冷静ではなかった。

 まったく……子供の時から、図々しい子だな……

 私の脳裏にアンの、あの、お転婆だった頃のこと、母といつも喧嘩をしていた時のこと、夢が出来たと家を飛び出してウェブスターへ行ってしまったこと、急に子供を作って戻ってきたこと、心臓疾患の体で必死に笑顔を繕い、亡くなってしまったこと……

 様々な思い出が蘇ってきた。

 頬は、かなり濡れている。泣いているのだろう。

 

      そして、三輪

 

 私は、変な夢を見た。二十一にもなって、変な夢だった。

 街路の奥で、ベッドに寝そべっている。

 右手に、何か持ってる。やけにでっかい花だ。

 白い……カーネーション?

 どうしてこんなものを持っているんだろう。私の一番嫌いな花なのに。

 あれ?

 何か来る。

 大きい、

 手?

 いや、ただの手じゃない。

 あの人の手だ。

 なんの確証もないけど、あの人の手だってことはわかる。なんとなく、でも確実に、わかる。

 いや、来ないで!

 何よ! いつも置いてけぼりにしてきたくせに!

 今更余計なことしてこないでよ!

 ね! ね‼ 

…………………

 

「はっ……‼」

 目を覚ますと、思わず上体を上げた。

 激しい息切れが落ち着いてくると、大きなあの人の手に救い上げられる私の情景が浮かんだ。あの人の手は、それほど大きかった。

 私は大きく頭を三回振ると、ビンの中に入っているワインを一気に飲み干した。

 それでやっと、現実に戻れた気がする。

 今日は日曜日。仕事は休みだ。

 本当ならもうひと眠りしたいところだが、今日はリアム牧師に教会へ来いと言われているので、起きなくてはいけない。いや、本来なら日曜日はみんな教会へ行かなきゃいけないのだが、めんどくさいからここのところはサボっていた。

 あれ……何で……?

 頬が……濡れてる……

 私は、なぜか、涙を流していた。

 

 

 朝刊の表紙は、ルーブ・ワッデルの七勝目の記事だ。私は、ルーブが好きではない。女を誑かしては球団を転々としている。素行が悪いにもほどがある。想像しただけで腹が立つ。

 ルーブの顔写真を指でクシャっと、つまんでやった。少し、心が晴れやかになる。

私はみんながお祈りをしている最後尾で新聞を広げていた。

 新聞は好きではない。だけど、リアム牧師が読めというから、彼がお金を払う約束でとっている。普段はそれでも家の何処かにほっぽり投げるが、今日はお祈りという暇な行事があるので、読んでいる。

 みんなが急に帰りだした。お祈りが終わったのだろう。

 みんながぞろぞろと帰る中、私は引き続き新聞を読んでいる。牧師に呼ばれるまで読んでいよう。意外と、面白い。

「アンナ!」

 ふと、顔を上げる。そこにはリアム牧師以外、誰もいなかった。

 リアム牧師は深刻な表情でこっちに来るよう、手で促す。

 歩み寄ると、

「確認しますが、今日は五月の第何日曜日ですか?」

 すごく真剣な顔で聞いてきた。

「え?」

 わからない。

そんな、第何日曜とか何とか、わかるはずがないじゃないか。

困った表情を繕うと、

「はぁーあ」

 というため息をたらし、

「第二日曜日です。それくらいすぐに言えるようにしないと」

 あきれた表情で私に一通の手紙を手渡した。

 「遺言書」と書いてある。

 右下に……一番嫌いな人の名前だ。

「何よこれ⁉」

 私は思わず、怒鳴ってしまった。

 心は至って冷静なのに、体がみるみる熱くなってくる。顔も真っ赤になって、自分では

もうコントロールできない。

「気持ちはわかります。だけどアンナ、裏を見てください。お母さんも、あなたの気持ちをきっとわかってくれています」

 リアム牧師に促され、恐る恐る裏を見た。

 もう、体だけでなく、気持ちもダメになった。

 何が、「中身はまずアンナに見てほしい」だ。今までずっと、私のことなんかないがしろにしてきたくせに。ずっと、ずっと、ほったらかしにしてきたくせに。

 今更何だ「まず」って。生前あんたは私のことを「まず」で考えたことはあるのか?一瞬でもないだろう。あんたが何をやっていたのかは知らないけど、子供のことを一番に考えられない親が親になるな! 子供のことを「まず」で考えられないやつが文章で軽々しく「まず」と使うな‼

 心の中で叫んだ。名一杯、叫んだ。

 私は手紙を踏みつけ、家へ返った、らしい。

 叫んだ後のことはよく覚えていなかった。

 

 

そして、四輪

 

 アンナが踏みつけた手紙を拾うと、私は吐息を漏らした。

この年にもなると喜怒哀楽は少なくなるのだが、今はとてつもなく落ち込んでいる。

 なぜ、アンナの気持ちを考えなかったのだろう。母親に捨てられているも同然な仕打ちを受けて、亡くなったから、はい許しましょうといくわけがないだろう。

 いくら偽善の言葉を並べても、彼女の母がしてきたことに変わりはない。

 もっと、アンナの気持ちに寄り添うべきだった。

 私は、深く項垂れた。

 大体、何で五月の第二日曜日なんだ。普通、五月何日で書くだろう。

 何で……

 と思った時、私は自分でも血の気が引いたことに気付いた。

 六十過ぎの思考回路をふんだんに回して、できる限りの五月第二日曜日を思い出してみた。

 やっぱりそうだ……

 アンが、いる。

 年に一、二回フィラデルフィアにいるかどうかのアンが、五月の第二日曜日には絶対、

いる。

 なぜだ……

 五月第二日曜日には、何があるんだ? 何かの記念日でもなさそうだが。

 何だ……

 聖堂をぐるぐる回りながら思案をしていると、ふと、あることを思い出した。

 そういえば、二十一年前の五月十二日、第二日曜日の翌日、アンがアンナをフィラデルフィアへ連れてきた日だ。

 その日は、よく覚えている。

たしか朝早く、私が新聞の「第一回映画俳優コンテスト開幕」という記事を読んでいた時だった。

コンコンとノックの音がするので門を開けてみると、そこに赤ん坊を抱えたアンがいた。

 アンは、「この子は私の娘よ」とだけしか言わなかった。

 五月の第二日曜日は、このことに関係するのか?

 私の黒衣に手紙が入っていた謎もまだわからない。

 とりあえず、アンナに聞いてみたら何かわかるかもしれない。

 日を改めて、アンナに聞いてみるしかない。

 

      そして、五輪

 

家へ帰ると、気持ちが落ち着いた。

 ぎりぎりの生活でようやく借りれたマイホームのベッドに仰向けで寝転んだ。

なんでリアム牧師があんな手紙を持っているんだろう。

そもそも私に直接渡さない時点で負い目があるわけじゃん。

くだらない。

寝そべったまま、ベッドに転がっているワインを飲み干す。酔いやすい体質だから水のほうがいいけど、高いから仕方ない。ていうか、飲むもの一つ好きなのが買えない私の生活が情けない。

私は天井をぼーと見つめ、無意識に、封の裏に書かれていた文章を思い出そうとした。

そういえば、五月の第二日曜日に渡せとか書いてあったな。何でだろう。

眉間に皺を寄せつけて、考えてみた。

…………………

…………………

ん?

そういえば、あの人、いつもここらに帰ってくるな。ちょうど、五月二回目の休みに……

あ、そうか!

そうだったんだ!

私は飛び上がりたい衝動に駆られるほど、興奮した。(だるいからやんないが……)

そうか、あの人、いつも五月第二日曜日に帰ってきてたんだ。だから、手紙もその日に渡せと。

なるほど……

私の中ですべてが腑に落ちた感覚になった。

あれ? でも……

何で、その日なんだ?

確かにあの人はちゃんと毎年その日に帰って来るけど、何でだろう。何の記念日でもないはずなのに。

謎が謎を呼ぶとは、まさにこのことか……

シャーロック・ホームズにでもなった気分だ。

そういえば、最新刊いつ発売されるのかな。みんな最初は興味なそうだったのに、短編の

シリーズになったら急に読み始めちゃって。私は長編の時からずっと読んでる。誇らしい。

ダメだ。

目の前の謎に集中しなくては。

もう一回、眉間に皺を寄せる。

……………

全然、わからない。

シャーロック・ホームズにはなれないようだ。

 気晴らしに上体を上げてみた。

 ふと、机の上に置いてある花瓶に目が留まる。花瓶の中には枯れた白いカーネーションが乱雑にさされていた。(枯れているから白くはないが……)

 確か、五月のその日に返ってくると、必ず白いカーネーションを私にプレゼントしてくれたっけ……おかげで一番嫌いな花になったけど。

 私はその枯れた花を見つめた。

 手紙を持ってたのは、リアム牧師だったな……

 リアム牧師に聞けば何かわかるかもしれない。

 明日、教会へ行こう。

 

     そして、六輪

 

 翌日、アンナが朝一番で教会に来たから驚いた。

「アンナ、仕事は……?」

 昨日、怒らせたこともあり、恐る恐る聞いた。

「休み」

 なわけがないだろう。

 だが、私もアンナに聞きたいことがある。仕事のことは置いておくことにした。

「ヘンリ牧師、何で手紙なんか持ってたの?」

 単刀直入に、鋭い眼光で聞かれた。

「わからない」

 と、答えるしかない。

「わからないって何よ。あの人に渡されたんじゃないの?」

「渡されてないんだよ」

「じゃあ、誰があの手紙を渡したのよ」

「わからない」

 私の体が委縮している。

「どうゆうこと? 勝手に手元にあったわけでもあるまいし」

「そうなんだ」

「は?」

「そうなんだよ、アンナ。黒衣の中に、勝手に入ってたんだ」

「え?」

 アンナはこれ以上にない怪訝な表情をしている。無理もない。だけど、わからないものはわからないというしかない。

代わりに、こちらも質問をした。

「ところで、何で五月の第二日曜日に手紙を渡すのか、アンナは知らないかい?」

 これでアンナが知らなかったら、私は真相を知る術を失ってしまう。

 「頼む」という思いを込めて聞いた。

「え、毎年フィラデルフィアに帰ってくる日だからじゃないの?」

 お!

「何で、その日に帰ってきてたの?」

「ええー、それはリアム牧師が知ってんじゃないの?」

 私はあからさまに肩を落とした。

「アンナは、知らないってこと?」

「うん!」

 自信満々に言うことじゃないだろう。

「けど、あの人帰ってきたら絶対、白いカーネーションを私にプレゼントするんだよね。

なんでかな?」

 アンナは不思議そうに左手の指先を顎に当てた。

 それなら、知っている。

「アンは白いカーネーションが大好きだったんだよ」

「え! そうだったの?」

「そうだよ。むか……」

 ん?

待てよ、昔からじゃない。

 いや、昔からはそうだけど、大好きだといい始めたのは、大人になってからだ。

 しかも、急に言い始めた気がする。

 いつからだ?

 怪訝な顔のアンナをしり目に、考えていると、

 あ!

 アンがアンナを連れてきたあの日、アンナの手には白いカーネーションがあった。

「どうして白いカーネーションなんか握っているんだい?」

 と聞くと、

「私、白いカーネーションが大好きになったの」

赤ん坊を見つめながら、返答になっていない答えを言っていた。

第二日曜日の謎にも、手紙の謎にも関係ないだろうが、一つ、進展があった気がした。

そのことをアンナに話す。すると、アンナは思った以上に真剣な顔つきになって黙りこくった。

暫く黙っていると、急に私と目を合わし、

「私、ウェブスターに行く!」

 覚悟に満ちた顔で言いだした。

「へ?」

 情けない裏声を漏らしてしまう。

 ウェブスターは確か、アンが働いていた場所だ。そこで会社を開いて社会福祉か何かをしていたらしい。たくっ、実の娘も大事にできないで何が社会福祉だ。

 私の顔が険しくなる。

「だって、リアム牧師に聞いても何にもわからないんじゃ、らちが明かないもん。だったら、いっそのことウェブスターに行った方が何かわかるかもしれないじゃん」

 アンナは真剣そのものだ。

 しかし、アンナには仕事がある。ウェブスターに行ったら、日帰りでも三日は帰ってこれない。家賃を払うのもぎりぎりな生活をしていることはよくわかっている。仕事を休ませるわけにはいかない。

「その必要はない、アンナ。あの手紙の中身を見ればきっと答えが書いてある。それを読めばいいじゃないか」

 私は、アンナの両肩を持ち、懇願する思いで言った。

 アンナは小さく首を振る。

「そんな何もわからず、あの人の思惑通りにただ読むだけなんてまっぴらごめんだわ。読むならすべてがわかってから読んでやる。はいはいそうですか、て思いながら読んでやる。

それが、私のあの人に対する仕返しなの」

 アンナの言葉に、屈してしまいそうになった。

 だが、ここで引くわけにはいかない。

「じゃあ、仕事はどうするんだ」

 アンナの、一番痛いところをついた。最低だと、自分でも思う。

「そんなの、休めばいいでしょ!」

「本当にいいのか⁉ ウェブスターへ行ったら三日は帰ってこれないぞ。お前の仕事は日給だろ? それでちゃんと家賃は払えるのか? 生活はできるのか?」

「それは……」

 生活が出来なくなったら私がまた面倒を見てやるからいい。

 だが、今はとにかく行かせたくない。理由はもうどうでもいいから、行かせたくない。

 何となく、嫌な予感がする。

 もしかしたら、知りたくなかったことがわかるかもしれない。

 そうなったら、あまりにも可哀そうだ。

 父の顔を知らず、母にはほとんど会えない日々を送ってきた。

 もう十分、この世の不幸を経験した。

 この子にはもう、幸せしか残っていない。

 そうでなくてはいけない。

 そう、させなくてはいけない。

 もう、この子を傷つけてたまるか。

 私は、一つ大きな深呼吸をした。気持ちを落ち着かせるために。

そして、覚悟を決めた。

「わかりました。そこまで言うなら、私が行ってきます。何かわかるまで帰ってきません。これでいいでしょう?」

「駄目だよ!リアム牧師だってもう老人だし、第一これは私の事なんだし……」

「いいですか。私にとってアンナは可愛い娘のようなものです。娘のためなら親は何でもします。どうか、信じてください。必ず、お母さんの思いを見つけてきます」

「いや、でも……」

「それでは」

 何か言いたげなアンナをしり目に、私は歩み去った。

 「娘のようなもの」ではない、娘だ。私にとっては。

 幼いころからずっと、一緒にいた。

 私のことを「パパ」と呼んだときは焦って「牧師と言いなさい!」と叱ったが、本当は嬉しかった。とてつもなく、嬉しかった。

 可愛い娘のためだ。

 この老人、全生涯をかけてこの謎を解いてみせる。

 

     そして、七輪

 

 その日の夜に、ウェブスター行きの汽車に乗り込んだ。

 ウェブスターはウェストバージニア州の市街地だ。

 人通りも多いだろうから手当たり次第に聞き回れば何とかアンの会社を見つけることが出来るかもれない。というより、それしか方法がない。

 夕刊はまた、ワッデルの記事だ。今日は今シーズンで初めて負けたらしい。これで七勝一敗。

 アスレチックスは、フィラデルフィアの誇りだ。

 頑張っ…て……ほ…しい………

 老体は、睡魔に勝てない。

 

 

 ウェブスターに着くと、聞き込みを始めた。昼過ぎになるが、これでも早い方だろう。

会社名は確か、

ウェルフアー・チルドレン(子供の福祉)

達者な名前だ。

会社名を連呼して聞き込みをするが、何の手掛かりもつかめない。そもそも、聞いてももらえない。役所に聞こうにも、アンの会社は確か非公認の団体だから登録されていないだろう。

 夜になってもこの堂々巡りは続いた。

 やはり、無理だったのか……

 思わず、歩道のベンチで項垂れた。

 アンナのために勢いで来てしまったが、老体には無理だったのかもしれない。

 そもそも、五月第二日曜日の謎が解けて何になるのだ。

 もしかしたら、適当に書いただけかもしれない。

 脳裏に魔が差し始めた時、

「大丈夫ですか? 何か、具合でも悪いですか?」

 女性の声が聞こえた。

 頭を上げると、若い女性が心配そうにこちらを見ている。ちょうど、アンナくらいだろう。

「ええ、だいじょ……あ!」

 思わず、驚きの声を漏らしてしまった。

 彼女の左胸に、ウェルファー・チルドレンという字が書いてある。

 奇跡だ。

 私は興奮し、会社へと連れて行ってもらった。

 

 ウェルファー・チルドレンは子供を中心とした身元のない人々を救済する非公認団体だそうだ。南北戦争が終結して三十年がたった今も、戦争によって路頭に迷う人々が溢れているのだという。

 アンはそのリーダーとして長年、孤児や路頭に迷った人々を救済してきた。休みもなく、昼夜を問わず、活動をしてきたそうだ。

 道理で、フィラデルフィアに帰ってこないわけだ。

 少し、反省した。

 私は表通りのビルを一室借りたオフィスで、働いている十数名を眺めた。葬儀で見かけた人もちらほらいる。

 私が来た際、木組み椅子を用意してくれ、温かいコーヒーも入れてくれた。

 アンの名前は出していない。すごく、親切だ。

「ところで、御爺様は何でここに来たいと?」

 路上で声をかけてくれた女性が興味ありげに聞いてきた。

 私は笑顔を繕い、

「少し、長くなりますがいいですか?」

 と聞いてから、ここに至るまでの経緯を事細かに話した。

 

 話し終えると、オフィスにいる人が全員、血の気の引いた顔をした。

 左奥にいた青年が、慌てて電話をし始める。

 どうしたのだろう……

 すると、ちょうどアンと同じ年齢に見える五十手前ほどの女性が、私の目の前に来た。

「話を、させてください」

 深刻そうな顔でつぶやくように言うと、私たちが求めていた「答え」を、すべて、教えてくれた。

 

     そして、花束

 

 リアム牧師がウェブスターに行って以来、私は仕事以外ずっと教会にいる。

牧師が帰ってきたらすぐに話を聞けるように。

 今日も、朝から教会でリアム牧師が帰って来るのを待っている。

 どうして、私はあの「遺言書」に惹かれているんだろう。今まであんな人、どうでもいいと思ってたのに。

 なぜか、あの手紙だけは惹かれる。もしかしたら、今が生涯で一番母を意識している時なのかもしれない。

 ぼーと、教壇にあるマリア像を眺めていると、

「ただいま、アンナ」

 後ろから声がした。

 振り向くと、そこにはリアム牧師と、見覚えのある男……あ、映画俳優の人だ。

 何であの人がいるんだろう?

 男は、私の姿が見えると深々お辞儀をした。

 リアム牧師は少し笑みを浮かべた顔で

「座りましょうか」

 手で私の座る場所を促した。

 

 私は聖堂の長椅子に、三人の一番左側に座った。隣にはリアム牧師、その隣に映画俳優の男がいる。

 リアム牧師は笑みを浮かべているが、男は深刻そうな顔をしている。

「このことは、話そうかどうか迷いましたが、やはり知っておかなくてはと思い、覚悟を決めました。ですからアンナ、心して聞いてください」

 もったいぶらずに早く言って欲しい。一体、何なのだ。

 ヘンリ牧師は一つ、深呼吸をした。

「アンナ、あなたの実の母は、アンじゃない」

「…………」

 この一言だけでは理解することが出来なかった。

私が、あの人の娘じゃない? 

「アンナの実の母は、あなたを生んですぐに亡くなってしまった。そして……」

「ちょ、ちょっと待って。わけがわからない。あ、あの人が実の母じゃないって、じゃあ、何で私はあの人の娘ってことになってるの。ていうか、この人は何でいるのよ!」

 私は、八つ当たりをするように映画俳優の男を指さした。

 リアム牧師は表情を変えず、話を続ける。

「この方はアンナの実の父です。名前は、ハーマ・スミスと言います。彼は、学生の時にあなたの父親になったのですが、映画俳優になるという夢をどうしても諦めきれず、あなたを捨てたのです」

 それでは、私は捨て子ということになってしまうではないか。

 私の思考が真っ暗になった時、ふと、この前見た不思議な夢を思い出した。

 そうか、だから……

 私は、自分でも意外なほどあの夢と今の話をスムーズに合致させることが出来た。

 花やあの人の手が大きかったのは、私が赤ちゃんだったからで、ベットはゆりかごだったのか……

 じゃあ、あの人の手に救い上げられたのは……

「それで、私は、あの人に拾われた……」

「そうです」

 リアム牧師が優しくうなずいた時、今まで黙っていた映画俳優の男が、私の正面で這いつくばるように頭を下げてきた。

「すまない、アンナ。私は最低なことをしてしまった。映画俳優のコンクールがあった

あの日、君はいつものように泣きじゃくっていた。額を触ったら、熱が出ていた。病院に行かなくてはいけない。でも、そうしたらコンクールに出られなくなる。私は、思い悩んで、君を捨てることにした。本当に、すまない……」

 男は、涙を流していた。

 泣きじゃくる男を見たリアム牧師は

「でも、白いカーネーションを渡したんですよね。愛の象徴の白いカーネーションを」

 牧師は椅子から降りて男の背中をさする。

 そうか……だから、夢で持っていたんだ……

 私は、ただ、二人の姿を眺めた。

「この人は確かに最低なことをしましたが、ちゃんとけじめをつけてくれました」

 ヘンリ牧師が私に一通の手紙を差し出す。

 「遺言書」だ。

「この人は、陰でずっと、あなたのことを見守ってきました。アンが亡くなりそうになっていた時も、見舞いに来て、この遺言書を預かったそうです」

「すみません……。まずはヘンリ牧師に渡してくれと言われていたのですが、どうしても言い出せず、勝手に黒衣の中へ入れてしまい……」

 男が泣きながら答える。

 リアム牧師は、私に視線を送る。

 私は頷いて、とりつかれたように手紙の封を開けた。

 

「拝啓、アンナへ。

 今まで一緒にいられなくてごめんね。ずっと、後悔していた。それに、私はあなたにずっと騙していたことがある。本当にごめんなさい。

 私は今まで、ウェルファー・チルドレンという団体に勤めていたの。その団体は、子供を中心に、多くの飢餓や病気で苦しんでいる人々を救済する組織で、そこでがむしゃらに働いていた。

そのウェルファー・チルドレンがまだ創立間もなかった頃、五月の第二日曜日に私はある一人のかわいい赤ちゃんが捨てられているのを見つけた。

第二日曜日はちょうど、外回りをして飢餓に苦しんでいる子供がいないか見回る日だったの。まさに幸運だった。その日から、私は五月の第二日曜日が特別な日になった。

その子は白いカーネーションを持っていて、真っ直ぐに私の視線を見つめていた。愛おしくて仕方がなかった。それが、アンナ。貴方だったの。

 私はこれまで苦しんでいる人たちを救済することを生きがいにしてきた。でもそれはあなたにずっと寂しい思いをさせてきたことでもある。

 それを、ずっと謝りたかった。でも、言えなかった。アンナに、「謝るくらいなら行かないで」と言われたら、私は何も言えなくなるから。

 だから、こんな「遺言書」とか書いて、回りくどいことをしてしまいました。

 本当にごめんなさい。

 そして、愛しています。

                                                       アン   」

 

 手紙の中には白いカーネーションの押し花が入っていた。

 白いカーネーションの花言葉は

 「私の愛は生きています」

 私は、手紙を抱きしめ、ずっと、泣き続けた。

 

 

    一年後 五月の第二日曜日

 

 母の墓に、白いカーネーションの花束を手向けた。

「ママ、私もあなたのことを愛しています」

 丁寧に、祈るように言った。


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