ゆるゆる復職5カ月目~欠けているピースを思い悩むより、今持っているものを慈しんで味わいたい~
おはようございます。約1カ月ぶりのテキスト投稿。
このところは業務量がキャパ上限くらいをさまよう日常。かろうじて朝のチェックインを続けることで精いっぱいで、しっかり時間を取って自分の感情やモヤモヤに向き合う時間を持てていなかった。
(ちなみに今「かんじょう」と打ったら、第一候補が「勘定」だった。さもありなん)。
忙しいことが問題なのか?否、復職直後で仕事が極端に少ないときもそれはそれでうじうじ悩んでいたことを思い返せば、今は思い悩む暇がないほど充実している―ということもできる。
ただ、日々少しずつ澱のようにに溜まっていく気持ちの欠片をアウトプットせずにいると、濁りがちになってくることも事実。今日はそんな精神をデトックスしに、久しぶりに少し長めにnoteに向き合っている。
今の気持ちのデトックス
今いまいち精神的にスッキリしきれない一因は、マルチタスクが進んだ結果、そのどれもが今一つパフォーマンスが出せていないと感じていることだと思う。
ありがたいことに実態としては進捗には大きな問題はないので、自分のパフォーマンスそのものというよりむしろ「自分はお客さんやチームメンバからの期待に応えられていないのでは?失望されているのでは?」という勘ぐりによるところが大きいと感じる。
それから、何度か書いていると思うがやはり時期的な要因によるものもある。春の訪れには本能的にはうれしさを感じる反面、去年一番メンタルを崩したこの時期の気候を感じるだけで、反射的に不安感を感じる。若干のトラウマと化しているかもしれない。
解釈・リフレーミング
この気持ちの背景について久しぶりに真正面から考えてみる。
①自分でもパフォーマンスを思ったより出せていないと思っている
解釈:すぐに結果を出そうとする「白か黒か思考」が働いている
リフレーミング:自分ができる範囲のことをしている、毎日仕事ができているし、少しずつでも信頼・進捗を重ねられている。
②「自分はお客さんやチームメンバからの期待に応えられていないのでは?失望されているのでは?」と感じる
解釈:「気持ちの読みすぎ」が強く出ている
リフレーミング:他人の感情という自分がコントロールできないものを感じ取ったり変化させる責任はない。
デトックスしてみて
こうやって向き合ってみると、いつもの思考の癖が透けて見える。
やっぱりこういうジャーナリング時間は定期的に取ったほうがよさそうだ。
それに考えてみればこんな異常な情勢下(生きてきた中で最悪といえる)で、何の不安も感じていないほうがむしろ異常だろう。
少しの不安・焦りを感じていることは認めつつも、日常生活には何の問題もなく平穏な日々を過ごせている時点で、なんと稀有で恵まれていることか。
欠けている(と思っている)ピースのことを思い悩むより、今持っているものを慈しんで味わいたい。
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