つづく
1.
祖母が亡くなったあの日のことを、その日までの数日のことを、15年の思い出を、毎日毎日反芻していく。
忘れずに大事に抱えて、たまに取り出しては懐かしくなり、悲しくなり、寂しさで涙が止まらないのだと思っていた。喪失感が一生続くと思っていた。
2.
祖母が亡くなってからは、少し不安定だったと思う。ふとした時に祖母のことを思い出し泣き、昔の写真や動画を見て泣き、人の思い出話で泣き、近くにいる家族すら失うのではないかと不安で泣いた。
同時に抗えない死に対して諦めを感じていた。
人はいつか死ぬ。
生きたいと願っても死ぬ。
死ぬなら後悔せずに死にたい。
今日を出来る限り楽しく生きる。
けれど、今死んでも仕方ない。
そういうもの。
死は受け入れるもの。平等に訪れるもの。
生きたいと願っても。
いつか死ぬなら、失敗も怖くないし他人への気遣いも不必要にしなくていい。
どうせ人は死ぬし。
わがままに自己中に生きようと思った。
どうせ人は死ぬし。
生きながら死ぬことへ思いを馳せた。
死ぬまでに、死ぬまでに!
どうせ死ぬ、どうせ死ぬ。
3.
毎日毎日思い出して涙していたのが、気づけば週一、月1と減っていた。
そして祖母の死から一年半経ったくらいの頃、ある日ふと気づいた。
祖母のことをあまり思い出さないし、思い出しても泣いていない。
誰かの死を想像して恐怖し不安になることも、昔の写真を見て悲しくなることも無かったのだ。
そのことに気づいた時
なるほど、悲しみの器が空っぽになったのだ。
と思った。
例えば、私は悲しみの器を1皿持っていて、そこにはすり切りまで水が張ってある。その水が私の流せる涙の量。
私は祖母の死に於いては、約1年かけて器の水を全て流しきってしまったのだと納得した。
どんな頻度で涙を流すか、どんな器のサイズかは人それぞれ。
ただ、悲しみの涙の量は決まっている。
悲しみの器が空いたらそこに少しづつ楽しい出来事を詰めて、次の辛い出来事に耐えれるよう準備していく。
なんとなく脳内にそのイメージが広がって、だから自分はもう祖母のことでは泣かないのだろうな、とも思った。
楽しかった出来事も、後悔も考え尽くして、全てが流れていったのだ。
4.
先日ロストケアという映画を見た
なんの予備知識もないまま見初めて、途中の介護のシーンでボロボロと泣いた。嗚咽が出るほど泣いた。
主人公の父親が介護をしてくれている息子へ思いを訴えるシーンがとても心に刺さった。
怖いというのだ。
忘れるのが怖いと。
全てを忘れ、記憶をなくし、自分で無くなることが怖いと。その俳優の姿が祖母と重なった。
祖母も亡くなる前、夜中に怖いと言った。
夜中でもテレビも電気もつけて体を起こし必死に寝ないようにしていた祖母。
私は祖母の体力が心配で仕方なく、横にいるから手を握っているから大丈夫だよ、寝ていいよと言ってやった。
自動ベッドの角度を出来る限り眠る体勢になるように下げて、横で手を握り頭を撫でた。
電気は隣の部屋だけつけ明かりが少し落ちるようにして、テレビの音量を最大限小さくした。
祖母は寝ないようにしていたけど、日中も夜中も半分意識は飛んでいて、起きた時も祖母らしい時間はかなり少なくなっていた。
横で手を握っていると急に目を覚まし、怖いと呟いた。
単純に死が怖いのだと思った。眠ったまま戻ってこれないことが怖いのだと思っていた。
自分で無くなることが怖かったのかな。
この映画を見て、初めてその解釈があったことを知って泣いた。忘れないようにしても、忘れてしまうことが、強く生きることを願い、必死で自分であろうとした祖母ならきっと。
そう思うと気づけば泣いていた。
器はもうだいぶ水が溜まっていたらしい。
5.
一生続くと思っていた悲しみは、いろんな折に触れ舞い戻ってくる。新しい発見も得ながら。
8月8日の夕方に大きな地震が起きた。
鹿児島に住む父に、友人に連絡をして安否を確認する。友人は大丈夫だとすぐに返事が来た。
父は電話に出なかった。メッセージも既読がつかない。
広島で大きな災害が起きた時、1番に祖母から連絡が来たことを思い出す。
バイトをしていたり、遊んでいたりですぐには出られず数時間後にヘラヘラと軽く謝りながら電話をすることが多かった。
「なんもないなら安心でーす」
祖母もおちゃらけて返事をしてくれた。
連絡が返ってこないことがこんなに不安だとは知らなかった。ましてや家電しかない祖母はずっとずっと心配していたはずだ。親不孝ものだったなと反省した。
おかげで今日は少し泣いた。
父からは「大丈夫だよ、心配停止」
と微妙に笑えないメッセージが2時間後に届いた。
安堵のため息が出た、生きてて良かった。
祖母もこんな気持ちだったのかなと、また思いを馳せる。新しい発見だった。
6.
悲しみは一生続いてもいいんだと思った。
歳を重ねるごとに、色んなことを体験するごとに、見えなかった側面が見えてくることもある。
記憶と照らし合わせてより明確に鮮明になっていく。
ゆっくりゆっくり変わらない喪失感を噛み締めて、今日も生きる。
どうせ死ぬから、それまでいっぱい泣いていっぱい笑ってもがいてみる。ね。