25歳になって気づいたこと10選【後半】
こんにちは、Kedichanです。
今回は前回に引き続き、私が個人的に25歳になって気づいたことを皆さんにシェアしていきたいと思います。
⑥やる気はいらない
日本の社会、幼い頃からやる気を強要されることって多くないですか?挨拶が小さければやる気がない、やり直し。テストの点数が悪ければやる気がない、勉強しろ。社会人になっても、仕事の成績とは別にやる気がないことを上司から咎められることってあると思います。
もちろん人に与える印象で営業の成績が変化したり、チームワークが良くなったりすることは大いにあると思いますが、やる気にばかり気を取られてしまって、無駄なことに時間を割いてしまったり、シンプルな人間関係も複雑に思えてきたりして、それはやる気の無駄遣いなんじゃないかと。
私自身、前職では他人のために自分のモチベーションを上げるということが多かったです。いつの間にか自分の当初の目的を忘れてしまい、他人の期待にばかり応えようとしていました。でも、やる気がなくても生きていけるんです。知らず知らずのうちに他人のために生きているなんて、もったいないんじゃないかなと思います。
⑦途中で何かをやめてもいい
根性で最後までやり抜くことは素晴らしいと思います。あなたが何かを目指していたり、何か成し遂げたいことがあるのであれば、その労力やその時間は決して無駄にはならないと思います。
でも途中でやめてもいいと思えるようになりました。この長い人生の中で何かを続けられることに巡り会えることの方が奇跡なんだと、25歳でようやく私は気づきました。今まで、何事も最後までやらないと中途半端だとか、根性なしとか、途中で辞めたら誰かにそう言った言葉を投げつけられるんじゃないかと怖かったんです。
⑥の気づきも⑦の気づきも、他人軸で自分の行動を決めていたんですね。
⑧自分を受け入れる大切さ
皆さんは自分のことをありのまま受け入れられていますか?私は今まで自分に過度な期待をしがちでした。なぜなら、期待をしても私はそれに応えてきたからです。ありがたいことに、自分が挑戦したいことは挑戦できるような環境を与えられ、運良くここまでやって来ました。
でも、やっぱりどこかで無理をしていたんです。前職では、思うように自分の能力を伸ばすことができなかったり、うつ病になって働くことができなくなって、どうして他の同期は難なく働くことができているのに自分は出来ないんだ?と自分を責めることが多くありました。
不器用な自分も、自分の期待通りにできない自分も、良い面も悪い面も、全部自分です。そんな自分を受け入れられるようになってから、少し肩の荷が降りたような気がしています。
⑨他人の言葉は受け入れなくてもいい
他人の言葉に惑わされることってありますよね。友人が言った一言、全くの赤の他人が言った一言、大切な人が言った一言。全てに意味があると考えると身動きが取れなくなってしまいますよね。
でも人は変わります。思考も変わります。そしてその人の発言も変わります。何かに迷った時、色々な人の意見を聞くことは良いことだと思いますが、どの言葉を信じるかは自分次第で、それを信じた責任も自分にあります。
⑩会社は宗教
最後にこんなものを持って来ました笑
これ思ったこと、ありませんか?会社ってすごく興味深い組織だと感じます。何か目標のために組織一丸となって毎日毎日動いているんですよね。組織は人間から出来上がりますから、やっぱり人のように日々変化していく。
その中で何を信じて進んでいくか、どんな考えが根底にあるのか。そんなことを考えていると、やっぱり宗教のように何か信じられるものがないとその組織に属するのが辛くなってきます。価値観が違えば、他の宗教に入ることもできます。
実際に社会人として、その組織に両足を踏み入れたからこそ、その組織の色や問題、自分との相性を確かめられるのだと感じでいます。
以上、私が25歳になって気づいた10個のこと!いかがでしたでしょうか?共感するところ、そうでないところ、一つの25歳観を見ていただければ幸いです。
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