次男から学んだこと:「不登校」ではなく「選択的登校」という考え方
この春、次男は特別支援学校の高等部2年生になりました。
担任の先生やクラスメイトも変わり、一年前に高等部に入学したときのように、心機一転、また学校に通ってくれるのではないかと淡い期待を抱いていました。
4月の始業式からしばらくは週に2,3日、毎回1,2時間程度ではありますが、授業に参加することができました。学校での表情も比較的穏やかで、1年生の三学期は、ほとんど登校できなかったことを考えると大きな進歩だと思います。
精神が不安定に
ところが、4月下旬になりGWが近づくにつれて、精神的な疲れもでてきたのか、徐々に休みがちになっていきました。そして4月下旬のある日の朝、「もう学校に行きたくない!」と言って、壁に貼ってある本人のスケジュール表をビリビリに破いてしまいました。
次男は比較的おだやかな性格で、普段はどちらかというと(長男と違い)物静かな方なのですが、この頃は不安やイライラが募ってくると、攻撃的な言動が目立つようになりました。
16歳ということで、そういう年頃なのかもしれませんが、自傷や他害行為にエスカレートしていくのではないかと、親としてかなり心配な状況でしたし、実際に周囲の人に暴言を吐いたり突き飛ばしたりすることさえありました。
ひとまずは学校のことを忘れて気持ちをリセットする時間が必要なのではないかと思い、GW期間も含めて、1ヶ月ほど学校をお休みすることにしました。
きっかけは校外学習
ということで、しばらくは学校を休んでいたのですが、5月下旬に学校の校外学習で葛西臨海公園に行く機会があることを伝えると、意外にも本人は「参加したい」と即答。校外学習に向けて事前学習が行われる日には、一ヶ月ぶりに学校の授業に参加することもできました。
葛西臨海公園は、これまで家族で何回も行ったことがあり、本人にとってお馴染みのスポットでもありましたし、1年生のときに同じく校外学習で参加した東京タワーの楽しかった思い出もあったのだろうと思います。
校外学習当日は大型台風接近中であいにくの天気でしたが、私が車で現地まで送迎して、葛西臨海水族館で先生や友達と一緒に楽しい時間を過ごすことができたようです。さらに、その翌週に行われた校外学習の振り返り授業にも参加することもできました。
大好きなプール授業
また、6月から学校の体育の時間にプール授業が始まったのですが、これにも参加することができました。
様々な障害をかかえる生徒が通う特別支援学校において、プール授業に参加する条件として、内科や耳鼻科等の検診を受けた上で、最終的に医師の許可が必要になります。
次男の場合はしばらく学校を休んでいた為、校内で実施された検診を全く受けておらず、自ら病院に出向いて診察を受ける必要があったのですが、その旨を本人に伝えたところ、なるほど、それならば出向きましょう!とばかりに、難なくクリアすることができました。
次男のプール授業に対する異常なモチベーションに驚かされるとともに、正直病院に付き添う親の方が大変ではありました。
「選択的登校」という考え方
普段の授業に参加したがらない一方で、興味関心のある授業には積極的に参加する本人の様子を見ていると、どうやら学校自体が嫌いなのではなく、目的も意味も分からないまま、ただ何となく学校に行くのが嫌だっただけなのかも?と気付かされました。
今後、親として本人にできることは、学校の授業も含めて、身の回りのことに少しでも興味関心を持ってもらえるよう、本人に分かりやすく伝えることなのかもしれません。
その上で「何に参加して、何に参加しないのか」本人自身に決めてもらう事、つまり「学校に行かない=不登校」ではなく、「選択的登校」という風にマインドを切り替えていく必要があるのではないかと思い至るようになりました。
とにかく何でもいいから学校に行かせようとしていた私自身が「目的と手段」を履き違えてしまっていた訳で、次男には大変申し訳ないことをしたと反省しているところです。
これからの時代の学びのありかた
TwitterなどのSNS上では「なんのために学校に行くのか」とか「それを学んでなんになるの?」という議論がよく行われているようです。
ちなみに、その際やり玉に挙げられることの多い「三角関数」ですが、私自身はめっちゃ仕事で使っているので、これに関して言えば「必要派」ではあります(笑)
それはともかく、実際のところ「それホントに将来の役に立つの?」というカリキュラムが無いわけではありません。息子が通う特別支援学校は、卒業後の就労に向けて実践的な内容の授業が多くあるので、普通の学校とは事情が異なる部分があるとは思いますが。
AIの台頭により、将来どんなスキルが必要になるのか、まったく予測もつかない今の世の中で、古くから行われてきた授業の全てに参加する必要はそもそも無いのかもしれません。
これから時代の学びのありかたとして、「選択的登校」または「選択的参加」という考え方が、ますます重要になってくる予感がしています。