見出し画像

ライカを持つ理由

こんにちは、キートンです。

以前から何度かライカについて書いてきたものの、下書きのまま公開できずにいる記事が数件あります。

今回はこれまでの記事はひとまずおいといて、どのようにしてライカを買うに至ったのか、そしてなぜライカを持ち続けているのか、私なりの言葉で書いてみたいと思います。
※以下、ライカと書いているものはM型ライカのことを指します。

プリミティブ。

今のこの場所ならF8で1/250だなと、指先でコトコトと絞っていく
そして、カチャッとフィルムを巻き上げる

ドラム缶の影から顔を覗かせる子猫まで3メートルほど
普段から3~5mの辺りにピントを置いてるので、
人さし指に掛けたノブをすこし引きスッとピントを合わす

ふと子猫の表情が変わった瞬間に、カシャッとシャッターを切る
まだ逃げずこちらを見つめているので、絞りを半段あけて、もう一度切る
さて次に行こうと歩き出そうとすると、子猫はまだこちらを見ていた

「写真にまつわるモノコトblog」 2008年6月12日より

この文章は、16年前に子供が生まれるタイミングで購入したLeica MPで、妻の実家の近くを散歩した時のことを当時のブログに書いたもの。

購入して間もない頃だったので、文章からライカの作法を意識しながら撮影していることが分かる。ちなみに、この記事を書いた3日後に娘は無事産まれた。ハロー、ワールド!

Leicaでのファーストカット、出産に立ち会えて良かった

ライカのイメージ

まず、ライカ以前の私のカメラ歴の話をしておきたいと思います。
私の最初のカメラはCANONのEOS7s、いわゆる全自動AF一眼レフと言われるものでした。

その後、写真を勉強するにはMF一眼レフが良いとのことから、NIKONのFE2というカメラに乗り換えた(当時の写真学生はnewFM2が多かった)。

ニコンとアニー・リボビッツ 当時のブログから

ある程度写真に慣れてくると、一眼レフは仕事向きなカメラだと感じるようになり、リコーのGRシリーズ、京セラのコンタックスTシリーズのようなコンパクトカメラや、ペンタックス67や二眼レフのローライフレックスなど中判カメラを使うようになっていった。
使うフィルムはカラーからモノクロになり、暗室に入り夜な夜な印画紙と格闘していたのもこの頃。

当時愛用していたRolleiflex 3.5F、同じモデルを2台所有していた

ライカの存在は写真を始めたころから知っていた。ただし、私の周りでは誰も使っている人が居なかった。
当時わたしのライカのイメージは、裕福だけど写真をあまり撮らない人たち、コレクターズアイテムとして収集し、フィルムを入れずにシャッターを切ってその感触を味わう、写真を撮ることよりもカメラの話をする方が好き、そんな方が使っている、言い方は少し悪いけど、そんな感じだった。ゴメンナサイ。

ライカを使う写真家たち

一方で、写真の歴史を紐解いていくと、数多くの巨匠たちがライカを愛用していた。アンリ・カルティエ=ブレッソンやエリオット・アーウィットをはじめ、1970年代までは報道やストリートスナップの世界ではライカがスタンダードなのでは?と感じさせるほどのものだった。
日本では、荒木さんがM6を、ハービーさんがM3を使っており、ライカで撮る姿を見ててとてもいいなと感じていた。
その他、植田正治さん、映画監督のヴィム・ヴェンダース、大好きなファッションフォトグラファーのジャンルー・シーフとライカを愛用するフォトグラファーの名前をあげればキリがない。わたしの「いつかはライカ」はこうして生まれた。

写真展でエリオット・アーウィットご本人からもらったサイン

レンジファインダーという機構

スナップというジャンルで写真を撮っていると、カメラは小さくて軽い、もしくは圧倒的に大きく目の前の光景と対峙しながら撮るみたいなスタイルが自分には合っていることに気付く。
また、写真を撮る上で、余白とでもいうのか、少し曖昧さを残したところに心地よいバランスがあると感じるようになり、生真面目な一眼レフは使わなくなってしまった。

いちばん機材ジャンルが混在してた頃 ハッセルはたった1ヶ月で手放した

一方で気になってきたのが、レンジファインダー、いわゆる二重像合致式のカメラ。
古いコンパクトカメラによく搭載されていた機構だが、一眼レフの台頭とAFの進化でライカ以外はほぼ辞めてしまっていた。
ただし、いきなりライカを買うにはあまりにも高価すぎるので、手始めに当時コシナが発売していたBessa R2というレンジファインダーカメラを試してみた。
だが、正直にいうと、この時はレンジファインダーで撮るよりも当時使っていたHEXARの方がいいや!となって程なく手放してしまった。
この頃は本当になんでも買って使ってみないと済まなくて、ありとあらゆるカメラを買っては試していた。

2005年に購入のBESSA R2、当時のブログに写真が残ってた

当時もライカは高かった。

最初に書いたように、娘が生まれるとわかった時に、記念にライカを買うことを決めた。家族の記録はできるだけフィルムそしてライカで残そうという想いと、結婚して家族が増えるとそう何度も高価な買い物をすることは難しいだろうという冷静な判断もあった。

購入したライカは、leica MP(0.72)という当時の現行品だった。
付き合いのある中古カメラ屋さんに状態のよいMPが2台あり、そのうちの一台を買わせていただいた(もう一台はSilverの倍率0.85モデルだった)。
ちなみに、お値段は27万円、新品だと当時35万円くらいだっただろうか?
いまはとてもそんな値段では買えないが、それでも当時の自分には驚くほど高価だった。
レンズはズミクロンの35mmと50mm、どちらも第3世代でカナダライツのもの。
値段が比較的安価だったことに加え、この時代のフォーカシングノブがスナップに適していたというのが理由。
それでも、ボディとレンズ2本で45万円くらい掛かったように記憶している。ライカ、恐るべし。

MPは、M4時代の復刻ストラップ、Gボタン、そして巻き上げクランクを付けて使っていた。

ライカは写真の基本を教えてくれる

再び、ライカを使うようになって2年経過した頃に書いた文章を掲載します。
※露出計がついてない古いフィルムライカを前提に書いています。

ライカと自転車。

ライカは不便かもしれません。
まず、ほとんどの人が露出が分からなくてとまともに撮れない。
EV値を言われても、絞りとSSをどう合わせて良いか分からない。
そういう方は、絞りとSSとピントをあわせて、その上で良い瞬間なんてなかなか撮れないだろうと思います。

ただし、そんなカメラでも過去に数え切れない名作が生まれています。もちろん、今も。
何故でしょう?それはつまりやれば出来るからです。もちろん、誰でも。

〜省略〜

光を見て露出が分かるようになる、難しいです、でも出来る。
EV値で絞りとSSがさっと設定できるようになる、別に名人芸ではないです。
ピントをサッと合わす、理論じゃなく実践的にはなんとかなります。

補助輪なしで自転車に乗るように、とにかく身体と頭に覚えさせる、もちろん、3日後に出来るようになったりはしません。
ヒザを擦りむくような経験もします。でも、そのおかげでできるようになります。

曲がるのにハンドルでなく、体重移動でできるのと同じように、
ピントをあわせるのがピントリングだけでなく絞りでもできるようになったりします(事前にピントを置けるようにも、なる)。

ただし、補助輪を付けていては出来るようになりません。

いろいろと大変な思いをしながら、ライカを上手に使えるようになる。
これはステキなことだと思います。

補助輪を外してみませんか?

「写真にまつわるモノコトblog」2010年 03月 10日より

ライカを持つ理由

ライカを買ったから、その後はライカばかりで写真を撮っていたかと実はそうでもない。
引き続き、ローライフレックスで6×6写真を撮っていたし、スナップではリコーのGR1sもよく使ってた。ライカのサブにミノルタのCLEやコニカのHEXAR RFを使ったこともある。

ただし、いろいろなカメラがある中で、写真を撮る行為の中に、禅のように心が整う感覚が生じるのは、私の経験ではM型ライカ、そして先に所有していたRolleiflex3.5Fくらいのように思う。

娘を抱えながら、シャッターを切る妻

ものづくりに関して私が好きな本があり、その中に大事だと思う一文があります。

「こんなものでいい」と思いながらつくられたものは、それを手にする人の存在を否定する(→丁寧につくられたものは、それを手にする人の存在を肯定する)。

西村佳哲『自分の仕事をつくる』より 

少し使うと分かりますが、ライカにはスペックに現れないところにも作り手の強いこだわりが感じられます。
必要であればどこまでも手間をかける、手作業が多く生産できるロットは限られる。そのために価格も高くなり、欲しくてもすぐに手に入るとも限らない、ということが起こる。それを受け入れてくる人のみを自分たちの顧客にする、という姿勢がプロダクトに現れている。

わたしも同じような姿勢で写真と向き合っていきたい。ライカを手にし、自分が大事だと思うものにレンズを向けていきたい。これが、私がライカを持つ理由。

以上、次回はデジタルのM型ライカを手に入れた時の話も書いてみたいと思っていますので、のんびりお待ちください。では、キートンでした。


いいなと思ったら応援しよう!