レコード神社『頭脳警察III』頭脳警察
思い出に復讐される。
そんな目にあったこともない私自身の若葉の頃。
中学3年生。
あの頃には戻りたいと思う。
少年の何も犯されていない耳で音楽を聴きたい。
現時点ではそう思えるが、
当時の私は
読み返す思い出なんかより欲求を満たすためだけの
アニマルマシーンであった。
部活は卓球部に所属
ラケットに貼ったシールを先輩にとがめられ
そく退部
気合の入った帰宅部として
放課後のアウトドアライフを満喫
頼まれてないのに蜂の駆除
よせばいいのにゴムボートで川下り
河川敷でのキャンプファイヤー
やりたいことを好きなときにやっていた
あの頃が僕の人生の中で
春だったのだろう。
子供だけでよくやってたな
発想自体は
大人になった今よりも、あのときの方が
豊潤であった気がする
反省なんかしないほうが
人間は色鮮やかに生ききれるのではないだろうか。
「このアルバムの1曲目をかけてね。
チョット長いけどすぐ終わるから」
分かりましたといったものの
放送部の小林は動揺していた。
アルバムのジャケットからは見たこともない人だった。
昔の音楽であることは察しがついたが
嫌な予感しかしなかった。
先週かけたハイスタンダードは先生から
食事中にはうるさいだの
職員室では
そもそも生徒が給食の音楽をかける事自体位が
どうなのかといった議論が持ち上がっていた。
その日の給食はカレーだった。
中学校に頭脳警察が流れるのを祝祭しているようであった。
牛乳をちびりちびりと飲む間
緊張がみなぎる、僕の異質さに気がついたのか
友人たちはこれから始まることに期待を膨らませ
自然と耳を学内放送に傾ける。
担任はゆっくり味わいながらカレーを堪能している。
黒板に『さよなら世界夫人よ』の歌詞でも書いておけばよかったと
後悔した。
湧き上がるこの気持ちは悪戯心なんて可愛いものじゃない。
学校や先生への反抗なんていうわかりやすいものじゃない・
湧き上がるものは興奮だ
自分から社会に参加できた興奮だ。
興奮が突き動かすのか、理由があって行動を起こしたのか
未だにわからないが
当時、使っていた社会の教科書に
映画「仁義なき戦い」の監督の言葉をノートに写していた
『私は暴力を否定できない』
深作監督の名言である。
中学3年生の僕にとって
生きていることを学ぶために必要な言葉だった。
日本の大学でバリケード封鎖が行われたこと。
学生運動が行われたこと
など記憶の片隅にもない田舎の中学校の
お昼の放送に頭脳警察の「ふざけんしゃねえよ」を
かけられたことは将来の自分を決定づけた。
放課後、職員室に呼び出されたことは言うまでもない。
恐れるものは何もない。
僕のポケットには<確固たる意志>があるからだ。
ロックという意思が。
田舎の少年に歴史を考えさせ、
現実を洞察する目を持たせる
意思を樹立させる。
未だに頭脳警察には少年を勃たせる凄みがある。
近頃は会社の帰り道ではアンダーカバーを聴くのが日課です。
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