縁とは美しい
約3ヶ月前のこと、あるフリーライターさんからこのnoteを通して連絡がきた。
過去に僕が投稿したあるエッセイを気に入り、Webメディアにて掲載したいとのことだった。
そのエッセイというのがこれ。
懐かしい。
この投稿が約1年前ということに驚きを隠せない。
このエッセイは周りからの評判も良く、僕の代表作と言っても過言ではない。
内気で人見知りな僕が、あることをきっかけに社交的になるというお話しで、いま読んでも当時のことを鮮明に思い出す。
読んだことない方はぜひ読んでみてください。
絶対に損はさせません。
このエッセイをライターさんの感想を交えて一つの記事にし、それをWebメディアに掲載させてほしいとのことだった。
僕はこんなこと初めての経験だったので、嬉しくも戸惑いを隠せなかった。
ぼく的にはぜひお願いしますといったところだが、念のため事務所に確認するという旨をライターさんに返信した。
そして、すぐに事務所へ連絡すると「損するような内容ではないので、基本OKで大丈夫です。」と、軽く流されるような回答を受けたので、ライターさんに掲載許可の連絡をした。
掲載前に確認の原稿が送られてくるとのことだったので、僕は出来上がりを楽しみに待っていた。
そしてそこから1ヶ月、何も音沙汰がなく時だけが流れた。
僕は (記事作るのってけっこう時間かかるんやなあ〜〜) と、のほほんと思っていた。
そしてそこからまた1ヶ月、何も音沙汰がなく時だけが流れに流れた。
ん?忘れられた?
期待だけさせる変な詐欺に引っかかった?何これ?
ライターさんにどうなっているか連絡しようと思ったが、なんか催促しているようで申し訳なかったので、確認の連絡は断念し、僕は考えるのをやめた。
そしてそこからまた1ヶ月、何も音沙汰がなく時だけが流れすぎた。
僕はこの件のことを完璧に忘れていた。
Webメディアへの記事掲載のやり取りなんてなかったかのような顔で、毎日を必死に生きていた。
そして3週間前のこと、僕に1通のメールが届いた。
「このたび初稿が完成しましたので、お目通しをお願いしたいと考えています。」とのこと。
おわ〜〜、なんかそんな話あったな〜〜、やっとか〜〜うえーい〜。
最初の連絡から初稿が完成するまで、約3ヶ月という月日だったが、僕の体感ではちょうど2年半ぐらいの長さだった。
初稿を開き、出来上がりを拝見。
僕のエッセイに対する愛情とリスペクトが感じられる素晴らしい記事に感動した。
内容は申し分なさすぎた。
だが、タイトルだけが少し気になった。
【コミュ障だった27歳のぼくが、陽キャの外国人と5時間バイトしただけで人生が激変した話】
ん〜〜。
おれコミュ障ではないよな〜?
いやたしかに人見知りで無口で根暗やけど、たぶんコミュ障ではないんよな〜。
まずコミュ障なやつ芸人になろうとか思わんやろ〜〜ん〜。
あと陽キャの外国人て。
外国人はみんな性格が明るくて良いっていう話なのに、俺がその日関わった外国人たちがたまたま陽キャだったみたいなニュアンスになるのは嫌やなあ〜どうしよ〜。
タイトルかあ、難しいなあ。
そこから、僕のタイトル探しが始まった。
【27年間根暗だったぼくが、ある日雇いバイトで5時間働いただけで人生が一変した話】
ん〜これはちょっと詰め込みすぎか〜。
【ぼくが日本人に言いたいこと「異国の集団に5時間混ざれ」】
ん〜なんか上から目線でムカつくなこれ〜。
【お金がなかった。だからある日雇いバイトをした。それだけで人生が変わった。】
ん〜これはなんかそのバイト先で今後も働くことになってそこから上に登りつめたというストーリーに思われそうやなあ〜。
【人見知りで根暗で無口なぼく、ある日雇いバイトがきっかけで人生が激変した話】
ん〜〜、これか〜?
これが無難そうか〜?
うん、これ以上のタイトルは思いつかん、これでいこう。
ということで、記事はとても気に入ったが、タイトルだけこれに変えてほしいということをライターさんにお願いした。
するとライターさんから、いま編集部に確認中だが、もしかすると僕のタイトル案が通らない可能性もあるという連絡を受けた。
それは仕方がないことなので、僕は了承の連絡をしたのだが、特に「陽キャ」という言葉が気になったので、できればタイトルから陽キャという言葉をなくしていただきたいということを伝えた。
そして数日後、完成した記事がこれ。
「陽キャ」を「見知らぬ」に変えるだけでこんなにも記事のイメージが変わるのか!やっぴいやっぴい!
もちろん内容は申し分なし!みんな読んでちょうだいな!損はさせません!
実はこのライターさん、大学時代にアフリカのスワヒリ語を専攻しており、異文化に強い興味を持っていて、僕と同様、外国の方の陽気さに何度も救われた経験があるとのこと。
それで僕のエッセイと出会い、ぜひ記事にしたい思ってくれたらしい。
僕の投稿が誰かに見られ、共感や感動を呼び、こういった形で記事になるなんて、縁とは美しいものだと感じた。
今もどこかで誰かが僕のエッセイを読んでいるかもしれない。
そしてもしかすると、その人が誰かに僕のエッセイを今お勧めしている最中かもしれない。
そう考えると、とても不思議で、とても豊かな気持ちになる。
この度は、ライターさん、編集部の皆さん、この記事に携わってくれた全ての皆さま、僕の平凡なエッセイを素敵な記事にしてくださり本当にありがとうございました。
この記事が多くの方に届けばいいなと心から思っています。