猫背モンスターたちとの戦い
先日、整形外科に行った日のこと。
背中のレントゲンをとってもらい、診察を受けるとお医者さんから「姿勢が悪いですねえ」と言われた。
レントゲンを見ると、僕の背骨は綺麗なS字を描いていた。
そのお医者さんの一言で、僕は自分が猫背であることを久々に思い出すとともに、頭の奥の方にあったある記憶が蘇った。
小学校6年生のとき、学年全員が急に理科室に集められ、順番に姿勢を見られた。
僕の記憶では、何の前触れもなく急にそのイベントは始まった。
外部からお医者さんが何人か来ていたため、流石にゲリラ的なイベントではなかったと思うが、事前告知された記憶もない。
しかもそのイベントは小学校6年生のときに開かれた1回だけで、小1〜小5までは確実になかったものだ。
僕たちは、何を見られているかもあまり理解しておらず、皆いぶかしげな表情で理科室から出ていた。
お医者さんたちは工場のライン作業のように、次から次へとやってくる小6たちの姿勢を機械的な動きで測定していた。
お医者さんたちは全員が全員、無機質な表情をしていた。
後にも先にもあんなロボドクターたちを僕は見たことがない。
ワンピースのイッシー20を見ているようだった。
その何週間か後、僕は担任の先生に呼び出された。
理科室で行われた姿勢測り大会の記録が悪かったため、今度は別の機関にまわされるとのこと。
(いや聞いてないってそんなの、別の機関にまわされるぐらい重要なやつならもっと姿勢良く見せたり事前に準備したりしたって、学校内で完結するやつかと思いよったやん、なんなんもう先に言ってよ)
僕は担任の先生にそう抗議しようとしたが、小6が故に思っていることを言語化できず、口をぱくぱくさせるだけで言葉は何も出てきやしなかった。
そして後日、昼休みを終えた後、僕と隣のクラスのS川君だけが招集された。
学年全体で80人以上が受診したのにも関わらず選ばれたのは2人だけだった。
僕はあまりの選出率の低さに、妙な勝ち誇りを得ていた。
姿勢が良い2人ではなく姿勢が悪い2人が選ばれたので、本来なら負け惜しまなければいけないところを、2人だけ選ばれたというこの状況に脳が錯覚し、次のコマに勝ち進んだのだと勘違いしてしまっていた。
そして、皆が5時間目の授業を受ける中、僕たちは学校からタクシーに乗り、15分ほどかけて次のステージへと向かった。
皆は授業を受けているのに、僕はタクシーに乗っているという優越感に浸っていた。
タクシーには運転手さんと先生、僕とS川君の4人が乗っていたのだが、車内は終始、絶妙な雰囲気だった。
というのも、S川君は小5のときに転校してきて、そこから一度もクラスが被ったことがないので、僕とS川君はほぼ会話したことがない。
連れ添いの先生も別に担任の先生とかではなかったので、S川君はもちろんのこと、僕もあまり話したことがなかった。
一応言っておくが、運転手さんも今日初めて会った人なので話したことはない。
先生が気丈に振る舞い、場を和ませようと口火を切るが、会話を広げるのは僕ばかりで、真面目な性格のS川君と運転手さんは何も機能していなかった。
口火を切った先生も、おそらく頑張って話題を提供していただけなので、その話題についてはゼロ興味の顔をしていた。
何を喋ったかは全く覚えていないが、現場に到着するまでの15分間、とにかく僕が頑張るだけの時間が続いた。
今考えると、このときから芸人への道が開けていたのかもしれない。
頑張るだけの時間を耐え抜き現場に着くと、そこは大きな高校だった。
大きな高校の大きな体育館で診断を受けるとのこと。
高校はおろか中学校にも足を踏み入れたことのない僕は、なにか飛び級をしたような感覚になり、少し大人になった気がした。
体育館へ入ると、各地から勝ち上がった猫背の猛者たちが目をギラつかせながら集っていた。
(、、やばい、殺られる、一瞬の油断が命とりだ、、)
僕は全員を睨み返し、我こそが王者だと言わんばかりに、猫背の体勢で堂々と歩いた。
市内大会でこれなら全国は計り知れない猛者どもがいるはずだと、これから対峙する強敵たちを想像し全身が震えた。
体育館はなぜか電気がついておらず、窓から入ってくる光も弱かったため、これからバトルロワイヤルでも始まるのかというぐらい、あたりは薄暗かった。
そして、とうとう僕の順番になり、僕はS川君に、先に様子を見てくるというようなアイコンタクトをおくり、パーティションの向こう側へ行った。
席に座ると、お医者さんから20秒くらい姿勢を見られた後、あっけらかんと解放された。
S川君も20秒ほどでパーティションの向こう側から出てきた。
あとは結果を待つだけなのだが、僕たちの夏は20秒で終わったのかと思うと、なにか物悲しくも清々しい気持ちで体育館を出た。
帰りの車内では、僕とS川君は修羅場を潜り抜けた戦友、僕たちと先生は長年いっしょに戦ってきた師匠、運転手さんは僕たちの帰りをずっと待っていた幼馴染のような構図になり、もうお互いが信頼関係を築いていた。
行きの車内では想像つかないほど、暖かい空気で車内は包まれていた。
学校に着き、別れのときは少し寂しかったが、僕たちの戦いはまだ始まったばかりでこれからだと、また次のステージでみんな会えると、そう言い聞かせながら僕は自分の教室に戻った。
6時間目の授業の途中に戻ったのだが、熱い戦いを終えた僕を讃えるものは誰もおらず、僕はこのクラスの誰も知らない世界を知りながらも普通の授業を受けているということに、これまた優越感に浸っていた。
普段は普通の小学生だが、裏では猫背モンスターたちと戦っていることに誰も気付いていないのだ。
僕は、その日の授業は上の空で、戦いを振り返りながら眠りについた。
そして後日、担任の先生から「こないだの姿勢の結果大丈夫だったみたいよ、よかったね」と、さらっと市内大会で敗退したことを告げられた。
S川君も敗退し、僕たちの戦いはここで終わった。
他小の猫背モンスターたちの覚悟の方が強かったのだ。
あれからS川君と話してはいないが、僕たちはまだあのときの猫背代表として、お互い戦い続けていることだろう。
というようなことを、整形外科で思い出し、一瞬でこの物語を脳内で処理し、僕は「そうなんですよねえ」と、お医者さんに返答した。
このお医者さんも当然知らない、僕が猫背代表として猫背モンスターたちと戦っていたということを。
診察を終え、待合室の椅子に腰を据えた僕は、あの日のような優越感に浸っていた。