場面緘黙症の体験談
初めまして"ケーゴ"です。
この度noteをはじめました。
マイペースに頑張りたいと思います。
突然ですが、皆さんは"場面緘黙症"という言葉をご存知でしょうか?
ご存知でない方へ少しだけ説明をします。
・場面緘黙症とは
家庭内では話すことが出来るが、社会的場面(学校や職場など)で話すことが出来なくなる症状。
場面緘黙症という言葉を知らなければ、
「人見知り」
「コミュ障」
などと思われるかも知れませんが、そんな簡単な言葉では表せないちゃんとした病気です。
実は僕…その場面緘黙症の経験者です。
ということで今回は場面緘黙症の体験談をお話しようかと思います。
なかなか知られていないこちらの病気を皆さんに少しでも、頭の片隅にでも置いてていいので、知って頂きたいです。
それではお話して行きたいと思います。
僕は生まれつき人見知りで、両親の影に隠れてヒソヒソしていた人間です。
よく周りから「恥ずかしがり屋さんだねぇ〜。」
と言われていたのを覚えています。
そんな僕ですが、あの程度日にちが経ち慣れてくると、差し支えなく遊べていました。
喧嘩したり、泣いたり。
ごく普通の子供でした。
ですが、小学三年生の頃、
クラス替えから、友達作りに失敗してしまって、人と会話する回数が極端に減りました。
記憶を遡っても、三年生の頃は友達と遊んだ記憶はありません。
そんなこんなで、小学四年生へと進級しまして、何とか二人の友達作りに成功しました(友達はA君、B君とします)。
その友達とはサッカーをして遊んだり、ゲームをして遊んだり、たくさんの事を経験していました。
ですが、"こちらから話しかける"ことはなく、"話しかけられたら話せる"という状態でした。
申し訳ないなと思いながらも、やっぱり友達と遊ぶのは大好きだったので、楽しかったです。
そして、とある日、事件が起きます。
いつも通りの学校生活、六時間目の算数は移動教室でした。
その際の鍵係は僕の友達、A君でした。
授業が終わりクラスへと戻ったところ、A君が部屋の鍵を開けようとしますが、その手を途中で止め、僕の所へと駆け寄ってきました。
そして僕の隣で一言、
「あいうえおって言って。」
一瞬で頭が混乱しました。
ん?何を言っているんだろう。と思い、だんまりとしていたら、さらに近づいて耳元でもう一度
「あいうえおって言って。じゃないと鍵を開けないよ。」
こうA君は行ってきました。
普通の人の感性なら「なんで喋らないんだよ!」と言ってしまいそうになりますが、
場面緘黙症は
"話したくても話せない"
病気です。
声に出そうとすればするほど喉の奥がつっかえてしまい、物理的に声が出ない状態に陥ります。
なんとも不思議な感覚です。
早く喋らないと、クラスのみんなが迷惑する。僕のせいで。
もう辛かった。
昨日の事のように覚えています。
時間が経てば経つほど、ハードルは上がっていき、周りの目も厳しくなってくる。
生きた心地はしませんでした。
どうしようかと頭の中を混沌とさせていたら、A君が、
「え?泣いてんの?」
と一言。
泣いてもなかったし、泣く気もなかったのですが、その一言が引き金となり大粒の涙を流してしまいました。
流石にまずいと思ったのか、A君は鍵を開けて、何事もなく帰り支度を始めました。
ですが、担任の先生に見つかってしまいます。
帰りの会で先生はクラスに叱責をし、放課後にA君と僕と先生で話をしました。
色々話しましたが、結果的に「ごめんなさい。」「いいよ。」と言うやり取りでその場は解決しました。
ですが、
明確に、
僕の心には穴が開きました。
周りと僕とは何かが違う。明確な差に劣等感を感じてしまいました。
その時から緘黙に拍車がかかり、話しかけられても肯定する時は頷き、否定する時は首を振る、という、学校生活で話さない人間になりました。
登校拒否もするようになったり、授業では分からないところが聞けません。学業にも影響を及ぼしてしまいました。
踏んだり蹴ったりです。
そのまま友達を作れることも無く、中学、高校と時は経ちました。
ヤンチャをしたり、恋をしてみたり、そんな青春時代は僕の中では夢物語となりました。
大人になって場面緘黙症という言葉を知り、よく、早く気付いてればどんな世界が待っていたのだろうかと耽ることがあります。
HSP気質、鬱病、キリがないほど精神面でマイナスを抱えてしまいました。
数年前は笑えない日々を歩んでいて、いつ死のうかなんて考えたこともあります。
今ではある程度落ち着きました。
もちろん、生まれつきの気質を変えることはほぼ不可能で、ネガティブな事を考えるのは尽きませんが、
ですが、考え方を変え、その気質を個性と受け止め向き合ったり、余裕を持つため瞑想をしてみたり…etc…
たくさんの部分を変化させてきました。
昔と今を比べると、心の部分で大人になった気がします。
今では少しでも多くの場面緘黙症の子供たちを救いたいと思えるようになりました。
noteでの執筆活動もその一貫です。
終わりに
場面緘黙症について調べてみると、自分と同じような症状を持つ人がたくさんいることを知りました。
また、症状を改善する方法もいくつかあることを知り、少しずつ自分の症状を改善しようと努力しています。
今では、以前よりも話すことができるようになりました。
まだ完治しているわけではありませんが、少しずつ改善されていることを実感しています。
場面緘黙症は、周りの人たちからは理解されにくい病気かもしれませんが、実際にその症状を持つ人たちは、とても苦しんでいることが多いです。
もし、周りでそのような症状を持つ人がいたら、理解を示してあげてほしいと思います。
そして、そのような人たちが、少しでも自分自身を改善する手助けをしてあげてほしいと思います。
今、生きるのが辛い方、僕でよければ相談に乗ります。
解決が出来なくとも、相談するだけで何かが変わるかも知れません。
あなたは一人じゃないです。僕がいます。