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人生はネタづくり


こんにちは!あいでんです。

昨日はとある家族とのお食事会でした。元々は地元のサッカークラブに所属している子ども同士が仲良くなり、それが発展して家族ぐるみの仲となった。

かれこれ10年くらい経つだろうか。


こういう家族ぐるみの仲というかコミュニティのでき方というか、昨今ではほとんど無くなった気がするのでとても貴重に感じる。

そのサッカークラブは私の父が監督を務めているのだが、先方の子ども(末っ子)が卒団するにあたって節目を祝おうと会合したわけだ。

先方の三兄弟にはなぜかは知らんが兄と呼ばれ(慕われているかは知らんが)、親御さんには息子のように可愛いがってもらっている。


当然ながら昔話に花を咲かせることになるわけだが、昔話はたいていが美化されがちだ。思い出補正とかいうやつ。

特に辛かった話や苦労した話というのはたいていが「あんなことあったね〜」と笑い話として思い出に変わる。

人間とは不思議なもので、思い出深く記憶に残っていたり、いつまでも笑い話のネタになったりするのはキツかった時や苦労した時や恥ずかしい思いをした時の話なのである。


なぜだろうかと考えてみると「記憶」が関係しているのではないかという結論にいたった。

「やられた方はいつまでも覚えている」とか、「嫌なことはなかなか忘れない」とか、マイナス系の出来事は記憶から無くなりにくいという話をよく耳にする。

逆に言えば記憶に定着しているということで、それ故にそのシチュエーションをより鮮明に記憶しており、それにより話にリアリティが増し、結果的に共有できやすくなるため笑い話になりやすいのではないだろうか。

だからといって理不尽なことまでを許容しているわけではないが。


もしくは思い出を振り返るときというのは往々にして心に余裕がある。心に余裕があると物事を比較的俯瞰して見れる。

その状態からすればにわかに信じがたい(真逆の状態という意味で)ことなので笑い話になるのかもしれない。

はたまた「その出来事があったから〜」と過去の清算が完了しているからだろうか。確かにこの要素は大きそうだ。


高校時代の教えは「人生はネタづくり」であった。

どんな出来事も人生を彩るためのネタであり、人生という壮大なネタ作りをしてるんだと。だからいいネタになるように何事も一生懸命に取り組みなさい、という教えだ。

この時期は絶賛ネタづくりと思って励み、思い出補正をかけて笑い話にできるように頑張ろと思った日でした。

それでは、また次回!


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あいでん
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