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辻潤と低人教(旧字旧仮名版)

親記事>創元社版『萩原朔太郎全集 第七巻』の入力作業と覚え書き
底本:『萩原朔太郎全集 第七巻』創元社、1951(昭和26)年6月
初出:1935年12月『書物展望』第5巻第12号
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辻潤と低人教
    ―『癡人の独語』を讀みて―


 辻潤といふ人物は、今の日本に於て最も興味のある存在である。彼の要素を構成してゐるものは、過去に彼の受けたすべての教養、即ち江戸文學と、キリスト教と、佛教と、英國文學と、それからニヒリズムの哲學とである。そこで彼は戲作者のやうにも見えるし、破戒坊主のやうにも見えるし、キリストのやうにも見えるし、市井の心學者のやうにも見えるし、そしてまたダダイストのやうにも見えるのである。
 酒を飮んでる時の辻潤は、絶えず駄酒落を連發して傍若無人に皮肉を言ふ。蜀山人といふ江戸の狂歌師は彼の時代の虐たげられた欝憤をはらす爲に、駄酒落と皮肉で世に放蕩したが、辻潤もまた傳統をひいたところの、昭和の狂歌師蜀山人といふ面影がある。しかし酒が醒めて悲しくなると、彼は尺八を吹いて街上を彷徨する。尺八のやるせない哀調と旅愁とは、辻潤の詩に於けるリリシズムの一切である。彼は笛を吹きながら獨りで泣いて居るのである。
 彼の周圍にはいつも市井のルムペンや勞働者が集まつて居る。人生に敗慘した失職業者や無職者は、彼によつて自分の家郷と宗教とを見出すのだらう。耶蘇の弟子たちが漁師や乞食であつたやうに、辻潤の弟子もまた市井の「飢ゑたるもの」、「貧しきもの」の一群である。彼は此等の弟子たちに圍まれながら、絶えず熱心に虚無の福音を説教して居る。しかし耶蘇のやうな態度ではなく、ヹルレーヌのやうな醉態で、ヨタのでたらめを飛ばしながら説教する。そこで彼の弟子たちは、不敬にも師のことを「辻」と呼びつけにし、時には師の頭を撲つたりする。これは不可思議な宗教である。
 一體辻潤とは何物だらうか? 彼は詩人であり、文學者であり、そして同時に生活者であり、宗教家である。彼はその近著『癡人の獨語』に於いて、あます所なく自己の本領を語つて居る。彼が過去に於て考へたすべてのことは、自己の本質を知るといふこと、人間生活の正しい意味を知るといふことだつた。所でこの考へは、ゲーテも、トルストイも、チエホフも、ボードレエルも、それから尚釋迦もソクラテスも考へたことであつた。つまり言へばそれは、すべての本質的な文學者と宗教家に共通する生活だつた。すべての第一流の文學と文學者が生きて來たやうに、辻潤もまた正しく一流の文學者として、過去に生活して來たのであつた。
 然るに不幸にも、これが辻潤に於ける悲劇の出發する基因になつた。なぜなら日本の現代文化と現文壇は、この種の宗教的シンセリチイを持つた文學者を、順調に生かすことが出來ない事情になつてるからである。有島武郎はなぜ死んだか。生田春月はどうして死んだか。多くの眞面目な詩人たちが、何故に受難者となつて苦しんでるか。辻潤のやうな文學者が、日本に生れるといふことは悲劇である。彼の日本で生くべき道は、文壇に尻をまくつて早く逃げ出し、生活者としての自我に孤立する他はないであらう。そこで辻潤の選んだ道は、ペンで書く文學の表現でなく、生活そのもの、人格そのもので表現する文學だつた。つまり彼の場合でいへば、「辻」といふ人そのものが、それの表現された「作品」なのであつた。
 此處に於いてか彼は一つの宗教的人格になつてしまつた。しかもそれは信仰を持たない宗教家(こんな矛盾した言葉はない)である。彼はスチルネルと共に自我經を説き、親鸞と共に地獄一定を説き、トルストイと共に無抵抗主義を説き、老子と共に虚無を説き、佛陀と共に乞食の生活を教へ、ヹルレーヌと共に酒中の人生を教へるけれども、彼自身の魂が安住する家郷の救ひは何處にもない。彼は永遠に蹌踉としてゐるルンペンであり、漂泊者であるに過ぎない。しかも彼の周圍に集まる弟子たちは、彼の中に自己の家郷と平和の救ひとを見出すのである。丁度あたかも、文學作品の讀者たちが、作品の中に自己の家郷を見出すやうに、辻潤の場合にあつては、彼の「人物」の中に、「生きた讀者」が住んでるのである。その生きてる讀者たちは、多く皆半纏を着た熊さん八さんのたぐひであり、辻潤の著書の一頁すらも讀んで居ない。のみならず師の先生を、自分等と同じ無學ものだと思つてゐる。
 藝術が宗教でないやうに、かうした辻潤の生活もまた宗教ではない。しかしまた或る意味で、それは一種の宗教なのでもある。辻は自ら自己を「低人」と稱して居る。低人はニイチエの「超人」に對する反語で、谷底に住む沒落人と言ふ意味だらう。そこで彼の説く救ひの道は、實に低人の宗教であり、それ自ら「低人教」になつてるのである。もしニイチエのツァラトストラが、公評される如く文學としての宗教ならば、自ら人格によつて生活に行爲してゐる辻潤の低人教こそ、まさしくニイチエ以上の宗教と言はねばならない。
 かつて僕は「この人を見よ」といふ論文を書き、辻を現代日本の受難者キリストに譬へた。耶蘇は人類の惱みを一人で引き受け、罪なくして十字架に架けられた。今の過渡期的混亂を極めた日本にあつては、インテリ階級がすべての惱みを一人で引き受け、罪なくして十字架に架けられる犠牲になつてゐる。すべてのインテリゲンチュアは受難者である。しかし就中彼等の中でも、環境との妥協を排して純一に自己の清節を守るものは、最も痛ましく悲劇的である。何人にまれ、辻潤のやうな生活をするものは、現代日本の文化と社會では生きられない。單に社會ばかりではない、インテリ仲間の倶樂部である文壇でさへ、容易に生きることが出來ないのである。「沒落の歌」と「低人教」とは、辻の場合に於て必然であり、悲しき絶望の哀歌である。彼は現代文化の犠牲となり、罪なくして十字架を負つたキリスト者である。
 日本文壇に於ける辻の存在は、一人の「背徳者」といふ感じがする。それは彼が酒飮みだつたり、無禮節であつたり、アナアキストであつたりするからではない。日本文壇の現状する、あらゆる卑俗と無良心的な價値に對して、彼が居直り強盜的な太々しさで、イロニイの泥足を投げ出してることを言ふのである。彼は人間として極めて内氣に小心な男であり、ルムペン的性格のお人好しと臆病さを範疇してゐる男である。しかし彼の聰明と自尊心は、文壇の無價値な虚名を見破つてゐる。そこで多くの似而非大家や文壇名士が、彼の酒盃の前で無禮節にコキ降され、駄酒落まじりの皮肉で散々にやッつけられる。或る多くの人にとつて、彼はたしかにアナアキイ的無頼漢であるにちがひない。
 辻は自らその著に書いて、自分といふ人間は、ゴシップの材料を作る爲に、この世に生れて來たやうなものであると自嘲して居る。文壇が辻潤を見るところの眼は、全く單にそれだけであり、いつも文壇噂話にユーモアの種を作るところの、チャップリン的道化役者としてしか考へてない。しかもチャップリンの笑ひが悲劇の逆説であることさへ、日本の常識的な文壇人は知らないのである。僕はかつて大森に居た時、日本の詩人の不遇を悲しみ、日本の文壇と文化を怒つて居たことから、交友の小説家等から被害妄想狂患者といふニックネームを陰口された。卑小な小人輩の住む社會では、理想家が常に狂人や道化者と見られるのである。
 辻潤はいつも醉つてる。もし酒を飮まなければ、生きることの苦惱と悲哀に耐へないからだ。まれにアルコールの氣がない時、彼は死んだ鮒のやうにぼんやりして居る。その時生きることの無意味と退屈さが、死のやうに時間の持續を數へてゐるのだ。彼はまさしく無能力者で、低人的痴呆者のやうに見えるのである。そこで彼の敬虔な信徒たちが、喜捨の代りに御神酒を棒げ、ロボットの心臟部へ電氣をかけて、脈の動き出すのを待つてるのである。かくして江戸前の駄酒落と共に、彼の心學低人教は始まつて來る。それは弱者の宗教であり、無産者の宗教であり、エゴイストの宗教であり、性格破産者の宗教であり、そして同時に、最も純粹で悲しい近代インテリの宗教なのだ。

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