この人を見よ
親記事>創元社版『萩原朔太郎全集 第七巻』の入力作業と覚え書き
底本:『萩原朔太郎全集 第七巻』創元社、1951(昭和26)年6月
初出:1932年10月『セルパン』通巻20号
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この人を見よ
辻潤君の狂氣は、近來僕の心を尤も傷ましめた事件であつた。その狂氣になつた間の動機も、詳しく津田光造氏から聞き、一層痛ましく、人事ならない思ひがした。
本年一月、某新聞社から往復端書で、僕に次のやうな質問を受けた。
一、本年度に於て、最も活動される作家に誰れでせうか?
二、將來の文壇に對して、最も重要な使命を有する作家はだれでせうか?
この質問に對して、僕は次のやうな返事を出した。
一、辻潤氏でせう。
二、辻潤氏でせう。
所がその「本年度」に於て、僕の豫言が皮肉にも適中し、辻君が大活動(?)をしてしまつたのである。この話を津田氏として、僕等は苦笑する外なかつた。何といふことだ。
辻潤は天才だらうか。それとも或は、單なる飮んだくれのゲテモノだらうか。そんなことは何うでも好いのだ。僕が辻君に興味をもつのは、尤も深酷な意味に於いて、彼が「時代の犠性者」であり、十字架を負つて殉死するところの、悲壯なキリストであるからだ。凡そ辻君ほど、人生を眞面目に考へ、生活の意義を悲壯に追ひつめ、そして現代日本の社會惡――それほどひどい惡はどこにもない――を一身の罪に負つて生れた、キリスト的悲劇人物は外になからう。その點からして、辻潤君は運命人としてのニイチエに比鮫される。ニイチエが背負つたものは、すべての近代の社會惡で、人類の罪と苦痛を象徴した十字架だつた。
―― Ecce Homo ――(この人を見よ!)
いみじくもニイチエが、その最後の書物に標題したのは、あのゴルゴタの砂丘の上で、耶酥の十字架に書きつけられた言葉であつた。Ecce Homo! それは「人類の犠牲者」といふことを意味して居る。その同じ悲痛の言葉を、僕は辻潤の生活に見、辻潤の思想に見、辻潤のへべれけに醉つぱらつた姿に見て居る。この人を見よ! 然り實に、この人を見よである。
僕は辻君に就いて多く書きたい。だがそれを書いたところで、今の日本でだれが理解する人があるだらうか。辻潤といふ名前は、今の日本の文壇では、ゴシップ種の製造者として、時々愛嬌のツマにされてる。一種の文壇的道化物としか見られて居ない。僕の新聞社への答へですらが、或る人々から茶目氣分の惡ふざけとして、眞面目に非難されたほどである。こんな日本の文壇で、何を言つたところで仕方がない。尤もまたそれだからして、辻潤の悲劇的存在が一層價値づけられて來るわけなのだ。
辻君は「文學者」でないかも知れぬ。すくなくとも日本で言ふ「文士」とか「詩人」といふ語の概念は、少しく辻君に迺當しないやうに思はれる。しかも、「文學者」と云ふ語の眞意義を、尤も本質的に所有して居る文學者は、日本でおそらく辻君などが代表者だらう。辻君以外、眞に文學者らしい文學者が、日本に果して幾人居るだらうか。しかも日本の文壇では、文學者らしくない似而非物ほど所謂文士として幅を利かして居るのである。
辻君が本質的の「文學者」でありながら、しかも「文士」としての仕事を爲し得ないといふところに、現代日本文化の指摘された缺點があるのである。
「僕がもし佛蘭西に生れたら」
と、かつて渡佛送別會の席上で辻君自身が言つた。
「すくなくもヹルレーヌ位の詩人に成つてた!」
然り! その通り。全くである。文明に統一がなく、時代に批判がなく、國語が支離滅裂を極めてる現代日本。およそこの最大惡を象徴する現代日本に眞の詩や文藝の有り得よう道理もなく、況んや眞の詩人や文學者の存在しやう道理もない。辻君が日本で文學を書かないことは――或は醫けないことは――辻君の聰明が自ら負擔した名譽である。その聰明と才氣とが佛蘭西に生れて居たら、言ふ迄もなくヹルレーヌであり、或はもつと美しく立派な詩を書いて居るにちがひないのだ。
在已里の松尾邦之助氏は、本誌前號で辻潤を「日本の寶」と呼んでゐる。辻潤の偉さは、外國に行つてる日本人が、外國の文學者と交際した時、始めて「はッ」と解るのである。なぜなら外國――特に佛蘭西や獨逸――には、辻潤型の文學者が澤山あり、且つそれが文學者の本質的典型になつてるからだ。日本には辻潤型の文士がなく、またそれを容れる文壇もない。それ故に辻君は永久のダダイストで、醉つぱらひで、無能者で、巡査ににくまれる野良犬なのだ。そして、にもかかはらず、彼は尚生活し、狂氣し、哄笑して居るのである――この人を見よ! この人を見よ!
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