見出し画像

出会いは活路である


今年1年を振り返り、自分にとってどんな年だったかを考えた。
それをひと言で表すと「出会い」かもしれない。
その大半は新しいSNSであるclubhouseの出現によってもたらされたといっても過言ではない。

また今年、講談社学術文庫から「和の文様辞典」を出版し、地味ながらも学術書とあって、多くの人に知ってもらえたことからの出会いも生まれた。

その出会いは、これまでのきもの業界内の新しい出会いではなく、日本文化に関わる多くの文化人、例えば茶人、学者、書家、噺家、ライター、能楽師、歌舞伎、実業家、老舗の若女将、女優、アナウンサーなどなど、それも第一線で活躍する方々との出会いであったり、同業者でも染色家、染色補正士、問屋業でも新しい出会いがあった。またこの年末に海外出張があり、現地での新たな出会いも多々生まれた。

家族は最も大切な土台であることは間違いない。
友人は財産であり
出会いは活路であると私は考えている。

その出会いが今年は特に多く生まれたことは、新たな活路が見出されたような気がする。またその出会いは、すぐさま互いに色々なアクションやチャレンジを生み出し、新しい取り組みが始まろうとしている。

2年に渡り全世界を恐怖に陥れ、現在もなお社会を揺るがしている新型コロナウィルス。出会うことが制限された時間でもあった。

その中で、デジタルの進化による新しいコミニュケーションの形が浸透した。ZOOMというツールの普及で働き方が変わった。
ClubhouseというラジオのようなコミニュティのようなSNSによって繋がり方の質が変わった。

しかしながら、繋がるだけなら既存のデジタルツールやコミニュケーションツールと同じだ。大切なのはその出会いから何を生み出すか?である。
「出会いから何かを生み出す」をした人の多くは、コロナ禍であっても何かしらの進化を遂げていたように感じる。

コロナウィルスによって命や仕事や財産など大切な何かを失った人も大勢いる。どうにもならない状況に陥ってしまい、生きる気力さえ失った人もいる。
一方でその中で活路を見出した人も大勢いる。これからの人生に起こることは、誰にも分からない。今こうして健康でいられていることは、たまたま幸運だけなのかもしれない。

私にとっては、次をどう進むべきかを悩んだ時に、幸運なことに多くの出会いに恵まれた年になった。そして以前、独立し、誰にも見つけてもらえなかった時にやはり当時流行り始めたTwitterというSNSが出会いのきっかけとなった。その時にしたことは会いたいと思った人に会いに行くことだった。今回も出会った人の多くに会うことを意識した。そしてそこから色々な取り組みにつながり、これからもっと広がっていけるだろうと思う。

二度と経験したくない修行時代があり、楽しい会社員時代があり、独立してまた苦しい起業経験があり、そして今を過ごせている。それぞれの時代にそれぞれの出会いがあり、その出会いから常に何かを生み出そうとしてきたことは確かである。そして今年の大切な出会いも、これからの何かを生み出そうとしている自分がいる。

出会いは活路である。


いいなと思ったら応援しよう!