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ぜんまい織 秋田県
岩城2万石の城下町として栄えた、現在の秋田県由利郡岩城町亀田に伝承されている織物が「ぜんまい織」です。
幕政の頃、岩城氏は享保2年(1717年)に、現在の新潟県村上市から甚三郎という織職人を招き、一般の人々はもちろん、士族の婦女子などに綿織物を習わせたのです。そして生まれたのが、ぜんまい織の前身である亀田縞(かめだじま)と呼ばれた木綿の織物だったのです。
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この亀田縞にぜんまい綿を織り込むようになったのは明治20年頃とされています。
幕政時代の御用商人だった佐藤雄次郎氏は、この地方に繁茂し、食用としていたゼンマイの頭についている綿に目をつけ、この綿を紡いで綿花に混入して混紡糸を作って織ってみたのです。すると、この生地には虫がつかなことがわかり、この防虫性のほかに、湿気を吸収しないので防水性のあることもわかったのです。そこでさらに保湿性を高めることと、ウールのような柔らかさを出すために白鳥の羽毛を混入することを考えて、ここに世界に全く類のない「ぜんまい白鳥織」と呼ぶ織物を完成させたのです。
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このように優れた織物は、当時の人々に珍しがられ、また持て囃さされて、コート地や着物地として昭和6年頃まで盛んに用いられてきました。
現在では、ぜんまい綿のみの混紡糸でぜんまい織として復元され、秋田の亀田のみならず、東北各地の織物産地でも織られています。
参考
由利本荘観光協会
秋田県立博物館