竹垣鉄線花刺繍駒絽訪問着(昭和初期)遠山記念館所蔵
初夏の花である鉄線花(クレマチス)が竹垣に蔓を伸ばしている様を刺繍で表現した夏の絽の訪問着である。
これも日興証券創業者の遠山元一翁が長女貞子のために誂えたものである。
まず注目すべきは地色の美しい青色である。
駒絽の生地に染められたということもあるが、光を浴びたような青色が初夏の清々しさを感じさせる。
考えさせられたのは構図である。鉄線花は蔓性植物ではあるが、きものの意匠として竹垣と一緒に表現することは少ない。なぜなら鉄線の蔓は堅く、針金のようであり、他の草花の蔓のように柔らかな曲線の表現でなく、直線的なものになるからだ。
それをあえて、この訪問着の意匠としたのには何か理由があるはずである。
鉄線花の一つ一つをよく見てみると、全てが上方を向いていることに気づく。正面を向いているように見えるものもあるが、花の中心や花弁のそれぞれの方向の変化が上向きであるように見せている。まるで夏の光をたっぷり浴びているかのうように。
鉄線花は晩春から初夏にかけて咲く。このきものの地色は明るく清々しい初夏を思わせる青である。そして微かに葉の先に表現された変色がこの花の季節の終わりが近づいていることを示している。
ここで先ほど述べたなぜ訪問着にこの意匠を施したのかの仮説を述べてみたい。
元々このきものは訪問着ではなく、夏用の振袖だったのではないだろうか?
このきものの袖に着目していただきたい。前後の身頃の柄はこれだけ美しく表現されているのに、袖の柄だけは不自然な切れ方をしている。これだけ繊細で考えれた意匠なのに、この袖の柄だけはかなり裁ち切り方が不自然なのである。
あくまで推測だが、これは夏物の振袖として誂え、のちに嫁入りに合わせて、または嫁入り後に袖を詰めて訪問着にしたのではないか?
夏の振袖を誂えるということは、袷の季節も含めて社交の場に出ることが増えたからとも考えられる。遠山家の長女である以上、ある程度の年齢になれば、当主の奥方はもちろんのこと、その令嬢もそういった場に出向くこと機会が増えることは当然であろう。
そこから考えるとこの意匠は、晩春から初夏、そして本格的な夏に季節が移り変わる様を文様に表現することで、我が娘が可憐な少女から大人の女性として立派に成長した様を遠山元一翁は表現したかったからなのではないか?
あくまで私の勝手な推論ではあるが、このきものの意匠を作らせた背景には家族想いであった遠山元一翁のそんな想いが込められているのではないか?そんな気がしてならない。
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