紅花紬 山形県
最上紅花(もがみべにばな)で知られている紅花は山形県の県花となっています。
紅花の歴史は古く、我が国に伝えられた年代は一説に三世紀の頃といわれていますが、山形地方で栽培されるようになったのは鎌倉時代の頃のようです。
桃山時代に編纂された「邑鑑(むらかがみ)」によると、山形県白鷹山麓三十一ヶ所村で、藩の御役植物として栽培されていただことが書かれています。これをみると、この時代すでにこの地方の重要な産物として盛んであったことがわかります。
この紅花は採集されると主として最上川を下り、酒田港から日本海を経て敦賀港へ、そこから陸路を経て京都に送られ、口紅などの材料や紅染の染料として使用されました。
また文政十三年の「農稼業事後編巻之二」によると「紅染の事」のなかで「子供を持ちたる人ハ木綿着物のうら。あるひハ単物を紅染にして用ひ。又ハ大人も襦袢其外何にてもそめて便利なり。ここにしるすごとく自分に作りて染るときハ心ノままにするゆゑ。紅染木綿を買ひととのへて用ふるより色はるかにまさりてよし。又晒木綿を色こく染れば緋縮緬に見まがうごとく見事になるものなり」と書かれています。
いかに紅花染が素晴らしい染めものであったかがうかがわれます。
久しく途絶えていた紅花染が、昭和になって現代の紬織物に復元されたのが、「紅花紬」と呼ばれている織物なのです。現在では日本工芸会会員の米沢市の新田織物の新田源太郎氏が紅花染を伝承し、その魅力をきものファンに提供し続けています。
参考サイト
新田織物(山形県米沢市)