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謎の連珠円文
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この写真は法隆寺に収められている「四騎獅子狩文錦」を龍村平蔵が複製し東京国立博物館が所蔵しているものである。(別名「四天王紋旗裂」)
馬上で弓を引く四人が獅子狩をしている文様であり、シンメトリーの構図になっている。枠に円文が20個、四角い枡文様が4個配置されている。
これは7世紀前半に唐で織られたものと推測されており、その後、遣唐使または朝鮮半島経由で日本に渡ってきたと考えられる。
さて、この連珠円文は何が起源なのか?がいまだにはっきりしていない謎の文様である。世界中に広がったのは6世紀から8世紀と言われているが、定説では連珠円文錦という布がササン朝ペルシャで織られはじめ、イラン系民族であるソグド人が東西交易によって広げていったと言われている。
ただし、それは文様の拡散であって起源ではない。起源については様々な研究がなされているので、私がここでそれを推測することが正しいわけではないが、連珠円文錦以前の連珠円文らしき文様の資料を遡って考えてみたい。
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この写真は紀元前330年頃のマケドニア王国の王であるアレキサンダー王が在任中に使われたコインであるが、よく見ると点刻された円周が見える。デザイン的な表現であるかもしれないが、これは一種の連珠文様である。
またこのコインよりもさらに200年ほど遡った紀元前530年頃のアケメネス朝ペルシャ時代の煉瓦装飾の射手が着ている服装の縁取り文様が連珠文様として描かれている
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さらに同時期の宮殿の床に配されたと考えられているロゼットのタイルには四角い枡形の枠の中に丸い円を配した連珠文が施されている。
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このアケメネス朝以前に明確な連珠円文と呼べる文様は出ていない。
仮に連珠円文が何らかに意味を持ったとするならば、このアケメネス朝ペルシャ時代にヒントがあるのではないかと考えることが自然である。この頃の文様の構成要件としては信仰または思想、情報伝達である。そこから考えると、ちょうどこの頃を起源とするゾロアスター教が関連しているのではないかと考えてみる。
ゾロアスター教は多神教であり、自然崇拝を基本とし、最高神アフラ・マズダーの自らの属性を7つの神で表して、天空・水・大地・植物・動物・人・火の順番で世界を創造したという教えである。
上記の宮殿のタイルには中心にロゼット文様(おそらくロータスと考えられる)を配置しているが、当時のロゼット文様は「太陽の光条」を意味していると言われている。これは完全に私的な解釈だが、世界の創造者は天空から創ったという順番から考えるとこのロゼット文様は天空を表し、周りに配置された円文は二重円となっていることから、渦を表す水と解釈することはできないだろうか?
このロゼットと渦円の組み合わせは、同時代の上記の写真の煉瓦装飾の衣服の文様にも共通する。
これが時代と共に変化し、またゾロアスター教も大陸一帯に伝わりながらも、のちに仏教やキリスト教の影響も受けながら、その後のロマネスク美術やエジプト美術、またはガンダーラ美術や中国の仏教美術と融合し、我々が知る連珠円文に変化していったのではないだろうか?
あくまでも憶測または私的推測の域を出ないが、これもまた文様を追い求める者としてのロマンである。
写真引用
メソポタミア文明展(日本放送出版協会)