南部紬 岩手県
岩手県を古くは南部と呼んでいたことはよく知られていることです。南部の染織というと、南部紫根染や南部茜染が知られていますが、今回は織物をテーマにしていますので南部紬について述べたいと思います。
建久元年(1190年)に、甲州(山梨県)の南部郷の武将 南部光行がこの地に移ったところが南部藩となり、南部の地名が起こったものです。
もともと甲州地方は養蚕が盛んであり、したがって絹織物も盛んに行われていました。そこで南部光行と共にその養蚕や絹織物の技術が移植されたと考えられます。ここに南部紬や南部縮が生まれる源があったわけです。
南部紬は主に岩手県岩泉町で織られており、岩泉町特産である紫根や胡桃、そして藍などを糸染の染料に使用し、しなやかで美しい地風の織物です。
南部紬の名が世の中に知られるようになったのは、今から約230年前の寛政年間のことです。南部地方で織られた白生地や藍紺(あいこん)の無地の紬を、毎年幕府への献上品として用いられてからのことです。
また幕末の元治元年(1864年)には、今の盛岡市鍛冶町に機業場を設けて、京都西陣から職工を招き、各種の織物技法を習わせていましたが、残念ながらそれらについては成功しなかったようです。
しかし、これが一つのきっかけとなって、縞織物が盛んとなって南部縞の名が有名になったものと思われます。この南部縞も幕末の文政年間から明治にかけては、栃木県足利地方で盛んに生産され、南部縞というと足利産というような不思議な現象が起きたのです。
この現象は、岩手産の南部縞がいかに優れていたものであるかを物語るものといえるのかもしれません。この南部紬は最近まで岩泉地方でごく僅かに織られていましたが、残念ながら最後の織り手が引退したと聞いています。いずれにしても大変貴重な伝承織物です。
*南部紬の写真データがほとんどなく、今回は文章のみの記載となりました。あしからずご了承ください。
参考資料・引用
岩手の文化情報大辞典