「教員」というスタンス

『言語化力』という本を最近読みました。そこにまずはスタンスを決めろ、分かんなかったら自分の客観的な立場から決めろと書いてありまして。


しかし、一般的イメージである「教員」という立場から物申すのって最高にダサい、という感覚が自分にはあるので、そこからどうスタンスを組んでいけばいいのか分かんなくなっちゃいました……


とくに理由のない社会の不問律を飲み込ませる係としての教員、やったことがあるんですが、砂を噛むような気持ちになりましたね。制服の厳しいチェックとか。もう二度とやりたくないです。


であるならば、私のスタンスは「教員という一般像のカウンター」なのかもしれません。人の言うこと聞くのが本当に苦手で、全てのことをするする忘れる人間としての弱さ・親しみやすさを武器に今までやってきたのですから、それを人気取りの道具にするだけでなく、もっとそこから発せられるメッセージがあるのかもしれないです。ただ、それが頭のなかでぼわーんとしてて、うまく言語化できないんですよねぇ……


ただ、ぼわーんとしてるなかにも、自分の考えの歯切れを悪くしてる部分があるなというのは分かります。

それは、自分ではワケわからないと思っている「社会の不問律」を守ったおかげで、発達障害抱えて死にかけたりしたけどなんとか生き延びた、という感覚です。


これは私の主観なのですが、衝撃的なミスばかり起こす人間にとっては、人から好かれる性格という武器を取らないと周りから人が消え、最悪明日のメシが消えます。

なので、好かれるための技として、上の立場の人にたいしての必死でルールを守ろうとする姿勢と、したの立場にたいしての自分が守れないルールは人に強制しないという立場は貫いていました。ずるいやり方ですね!


そういうルール依存マンが、どうしてこのままでルールに楯突くことができよう、ということです。

スタンスを考えるためには、もう少し自分の内面を暴かないといけなさそうです。うーんしんどい……



以上!

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