8.「N.E.E.D.」 – 『PROUD』 全曲ソウルレビュー –
※2016年12月17日に自作ブログに投稿した記事のサルベージです
アルバム8曲目の「N.E.E.D.」は手作り感のあるヒップホップトラック
『PROUD』はポップソング作家としての清水翔太の総合的な能力の高さを感じさせるアルバムだ。
作詞作曲家。
シンガー。ラッパー。
アレンジャー。トラックメイカー。
たとえば、アルバム8曲目のこの「N.E.E.D.」のような素朴な曲を聞くと、この曲はほとんどすべて清水翔太一人の手によって作られているのではないかと思える。
自分でトラック作って、自分でラップして、自分でコーラス作って歌って、自分でミキシングしてバランス整えたりしてるのではないかと。
だからこそ、清水翔太の能力の高さが際立つ。
技術的にはその気になれば誰でも自分で作れそうな曲だからこそ、メロディや歌のクオリティの高さ、一個の曲としてみた時の細部に至るまでの完成度の高さが、決定的な差となって現れる。
これこそまさにプロフェッショナルの仕事で、趣味や気分でつくった素人やアマチュアたちの仕事とは一線を画していると思える。
このかっこよさ、この華やかさ、このパッケージされた商品としての完成度こそが、俺がポップミュージックを愛するゆえんだ。
「宅録」という言葉に俺は憧れがある。
元来が、家で一人で何かをしているのが好きな性分なのかもしれない。
だからもしも清水翔太が一人でこの曲を作っているのではないかと考えると、そこに俺はロマンを感じる。
ちなみに、無名の状態から本当に一人でポップミュージックを成功させたアーティストというのは、俺が思いつく中では二人。
The StreetsとOwl Cityだ。
The Streetsを高校生の頃に初めて聞いた時、アパートの一室から聞こえてくるその音楽の、どことなく寂しい美しさに俺は魅了された。
Owl Cityの音楽には、俺が大学生だった頃、インターネットを徘徊していた時に出会った。
当時、エモと呼ばれていたジャンルが好きな友人に、すぐさま知らせたものだ。
その友人はエモいヴォーカルの声が好きで、しかもゲーム音楽も好きだったから、絶対にハマると思った。
実際に彼はOwl Cityを激賞したし、その後のOwl Cityがチャートを駆け上がっていく様を友人と二人で見守っていくのも楽しかった。
この二人に共通するのは、本当に無名の状態でプロの助けをまったく借りずに作り上げた作品が、メジャーシーンでそのまま成功し、その後の作品でも売上げを伸ばし続けた点だ。
The Streetsが自宅の羽ぶとんとマットレスを使って反響を殺しながら録音したアルバム『Original Pirate Material』(2002)は、U.K.アルバムチャートで12位まで上がり、NMEの採点では9点をつけられた。
Owl CityがMySpaceにアップロードしたアルバム『Maybe I’m Dreaming』(2008)はビルボード・エレクトリック・アルバム・チャートのトップ20にまで食い込んだ。
Wikipediaに記された『Maybe I’m Dreaming』の参加ミュージシャンのクレジット、「Adam Young – vocals, keyboards, synthesizers, drums, programming, engineer, audio mixer」という表記が美しい。
二人のその後の活躍については、知っている人も多いだろう。
知らない人は、ググれば出てくるので、ここではいちいち書かない。
「N.E.E.D.」が示す矛盾
話は戻って、清水翔太だ。
この「N.E.E.D.」という曲は、強く、強く誰かに惹かれていく心を描いたものだ。
愛という言葉は肯定的に使われることが多いし、実際に人にとってとても有用なものだと俺は思う。
しかし愛とは、決して気持ちいいばかりでも、役に立つばかりのものでもない。
客観的に、論理的に、理性的に見れば、愛とは愚かなものである。
愛とは「こだわり」や「執着」であり、そんなものは無いほうが合理的に行動できるからだ。
ところが、人はわざわざ自分を不自由に縛る愛を、自ら求めて、自ら飛び込んでいく。
この不合理さ。
あきれるほどまっすぐに 愛で僕を導いてく
君と出会えてなかったら きっと僕はここにいない
しびれるほど窮屈に 愛が二人を縛るから
初めて裸になった心が 痛みごと君を叫ぶよ
I N.E.E.D. You
愛で自分になり、愛で自分を裏切る
人間は実は不自由を求めるのだ、ということを、池谷裕二という脳科学者が言っている。
以下のAMの記事でのインタビューで読める。
人間はみんな、支配されたがっている!/脳研究者・池谷裕二さんに聞く「支配されたい」の正体(前編)
まったくうなずける内容ばかりである。
そしてこの、「愛」と「不自由」の間で引き裂かれる苦悩こそが、『PROUD』の後半の主題であると、俺は感じている。
あるいは、俺が過去数年間でたどってきた足取りと一致するからこそ、『PROUD』の後半にそのような主題を読み取り、勝手に共感しているのかもしれない。
「君」と一緒にいてこその俺なのに、「君」と一緒にいるからこそ自分に反するような状態にある。
この矛盾を解かなければ、誰かを愛しながら本当に幸せになることはできない。