KC_KC_
警報音を聞いてすぐに頭に浮かんだのは、「ヤバい」でも「避難ルートの確認」でもなく、「やはり来たか」という無力感だった。 俺は何度も上層部にこれを警告したし、奴らがその警告をおざなりにしていることも知っていた。 さらに悪いことには、俺自身、心のどこかでこうなっても構わないと思っていた。 だからこそ、上層部にも、それ以上強くは求めなかった。 先週末、1か月ぶりに会ったマイラも、そのことは憂慮していた。 「リスクはみんな心のどこかではわかっているけど、そのことを本気で考える人なん
街へ出ることで、出会いがある。 金曜夜の下り電車に乗る時には、足元に気をつける。 見知らぬ誰かかの胃から戻された食物を踏むような、望ましくない出会いにでくわすことがあるから。 出会いといえば、新しい音楽を探ることをしなくなって久しいが、それでも出会いはある。 レストランや街角で音楽が聞こえてきた時には「Shazam」を使う。 「Shazam」を使うと、AIが音楽に耳を澄ませてデータベースを検索してくれる間、曲名が見つかるだろうかとドキドキする楽しさがある。 そうし
今日の帰り道 23.12.16小学校の先生がこう言っていた。 「”忙しい”という漢字は、”心を亡くす”と書くのです」。 こういう、「人という字は」みたいなやつは、ちょっとどうかと思うが、しかし、こいつは、どうも印象に残ってしまっている。 「貧乏暇なし」。 金を稼ごうと思うと時間がなくなり、時間がなくなると心がなくなる。 そういうことなのである。 今日も「カスタマーサクセス」という仕事をする社畜は、顧客をサクセスさせるために我が身と心を犠牲にする。 けっこうサクセスさ
ゆずのデビューは、ちょっとすごかった。 デビュー曲であれほど鮮烈な旋風を巻き起こしたのは、今パッと思いつく限りではI WiSHの「明日への扉」ぐらいだ。 Kiroroの「長い間」もすごかったが、あれはジワジワ来た。 ゆずの「夏色」は、鮮烈な一撃だった。 当時の俺はFMヨコハマのランキングをカセットテープに録音して、繰り返し聞いていた。 畳の上に寝っ転がって聞いていたaiwaのラジオから、ゆずの「夏色」が流れた時、完全に「来た」と思った。 なんだろう、「夏」っていう
”レイザー”は六本木通りから一本ウラに入ったところにある。 地下二層になっていて、地下一階のほうにバーカウンターとソファ、それと小さなフロアがある。 アラタ「今日、いい音楽やるの?」 ユウ「さあ。なんとなく良さそうだったけど、こういうのは勘だから」 バーカウンターで酒を受け取ると、アラタとユウはさらに階段を降りた。 地下二階がメインフロアで、直方体のシンプルなハコが二連結された形になっている。 そのうちDJブースが付いているのは片方だけだ。 アラタ「なんだこれ。
フェンスに座るユウの頭上には中層のビルが隙間なく立ち並び、明かりのほとんど消えた窓が薄暗い威容を示している。 小高く盛り上がった線路の空間だけがぽっかりと空いていて、遠くの高層ビルのまたたく光を届けている。 景色を切り裂くように巨大な電車の車体が轟音と共に滑り込み、輝く窓からまぶしい光を土手と道路にこぼす。 ユウの長めに伸びた髪が風にかき乱されて、ユウは片手でそれを顔から拭う。 金曜日の夜でも、繁華街から少し歩いたこんな裏通りは静かだ。 平日に働くアラタたちにとって
自宅近くの目黒駅のホームにアラタが立つのは遊びに行く時だけだ。 仕事も買い物も、愛用の電動機付き自転車で行く。 だから電車に乗るのは、どこからどんな経路で帰ってくることになるかわからない遊びの時だけだ。 仕事を終えた夜8時。 山手線目黒駅のホームは仕事帰りの大人たちであふれている。 慌ただしくすれ違うだけの人々の中に、共有して漂っている一つの空気がある。 「金曜日」。 家路につく人。 遊びに出かける人。 どちらにせよ、仕事のことを頭からやっと解放できるという
俺の前には二つの道がある。 一つの道は、ミエコちゃんとの関わりを捨て、俺がずっと大切に育んできた流動性の生活へと帰る道だ。 もう一つの道は、ミエコちゃんという外部性を俺の生活の中に取り入れ、土着性を育むことだ。 今の俺はどちらの道も選ぶことができる。 そしてどちらの道のほうが「より正しい」ということは言えないから、どちらを選ぶかは俺の胸算用一つで決まる。 かつて電車の中で見た、ある中年の夫婦の印象が、俺の中には強く残っている。 その夫婦の風貌は互いによく似ていて、行動や
仮にミエコちゃんが俺のふるまいでどれだけ傷ついていようと(どれだけ傷ついているかを俺が正確に知る事は永遠にできない)、それを俺が気にかける理由はない。 しかし論理的必然性とはまったく別のところで、俺が自分に対して認めなければならないのは、俺がミエコちゃんをひどく傷つけたとすれば、俺はそういう自分を許せないほどの罪のある人間だと感じているという事だ。 そしていわゆる良心の呵責というものから逃れるたった一つの方法として、ミエコちゃんに対して心からの謝罪を行い、許しを乞いたいとい
いくつかの、俺の心に残る疑問がある。 それは誰か特定の女によって生まれた疑問というよりは、何人もの女を知る中で、奇妙とも言えるほど共通した出来事があったからこそ生まれた疑問と言える。 ある女たちは俺に「会いたい」という気持ちと「会いたくない」という気持ちを同時に示した。 それほど正確に相反する気持ちを同時に示すという、論理的には不可能とも言えるような矛盾した感情表現を、俺のほうでも確かにそれが本当に違いないと疑いの余地なく信じられるほど非常に説得的に示してみせた。
俺とミエコちゃんの間に、今あるような亀裂、とまではいかなくとも、「わだかまり」のようなものがいつどうして生じたのか、俺は正確に言う事ができる。 一月の終わり、ミエコちゃんと三度目の性交をした直後のことだ。 ミエコちゃんはこういう質問をした。 「三月には同窓会があるが、その前に二人の関係について友達に話してもいいか」と。 俺は「いいよ」と言った。 もちろん、それが不十分な答えである事をわかった上で、それ以上には何も言わなかった。 それでミエコちゃんは「何と言ったらいい?」と
俺は自分の性的な側面について、朗らかに言う事もできるし、病的に言う事もできる。 朗らかに言うならばこうだ。 女と性的な交流を持つ時、俺は深い幸福と満足、そして開放感を感じる。 俺は普段の社会的生活の中で、自分はどんな人間だろう、男らしくあるとは何だろうという事を常に自分に問い続けているが、女と全裸で抱き合う時、その突きつけられた問いが融解する瞬間がある。 人ごみを避けるために朝十時の開場と同時に美術展を見に行った日の午後二時、道玄坂横のホテルのシャワールームで俺は女
ミエコちゃんを初めて抱いたのは年を越した一月だった。 年を越すまでにミエコちゃんと三度会ったが、自分でも不思議なほどに彼女に対して欲情しないのを感じていた。 それは決してミエコちゃんに性的魅力を感じないのではなく、どちらかというと、触れるまでもなく性欲が満たされていたような感覚だった。 一度目のデート(日本語における「デート」というカタカナ語の響きの甘露さには、俺はいつもうっとりしてしまう)では、俺の後輩が所属する劇団の公演があったので見に行った。 二度目は山下公園でア
俺が冬の装いを好ましく感じる理由は、夏服が体の上に「乗せる」ことによって体を飾るのとは違い、体を「包む」ことによって一種の謙虚さが表れるからだ。 その日、ギャラリーの外に先に出てで待っていた俺のもとに出てきたミエコちゃんは、紺のウール地でできた変形のピーコートのような上着と、首にはベージュのマフラーを巻いていた。 西洋が数百年にわたって語ってきたコードにもとづいたその冬の装いは、彼女が理性的な文明人及び文化人である事をほのめかしていた。 「どこ行く?」と声をかけながらすぐに
十月の飲み会で、中学を卒業して以来初めてミエコちゃんを見た時、彼女の女ぶりに俺は目をみはった。 二十代後半にさしかかる俺たちの年代といえば、男ぶり、女ぶり、共に大いに高まる時期ではある。 ましてや、青い中学生時代の姿を最後に心に残して、そこから十年以上の成熟を一足飛びし、いきなり完成した姿を見るのだから、その印象の差たるや大きなものがある。 しかしそれにしても、誰もが一様に女らしく、男らしくなった二十代後半の平等な条件を基準にして、均等にその飲み会の全員を眺め回してみた時、
気持ちが、心が、俺について来ない。 いや、俺を置き去りにしていると言うべきなのか。 どんな景色を女と見ても、どんな酒を飲んでも、心が喜ばない。 心が、俺のもとにいない。 エステティシャンとしてのキャリアをスタートしたばかりの二十一歳の女。 身長150センチ、若さの奔放な愛嬌と気立てのよい気遣いのブレンドが絶妙で、芯にある気の強さが彼女を決して軽く見させないため、おのずと敬意を抱かせる。 これから彼女の人生にも訪れるであろう苦労の中でも、彼女は彼女なりの力で未来を切り開い