9.「花束のかわりにメロディーを」 – 『PROUD』 全曲ソウルレビュー –
※2016年12月17日に自作ブログに投稿した記事のサルベージです
「花束のかわりにメロディーを」 はまっすぐなラブソング
「PROUD」というアルバムは、清水翔太の「黒い」側面が、今までになくはっきりと出た一枚だと、一般に評されている。
アルバムに先駆けて発表されていたこの9曲目、「花束のかわりにメロディーを」も、歌詞の内容も曲調も「ソウルフル」と表現するのにふさわしいラブソングだ。
俺がこの曲を聞いて思い出したのは、Donny Hathawayの「A Song for You」。
ソウルフルな、ピアノ弾き語り。
まっすぐな想い
この「花束のかわりにメロディーを」という曲で表現される一途な想いは、とにかくまっすぐだ。
Everyday, everynight
君を想ってばかりで どうにかなりそうなんだ
ほんの少しのためらいに立ち止まって
愛の痛みを知ったよ
今 時を止めるのさ
僕にしかできないことがある
なぜそんなにもまっすぐでいられるのかといえば、その想いが(まだ)届いていないからだ。
どこにも到達せず、ぶつからず、虚空を対象に向かってまっすぐと走っているところだから、そんなにもまっすぐでいられる。
ミュージックビデオにおいても、主に映し出されるのは一人で弾き語りをする清水翔太と、結婚していく女性だ。
女性の結婚相手の男性は脇役に過ぎない。
歌の主人公は、結婚する男性ではないのだ。
しかし素朴な疑問だが、どうしてそこまで、誰か特定の相手を恋しいと、欲しいと思えるのだろうか。
世の中には無数の人々がいて、その中からたった一人を抜き出して特別扱いする論理的な理由など、あまり思いつかない。
答えは以下のラインにあると、俺には思える。
たった一人 守るだけの強さが
僕にもあるとするなら
君を 君だけは守りたい
僕の手を握ってくれる君
人生でできることが非常に少ないようだと、人はある時に気づく。
そんな時、それではいったい何をしようか、何ができるだろうかと人は思案する。
命を捧げる対象を探すのだ。
この歌が「ソウルフル」だと俺が感じるのも、この点である。
この歌は命を捧げるべき対象を見つけた男が、捧げさせてくれと懇願する歌なのである。
君を愛するために
僕は生まれてきたよ
命を捧げるつもりでたった一つの対象を見つめて、想っているから、こんなにもまっすぐだ。
そしてまだ何も、その想いは実現していない。
実現することの難しさ
人生のたいていのことはそうだが、頭で思い描くのは簡単だが、実現するのは簡単ではない。
誰かに人生を捧げようと、捧げたいと決意してみても、実際にそれを実現するのは簡単ではない。
簡単でない理由は、以下の二つの集約できると思う。
①「自分で決めたこと」を曲げない難しさ
「運命の出会い」という表現が使われることがあるが、どんな出会いも先験的に運命的だということはない。
結果的に、ふり返ってみればそれが運命的であったと感じられるだけのことだ。
たとえばこの歌の想いのように誰かに命を捧げたいと思えば、それは「運命のような大きな力によって決められたこと」ではなく、単純に「自分で決めたこと」だ。
もしも「君を守る」というのが、生涯にわたって寄り添うことを意味するのであれば、数十年はつづくことになる。
無数にある選択肢の中から自分で決めたことを、常に無数にある選択肢にさらされながらも、数十年間にわたって守り続けるというのは、決して簡単なことではない。
②自分を捨てる難しさ
想いが届いていない段階で「誰かと一緒にいたい」と願っている間、それは自分の願いだから、実現していく過程は喜びと楽しさで満ちている。
欲しいものをくれといって、手に入れるのは、簡単なことだ。
しかし現実の人間は複雑で多岐にわたる存在だから、自分にとって無条件に都合のいい誰かなど、存在しない。
そんな時に必要になってくるのは、別に自分の欲することではなくても、相手に合わせることだ。
命を捧げるとはそういうことだ。
これが難しい。
愛の矛盾
「花束のかわりにメロディーを」 はまっすぐなラブソングなのに、俺は今ここで、なぜその想いが実現した時の難しさまでここで語っているのかというと、それこそがアルバム後半に共通する主題だからだ。
「自分の想い(夢)を実現すること」と「相手のために自分を捨てること」のはざまで、引き裂かれる。
「N.E.E.D.」のエントリで語った用語で表現すれば、「愛」と「不自由」の矛盾である。
そもそも想い(愛)に導かれて一つになったはずの二人が、まさにその想い(愛)こそが原因で引き裂かれ、離れていく。
この矛盾が、アルバムの終盤でさらに具体的に描かれていく。