『Friday』 第2話 Ebisu→Shibuya(inspired by 清水翔太)
フェンスに座るユウの頭上には中層のビルが隙間なく立ち並び、明かりのほとんど消えた窓が薄暗い威容を示している。
小高く盛り上がった線路の空間だけがぽっかりと空いていて、遠くの高層ビルのまたたく光を届けている。
景色を切り裂くように巨大な電車の車体が轟音と共に滑り込み、輝く窓からまぶしい光を土手と道路にこぼす。
ユウの長めに伸びた髪が風にかき乱されて、ユウは片手でそれを顔から拭う。
金曜日の夜でも、繁華街から少し歩いたこんな裏通りは静かだ。
平日に働くアラタたちにとって、明日の土曜日は休日。
さらに日曜日までもが休日だ。
余りあるほどの猶予が残されている。
金曜日の夜のこんな若者たちを急かすものは何もない。
それなのに、アラタが近づくとユウはパッとフェンスから飛び降りて駆け出す。
焦っているのだろうか。
一刻も早く未来が知りたいのだろうか。
待ちきれなくて、次の目的地である渋谷に向かって駆けていくのだろうか。
ユウのような不安な恋をする若者、人生の可能性が定まらない若者にとって、余りある時間は猶予ではなくて、むしろ投げ捨てたいほどの重圧であるのだろうか。
通りの先の暗がりへ走り出すユウは、不安な未来に向かって立ち向かうようにも、逆に逃げ出していくようにも見える。
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アラタは、着実に歩む自分のことを、少し臆病だと感じている。
名門とされる私大の付属に高校から入り、それなりに安定した就職先を見つけて、それなりに結果を出して働いている。
いつも周囲の期待に応えながらここまで来てしまった。
そのおかげでいくつものストレスを感じずに済んできたのもわかっている。
これからも人生のよしなしごとをこなしていけば、それなりに無事な生活も送れるだろう。
しかしそれでいいのだろうか。
人生で「何かをなす」というのはどういう意味だろう。
アラタには「可愛い女の子と付き合う」ことと、「誰かを本当に好きになる」ことの違いが、わかっているようで、しかし自分にはわかっていないのではないかと思うことがある。
「働く」ことと、「仕事をする」ことの違いも、わかるようでわからないような気がする。
そういうことはきっと、別に会社を辞めたからといって、わかるものではないと思う。
しかしアラタには、自分が大切な何かをしないままここまで来てしまったのではないかという、疑いだけがある。
電話が鳴った。
トモコだ。
アラタ「あいよ」
トモコ「何してんのー?」
挨拶もなしに、トモコの声がいきなりキンキンと響いた。
酔ってやがるな、とアラタは思った。
アラタ「今? 歩いてる」
トモコ「え、何、歩いてるって。どこ歩いてんの? 何してんの?」
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アラタ「歩いてんだよ。ユウと歩いてる」
トモコ「そうだよ! ユウくんと一緒だ。え、どこいんの? 合流しよ」
アラタ「今は、恵比寿から渋谷向かってんの。別に意味ないけど」
トモコ「渋谷?! マジで。ね、うちら六本木行くから、一緒に行こ!」
アラタ「六本木? 俺ら渋谷行くって言ってんじゃん。なんで。六本木何しに行くの?」
トモコ「わかんない。クラブ? たぶん行くと思う」
アラタ「なんだよわかんないって。誰かと一緒?」
トモコ「ミキちゃんと一緒だよー。イエーイ」
アラタ「そうだったわ。そうだった。あれ、男は一緒じゃないの?」
トモコ「えー、何それ。一緒じゃないよ。捨てた。捨てたね。マジキモかったから」
アラタ「やっぱ一緒だったんじゃん。わかんないけど、今夜はとりあえず女二人で行きなよ。俺らも、男二人で行くから」
トモコ「何それ?! 何か期待してんの? 今夜に期待してんの?」
アラタ「うるせーよ。まぁ気が向いたらそっち行くわ」
トモコ「えー。来てよ、絶対来てよ。着いたら連絡して。そうだ、ビッグニュースもあるから!」
アラタ「さっきも何か言ってたね、それ。今言ってよ」
トモコ「ヤダよー。合流したらね、じっくり教えてあげる」
アラタ「あーっそ。そんじゃ気が向いたら行くわー」
トモコ「来てよ! たぶん私たち、”キャメル”行くから」
アラタ「あ、そうなんだ。わかんないけど、その気になったら行くかもー。じゃあな」
トモコ「ん、じゃあねー」
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気が付くと、だいぶ明るい雰囲気の道に出ていた。
渋谷駅が近くなってきたのだ。
ユウ「誰だったの? 電話」
アラタ「ん? トモコ。大学の同級生の。ユウも前に会ったことあるよ」
ユウ「あー、覚えてる。何だって?」
アラタ「なんか、合流しようって。どうする?」
ユウ「どこにいんの?」
アラタ「六本木のクラブ行くとか言ってた」
ユウ「へー、クラブ。いいじゃん。俺らも行こーぜ」
アラタ「マジで? 合流する?」
ユウ「いや、渋谷にもクラブあるっしょ。そこ行こうぜ。音楽聞きたくなってきた」
アラタ「あ、いいね。いいじゃん。行こうぜ」
ユウ「おう」
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終電を間近にした地下のうどん屋は熱気に満ちている。
ユウは、腹ごしらえのために「かけ中」と天ぷらをカウンターから受け取った。
そして、4人掛けの席に、明るい髪色の若い女二人連れが座っているのを目ざとく見つけると、さっさとその隣に座った。
ユウ「相席いいっすか?」
女A「え、いいって言ってないんだけど?」
ユウ「あ、すんません。じゃあ相席させてください。うどん食うあいだだけ」
そう言ってユウは頭を下げて見せた。
女A「うどん食うあいだだけって、当たり前じゃん。ほかに何すんの」
ユウ「そうそう。俺ら今から食い始めるし、二人もまだいっぱい残ってんじゃん。食うあいだおしゃべりして、食い終わったらさっさと帰ろうぜ」
アラタ「はいはい、ごめんね。コイツちょっとおかしいんだ。でもたぶん迷惑はかけないし、一緒に食べてもいい?」
アラタも席に座りながら丁寧に頼むと、「しょうがないか」という雰囲気になった。
アラタ「二人は仕事? 飲み会? 俺らは飲んできた。男二人で」
そう言うと、アラタとユウは目を合わせてギャハハと笑った。
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渋谷”ガスパロット”は地下にある。
ユウはそこが気に入っている。
地下にあるクラブのほうが、なんとなく肌にしっくりくるのだ。
アラタと女子二人の四人分のエントランスフィーをユウがひとまず払って、中に入った。
客の入りはフロアの半分ぐらい、という程度だった。
ユウ「とりあえず酒買いにいこ。何がいい? チエちゃん一緒に行こうぜ」
丸テーブルとスツールが空いていたので腰を落ち着かせると、ユウは女子に声をかけてバーカウンターに向かった。
服を震わせるような低音のビートが腹を打って、クラブにいるという実感を感じさせてくれた。
曲は、特に何ということもないビルボードチャート系のヒット曲だったが、それでよかった。
ユウは優しい気持ちで、女の子に酒をおごった。
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ユウのその気分が壊れるのに、1時間とかからなかった。
フロアが盛り上がらないのだ。
その場にいるのはナンパしに来た男たちばっかりで、音楽を楽しむ心意気が感じられなかった。
そのわりに、クラブ内の女子の比率が極端に少なく、アラタたちが連れてきた女子二人以外には数人程度しかいなかった。
男たちは誰が女子に声をかけるか、お互いにけん制し合っているような雰囲気だった。
そのせいで、アラタたち四人が妙に目立ってしまっていた。
アラタとユウは女の子を誘ってDJブース前のフロアに出て、何度となく踊った。
ビルボードチャートのヒット曲は二人とも大好きだったし、酒と爆音とヒットソングとダンスフロアがそこにあれば、あとは身を任せるだけでいい。
踊り方や楽しみ方は、いくらでも女の子に教えることもできるし、同調することもできる。
しかし、そのフロアで踊っているのはアラタたち四人だけだった。
フロアに馴染むことができず、心から楽しむことができなかった。
「あのコたち、彼女?」
酒を買いに行ったタイミングで男の二人連れからそう声をかけられた時、ユウは嫌気がさした。
ユウ「知らねーよ。彼女じゃねーよ。なんだよ。彼女だったら何なんだよ。人の様子うかがってんじゃねーよ。声かけたいなら好きにしろよ」
ユウは席に帰ると、女子二人に言った。
ユウ「俺ら帰るわ。約束どおり帰りのタクシー代わたすけど、どうする? まだここにいてもいいよ。二人だけあとでタクシーで帰ってもいいし」
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明かりの消えた西武デパートの前で、ユウとアラタは女子二人がタクシーに乗り込むのを見送った。
街を歩く人はまばらになり、しんとした空気が上空から少しずつ下りてきているようだった。
ユウ「悪いな」
アラタ「しょうがないっしょ」
ユウ「とりあえず歩くか」
二人は足の向くまま、駅のほうに歩きだした。
さきほどまでの雑踏が嘘のように消え、まるで、渋谷全部が自分たちだけの街になったかのように歩きやすくなっていた。
左手の109メンズ館。
右手のTSUTAYA。
左前方のハチ公広場。
正面に見える井之頭線とJRをつなぐ空中コンコース。
それらの真ん中に横たわるスクランブル交差点。
そのすべてがひんやりとした暗闇に包まれて、二人のことをおとなしく待っていた。
アラタ「ガールズバーでも行くか?」
ユウ「んー、音楽聞きてぇな。ちゃんとしたやつ」
アラタ「クラブか。いいとこある?」
ユウ「どうだろ。調べる。ちゃんとしたDJの、ちゃんとした音楽が聞きたい。いいやつ。とろけるようなやつ」
アラタ「さっきのは、まぁしょうがないな。あれはああいうやつだ」
ユウ「うん、違うやつ」
そう言ってユウは、スマホを取り出した。
書く力になります、ありがとうございますmm