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AIで理想的な「赤ペン先生」が生まれるか?
「赤ペン先生」、わたしも、子どももお世話になっています。もう50年近くの歴史があるのですね。
よく知られた話ですが、「赤ペン先生」の採点は細かくマニュアル化されています。「こういう答案にはこういう指導をする」と決められているのです。
赤ペン先生の魅力の本質は何か?
見方によっては、字がきれいなら誰でも赤ペン先生が務まるということになります。ただ、いくらマニュアルで書き込むべきことが定められていても、生徒がどのようにアプローチしたかは、「赤ペン先生」の想像力に委ねられます。
記事からの引用です。
赤ペン先生は従来、答案に残った消しゴムの「消し跡」などを頼りに生徒の弱点を推測してきた。「最大の課題は、日々の学習の様子が見えないことだった」
『「消し跡」から弱点を推測』というところに赤ペン先生の人間臭さが表れていて感動を覚えます。ここが「赤ペン先生」の本質的な価値です。
しかし、その先の話には少々違和感を覚えました。
タブレット端末を使うことで、解答時間など詳細な学習行動が記録される。この会員200万人のビッグデータを赤ペン先生向けに加工した。課題の進捗や正答率のほか、小学1~2年生では問題の読み込み具合や正しい学習方法の習得度を独自のアルゴリズムで算出。データに基づく指導を可能にした。
答案はデジタルでやりとりされるため、添削期間は約2週間から最短翌日に短縮。答案提出率が従来比で約3倍になった月もある。今後、各種データを連携して、指導後に類似の問題を解けるようになったかや、効果的な指導方法なども分析し、赤ペン先生の潜在力を引き出したい考えだ。
詳細は分からないので、それこそ推測にすぎませんが、『「消し跡」から弱点を推測』という良さが消されないかと感じました。人間臭さは、かろうじて手で書きこむことだけになってしまう、と思ったのです。
そもそも学びの本質は何か?
違和感にはもうひとつ原因があります。生徒の「分かった」を、「パターン認識ができるようになったか」どうかで捉えている点です。
つまり、パターン認識できない生徒を、独自のアルゴリズムでパターン認識し、ワンパターンの指導コメントを書き込む、と記事には書かれてるように思えてしまうのです。
もちろん、パターン認識ができることも大切です。それを反復練習して身につけること自体を否定するつもりはありません。ただ、生徒が「自ら学ぶ力」をどのように身につけるのかということが、今の教育における本質的な課題であるはずです。
「学びに向かう力」を育むAIリコメンドコンテンツ
そうした問題意識で少し調べてみると、AIを活用した学びについての興味深い記事を見つけました。
「Shuffle.(シャッフル・テン)」は、授業における子どもたちの振り返り(文章による自由記述)をAI によって解析することで、一人一人の子どもの「学び」の対象に対する好奇心や探究心をさらに醸成するきっかけとなる 10 本の動画(YouTube)をリコメンドします。子どもたちはリコメンドされた動画の視聴を通して、「学び」の対象に関わる様々な知見の入手・獲得、修正・訂正、深化・拡充を図るとともに、自分自身の個性伸長やキャリア形成に資する学習方略をも獲得する機会とすることができます。
「Shuffle.(シャッフル・テン)」を活用するには、子どもが自らの「学び」を振り返る(言語化によるメタ認知)行為が大前提となります。そしてそのメタ認知に対する AI リコメンドによって、子どもたちは一人一人が個性的に様々な学習方略を獲得し、そこに自身の可能性(自己効能感)を感じ取っていきます。
上記は、MAZDA Incredible Labさんのプレスリリースからの引用です。解答ではなく、生徒の振返りをAIによって解析している点が、このコンテンツの特徴です。
「Shuffle.(シャッフル・テン)」は、今、学校現場で活用が始まっている「AI ドリル」とは発想が全く違います。理解のつまずきを解析してその原因を取り除くのではなく、その子供の興味・関心をさらに醸成する方向性において、「学び」の個性化を促します。本コンテンツは一人一人の多様性を尊重しながら、子供のキャリア形成と個性伸長に資するものであって、その活用は従前の「勉強」を「学び」へ変革するトリガー(きっかけ)となります。
定められたパターンを覚えるつまづきを取り除いても、本当の意味で学ぶ力が身につくわけではありません。教育の現場でも「心ある先生」には、以下の様な「人間臭さ」があります。
これまでも心ある先生は、子どもたちに授業の振り返りをさせればノートを集め、そこに綴られた記述を丁寧に読んで素敵な気付き等に線を引いたり、コメントを返したりしていました。子どもにとって先生からの共感的理解は、最高の承認欲求の充足であり、このことが子どもたちの学習意欲をさらに高めていきました。
ここに書かれているのは、理想的な「赤ペン先生」です。しかし、先生たちもそうした実践をするには時間がない、だから続かないという状況にあります。その状況を解決しようとしているのが、開発者の思いのようです。
AIを使って退化しては意味がない
恐らくベネッセさんも、同様の問題意識は持っていると思います。だからこそ「赤ペン先生」の手書きにこだわっているのです。
ただ、少なくとも記事の印象は、赤ペン先生の「業務効率化」にフォーカスされているように感じました。ちょっとうがった見方になりますが、その方が受け入れやすい記事になるということなのかもしれません。つまり、『「AIを使って効率化」=進化なのだ』と単純なパターン認識に私たちが陥っていることが問題なのです。
本質を深く考えないまま、テクノロジーを当てはめるだけでは、退化を促進してしまいます。これを乗り越えるのが未来に向けた学びの課題であり、長い間、解決できない課題でもあると思います。