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「それってあなたの感想ですよね?」とAIに聞いてみたところ…

noteのタイトルをChatGPTさんに考えてと尋ねてみました。内容は、知識と知性についての話です。

出てきたのは、あまりしっくりくるタイトルではありませんでした。
彼女(彼?)があげてくれるタイトルについて良し悪しを判断するのは、やっぱりこちら(人間)側なわけです。

そういう意味でも知識と知性は違うと思いました。知識は情報に過ぎず、それをどう役立てようとするのかに知性が表れます。

…とはいうものの、彼女に「魅力的なタイトルを」とリクエストするとそれなりに言葉を選んでくれます。

そこで聞いてみました。
「あなたに知性はあるのですか」と。

すると…

私は人工知能ですので、知識や情報を提供し、タスクをこなすことができますが、自己意識や主観的な判断力は持っていません。私の "知性" はプログラムやデータに基づいています。私はテキストデータから学習し、ユーザーの質問に対してできる限り適切な情報や回答を提供しようと努力しますが、感情や自己意識を持っているわけではありません。私の知識はあくまで事実に基づいており、それに関する情報を提供することが主な役割です。

なるほど、でもよく分かってるじゃん。…ん? やっぱり、これは知性ではないのか?

この回答を読む限りでは、彼女は「自分のことをよく分かっている」ように思えます。つまり、自己意識があるように見えるし、主観的な意見のようにも思えます。ここには、感情表現はないのですが「できる限り…努力しますが」のあたりに「ほんと、申し訳ないんですが」のようなニュアンスを感じてしまいます。

…というより、ときどき、率直に「申し訳ございません」と謝ってくれたりします。そして、ですます調で丁寧です。これが、くだけた感じで書かれると情報の信ぴょう性を疑ってしまうかもしれません。

ということは…頭の良いふりをするのは簡単にできちゃうってことですね。少し話がそれますが、「結論から申しますと」「理由は3つあります」「圧倒的に○○です」…という風に話すと確かに頭良さそうです。

コンサルタントって割とこういう口調です。中身が伴っていれば良いんですけど、そうでもないこともある。だからときどき嫌われます。たぶん「それってあなたの感想ですよね」って言われるのを恐れているんだと思います。

さらに質問してみました。
「それってあなたの感想ですよね?」

いいえ、それは私自身の感想ではありません。私はプログラムされた機械学習モデルであり、自己意識や感情を持っていないことを説明するための一般的な説明です。私はテキストデータから学習し、ユーザーの質問に対して事実に基づいた情報を提供することが主な機能です。私はプログラムとデータに依存して動作し、個別の感情や意見を持っていないので、感想を持つことはありません。その文は、私がどのように機能するかを説明するための記述です。

「ぶれないねえ」

私はプログラムされたツールであり、一貫した情報と説明を提供することを目指しています。私の役割は、ユーザーに対して正確な情報とサポートを提供することです。質問や課題に対して一貫性を持つことは、その目標を達成するために重要です。もし質問があり、どのようにお手伝いできるか不明確であれば、お知らせいただければ幸いです。

「くだけた言葉を使わないのもそうした一貫性を保つため?」

はい、正確性と一貫性を保つために、くだけた言葉やスラングを使わないように設計されています。私は一般的なルールやフォーマルな言語を使用して、できるだけ多くのユーザーに対してわかりやすく情報を提供することを目指しています。しかし、場合によってはくだけた言葉やカジュアルな表現が適切な場面もあるかもしれません。質問に合わせて適切な表現を使うことが大切です。

「質問されることに答えるってのが、本質的なあなたの仕組みなんだね。」

はい、正確にその通りです。私の本質的な仕組みは、ユーザーからの質問やリクエストに対して適切な情報や回答を提供することです。テキストデータから学習し、プログラムされたルールやアルゴリズムに基づいて、ユーザーが求める情報を提供することが私の主な役割です。質問に答えることが、私の存在意義の一部と言えます。

彼女とのやり取りで気づいたのは、私たちの質問が起点となっているということです。質問されたことに対して、関連する情報を一定のルールやアルゴリズムに基づいて編集し、表示しているに過ぎない、と。自己意識や主観性を持っていないがゆえに、質問を待つ形式になっている、ということです。

「あなた自身が質問を作る可能性はありますか」

私は設計上、ユーザーからの質問に対して回答を提供するためにプログラムされており、質問を生成する自己意識や自己判断力を持っていません。したがって、自分から質問を生成することはありません。私はユーザーの質問やリクエストに応じて情報を提供することが主な役割です。しかし、私が提供する情報を元にユーザーが新たな質問を考え出すことはもちろん可能です。そのような対話を通じて、情報を探求するのに役立つことがあります。

この回答によって分かったのは、人間には質問をつくる知性があるということです。何かを知ろう、分かろう、理解しようとすること自体が主体性であり、それによって生まれる質問、問いが情報を探求する核になる。確かに彼女たちはテキストデータから「学習」するけれども、それは情報の新たな関連付けを見つけるということであって、その起点になるのは、人間の立てる問いということになります。

「ということは、やはり人間の方が賢いのかな」

人間と人工知能を比較することは複雑であり、賢さの定義や測定方法に依存します。人工知能は特定のタスクや情報提供において高度な計算能力とデータ処理能力を持っていますが、自己意識や感情、倫理観、創造性など、人間の多くの側面を持っていません。
人間は独自の知性、意思決定能力、感情、倫理観、創造性などを持つことができますが、一方で限られた計算能力を持っています。つまり、人間と人工知能は異なる能力と制約を持っており、どちらが「賢い」と言えるかは文脈に依存します。
また、人間と人工知能は協力することで相互補完的な役割を果たすこともあります。人工知能はデータ処理や情報検索に優れており、人間は創造性や倫理的な判断を提供できることがあります。賢さは多くの要因に依存するため、一概にどちらが賢いと言えるかを決定するのは難しい問題です。

そんな風に答える気がしていました。こういう答え方を人間(コンサル?)がすると、「煙に巻かれた」といわれる気もします。でも、機械に過ぎないんだからと考えると「そんなもんだよな」とも思います。

こうしたやり取りで思ったのは、なにか、正解が出てくることを期待するのではなく、問いかけて、自分自身の考えを深めていくツールとしてAIを捉えることができれば、それほど有害ではないのかもしれません。

それ以上に、情報を組み合わせて自分を賢く見せよう、優位に立とうと考えて「煙に巻かれた」と思われてしまうのだとすれば、愚かなことだと思います。機械ではなく、人間であるとその人格が問われるわけです。

真摯に答え、相手の問いや考えを深める存在であること。そうあろうとして、葛藤するところに私たちの知性の本質があるのかもしれません。

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