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野中郁次郎と『失敗の本質』――理念なき経営の行き着く先

深く共感する内容でした。

#日経COMEMO #NIKKEI

野中郁次郎先生がお亡くなりになりました。記事の中で中山氏も書いている通り、その理論と存在がとても大きい。

「人的資本という言葉には違和感がある」とも話していた。人はモノでもカネでもない。人間とは「未来志向で意味をつくる動的主体であり、他者との関係性のなかで人になる。つまり、資本を生み出す存在が人間なのだ」という指摘が印象的だった。

グッとくる言葉です。

私はいま「経営理念が組織をつくる」というテーマを探求しています。
仕事は人が行う尊いものです。ただ作業をするのではなく、意味を見出して未来をつくる。その原動力は誰かの役に立とうと願う思いです。それが経営理念だろうと私は思います。

理念は目に見えません。標語として飾られているだけでは思考停止を助長します。でも、理念は仕事に現れます。それを私たちはお客さまや仲間との関係性の中に見出すことができる。その意味で経営理念は暗黙知のようなものなのかもしれません。

暗黙知と形式知による知識創造のサイクルであるSECIモデル。多くの人にSECIモデルが支持されるのは、資本を生み出す存在としての人が、仕事の尊さを原動力としていることが表れているからなのだと思います。

PDCAには、サイクルを回す原動力が描き切れていません。勤勉な私たちは、そのサイクルを回すことはできるものの、回す意味を問わないかぎり、進歩しません。「PdCa」になってしまいます。「他者との関係性の中で人になる」ような対話の場が失われていることが本質的な問題なのでしょう。

記事の中には、野中先生の生前の言葉がいくつも引用されています。

「空気の支配、縦割り組織、異質性の排除、不都合情報の隠蔽――。一言で言えば、成功体験への過剰適応だ。過去の成功から脱却できず、むしろ過度に適応しすぎて内外環境の変化に対応できない。それを表現した」

未来をつくりだす存在である私たちは、いつも変化を起こしています。なのに、過去の成功にとらわれて、変わらないことが生存戦略として選ばれてしまう。失敗の本質は、このパラドクスのなかにあります。

「(株式時価総額が大きい)米テック企業と比べ、知の体系に差がある。われわれはなぜ存在するのか。存在目的を果たすのにどんな知の体系が必要かをイノベーティブな米企業の経営者は深く考え、構想できている」

このコメントは、奇しくもかつての「失敗の本質」同様、米国との対比になっています。

この表は、9つの項目からなっていますが、やはり目的が明確かどうかが起点になっているように思います。「われわれはなぜ存在するのか。存在目的を果たすのにどんな知の体系が必要かをイノベーティブな米企業の経営者は深く考え、構想できている」わけです。

これをずっと同じ失敗の中にいる日本、と捉えることもできるでしょう。ただ、そのくくり方だとやはり進歩がない。目的を問うこと自体は、誰でもできるはずです。

「われわれはなぜ存在するのか」
忘れずに、自分にもお客さまにも問うていきたいと思います。

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