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青い瞳
心は悲しいままだが夜はそんなことには気にも留めずに明けていく。
嬉しい心にも朝が来た。どちらにも朝が来る。いやただ夜が明けたというだけで朝が来たわけではない。夜が終わっただけ。何かが始まるのかは不明。
疑問があるとすればどのような心にも変わらず夜が明けていることに対して。しかしどちらであってもそれなりの正統性はある。悲しい心が転じるきっかけになるとか。
夜明けは悲しい側の物。では嬉しい心に来たというのが、嬉しい心を潰すために来た。
静止している。それは夜が明けるという動きに対しての反抗か。ブルーな気持ちとよく言う。青い瞳は悲しい色かもしれない。朝が来たのか。
朝は来ない。青い瞳以外の世界はまだ夜のまま。眠っているとき皆目を閉じている。その中で青い瞳だけが目を開けて動かない。
誰にも気づかれないまま大事な瞬間が消費されていく。しかしその時とはどのときのことか。すでに出て来ている夜明けのことか。過ぎつつあることも悲しいことの一つに数えるのか。
話とは何についての話か。口で話す。眼ではない。いや目は口程に物を言う。青い瞳がじっと物語を離しているのだ。
今、というのはすでに夜が明けた後の時間からか。ダッシュがあるのはまた別の時間にいるということ。定かではないが、青い瞳の現在を知らない。
動かないことでよりその中の、内面の「動き」を読み取ろうとしてしまう。表には出さない、その姿勢を美しいと言っているのか。我慢の美徳か。
灯影の灯は証明の意味だから私がいるのは夕方。夜明け前のその時の青い瞳について語っている。遠い話とは私の話す話か。
動いたかもしれないし動いていないかもしれない。しかしそのことばかりに気を配るのはなぜか。今は赤いかもしれない。今は黒いかもしれない。
青い瞳を見つめるだけで、大事かもしれない瞬間、何事かが怒ったかもしれない瞬間を、動かな瞳を見つめることに費やしてしまった。私の後悔。
動かないと言っている青い瞳に最後上記のようだというのは、台無しな感じがする。瞳の奥から、動きのある内面から漏れ出す蒸気、ということにしておく。
2冬の朝
それが射すものは何かわからない。これも「現在」から過去のことを回想している風。それということは物質。人間ではない。
わからないことだらけである。しかしわからないなりにできることもある。このままわからない、ということを言い換えるだけの詩か、少しでも解明に進む姿勢があるのか。
霧や靄がかかって見えない。見えるということが即わかるという認識か。飛行場は出発地点でもあり終着地点でもある。
今は出発地点。では朝霧と相性はいい。一日の出発が朝という時間帯であり、飛行機はまた違う霧、雲の中へ消えていく。
ともにいるのがゴミみたいな、価値のないもの。空に対して地上にあるものはあっけないものばかり。それが「わかった」からといって何ら意味はない。
その寒さはおそらく風が運んでくるもの。その風はもしかしたら消えていった飛行機の残したもの、起こしたものかもしれない。それに雑草や砂も揺られ舞い上がる。
雑草や砂がある飛行場ではなく、あの飛行機がない飛行場。その行方を知らない。開いたところに風が吹きつける。
強迫観念。本心を隠してその後の一日を過ごさないといけない。朝にそのような消失が起こったのはよくなかった。飛行機は夜のことか。
しかし対人関係が云々のことを考え出したのはなぜか。それは「残酷」という言葉に反応してか。世の中は人であふれかえっているがただ喪失感は埋まらない。
情けないは残酷と関係。類語ではさんでいる。
笑うこともできるかもしれない。やはり対人関係の話題に切り替わるのは不自然。
より上の方にあって、自分を越えていく。それは飛行機のような。自分から遠ざかっていくものたち。
雑草と寒さの時間に戻って来たらしい。朝が徐々に開けていく。光が射しこみ霧が明けていく、はずだ。雑草が草葉という言い方。
犬とか鶏とか、そういう鳴き声にやはり敏感。朝が来たのを告げる。それはあの飛行機と入れ替わりで。心の屈折を上から塗りつぶすように。
すべて一緒くた。その文字が示す規模で言えば鶏が一番小さいが。
僕だけの心に、それとも「人々」には僕も入っているのか。入っていないとする。連想が対人関係の方へ行ったのを、そこに鶏がつんざいたのだ。心に染み入ったのである。
朝が来たと思えばすでに夜が来ている。気づかない間に。しかしそれが「人々」の時間の感覚に一番近いのかもしれない。朝の霧も鶏の鳴き声も聞くことなく、眠りにつく。
僕だけがいまだ飛行場に残っている。取り残されたまま。飛行機がどこかへ向かていくかも知らなければ自分がどこへ行くべきかも知らなかった。
ためしに。しかし少し希望を見出せないだろうか。人々の時間に合わせようと、まず初めに空箱を蹴ってみるという実験的姿勢が見受けられる。
三歳の記憶
縁側が分け隔てるのは向こう側とこちら側、そして内側と外側。庭と部屋。外からの物音、静かな室内。向こう側から射してくる日光。
縁側にズームアップ。当然木製だが、普通空にかかるのは虹で、しかし今は樹脂でその虹色がミクロの世界に住んでいる。
淋しい庭である。柿の木がどれくらい大きいか知らないが、数え方でそう思わせる。五と一。柿の橙色と五色。
今回の外の物音は蠅。蠅は鳴き声を出すわけではないので鳴る、の方が正しいが別にいい。琵琶色に柿色で陽の光でぼんやりしている。
いきなり室内へ入っていく。トイレの描写、蠅を受けてか。外の蠅がトイレまで渡っていったのか。橙色に押されて。
蠅から始まってまた別の虫が登場する。寄生虫はしかし自分もそう。縁側、家に宿った私。
回虫も生きている。蠅のように物音を出すことはないが、動き回る。虹色の縁側、便器の縁側で。
もっと驚くことがあるはずだが、回虫の記憶で上書きされる。そのようないわば残酷な記憶の方が残りやすい。
驚きとは恐怖の混じったそれ。家の内側、私の内側に宿っていた生きもの。その私もトイレに宿っていて、トイレは家の一部で、その縁に太陽が当たっている。
おそらくは暗いところ。便器のもっと暗い底へ回虫は落ちていった。下へ落ちていく。蠅のように翅がないから。
不思議なことではない。誰でも自分の尻から虫が出てくればおどろくものだ。怖さを原動力として、こわさに飽きて、こわさの反復から何が起こるか。
当然の反応。しかしそれを見てすぐに泣いても良かったのではないか。驚きと恐怖を間に挟んでやっと泣く。蠅の羽音ほど小さいものではない。
暗い部屋の中。蠅ももう飛んでいないし、外からの物音も届かない。回虫のいなくなった私の内部もきっと先ほどよりは静かになった。
となりの家などない。世界の中心は私の棲んでいる部屋であり、私の肉体である。回虫がトイレへ落ちていったのとは逆に隣りは空へ吸い込まれていった。現にそうというのではなくそれほどまでに静かだったということか。
六月の雨
午前は一日の前半戦。その後止もうが降りつづけようが雨はそのあと一日中影響を及ぼす。
菖蒲はあやめ。青色。しかし雨が緑色であるとはわからない。一度竹のかおりを運んでいたことがあったので、何か雨が結びつけるものがあるのか。雨の生臭い感じがそうさせるのか。
目が潤んでいるというのは雨の関連でわかる。面長というのは縦のうごきか。雨が上から下へ降ってくるその動きに合わせてその女の顔も立てに伸びた。
まるでヴェル氏のよう。しかし雨がモザイク画のようになって人影と空目するということもないことではない。面長であると同時にその女は長身かもしれない。緑色の服か。
ライトが点滅するように面長女。雨も一粒一粒が降っては流れて、その繰り返しである。そのリズムと女の点滅はどちらが早いのか。
雨が悲しみの状況というのは人間普遍の感覚だろうか。沈むのは空気とか。雨が汚れを地中へ沈ませていく。
畑にとってはしかし悲しい事でも何でもなく、恵みの雨である。そして緑色がここで回収される。畠の緑。栄養を蓄えている。
限りない、終わりの見えない、規則的に降ってくる雨。空がはてしないとしたがそこから降ってくる雨も空の果てしなさを思わせる。
太鼓が雨で、笛が面長女。それ位のリズムか。うれいとか悲しいとか裏腹に楽し気な状況。
子どもはどこから来たのだろうか。面長女と関係はあるのか。畠で働く人がたしかにいなかった。日曜日の出来事か。子供は働かない。
畳の緑色。このあどけない子がすべての牛耳っているのか。太鼓が雨、面長女が笛、畑が畳である。室内では雨に濡れる心配もない。
子どもが遊ぶほどに雨が激しくなっていく。その度に面長女が、畠が、出て来て消えていく。この二つが中と外で拮抗している。
雨の日
通りが横に伸びているとすれば、縦でも横でも平面の道と垂直のうごきをもたらす雨。直線的な風景。
家の中にある腰板を見る。外から中へ強引に。しかし腰板の構造が通りに降る雨と少し似ている。横の木に縦のいたが立てられている。古いということはずっとあるということ継続ということ。
愚弄するのはこの主体か。主体の眼。
夢を見ながら起きるという矛盾。愚弄がどこから来たのかわからないが、その眼が落ち着いてやっと矛盾、自分の好きなように出来る。
古いもの、愚弄してくるものか。刀と花瓜の類似で発展。
刀身を守るもの、鞘。舌から言葉が発せられ、言葉は刃物である。幼友達の話す言葉は鞘に包まれた刀のように鈍い。
四角張っているという言葉で腰板と繋がる。眼が来て舌がくる。しかし鼻とかが来ることはない。
何の原因もなく、愚弄しているのか。その幼友達をけなしているわたし。
鑢で削って刀をダメにしている。だみ声が誰の声かは定かではないが、幼友達のものにする。
胃袋は内部であり、鑢のようにぶつぶつになった肌。鑢をかけられたように。黒いの続きか。
胃袋に雨が溜まっていく。家々の腰板ほどに衰えているのか。雨の音に紛れて聞こえるものがある。
鑢もだみ声も癒す、のかもしれない唇。舌から唇へ、しかし胃袋から繋がっているもの。胃袋の先端と見ることもできる。
先ほどの鳶色を受けてか。焦っている心は刀のように鋭くなっているかもしれない。それを包む肉体は鞘。
見え隠れしていたのは夢と現。煉瓦越しに見える雨空みたいな。淑やかだったのが焦り始めている。さやから少し見える刀身。唇から見える胃袋。
優しい唇の持ち主だろうか。優しくて賢くて、若い。古い腰板も胃袋もその前では太刀打ちできない。刀を抜くこともない。
黒髪はたしかに流れるようで水、雨が流れるさまと似ているかもしれない。黒髪の少女の父親か。しかし首というのが少し物騒。刀がすでに出て来ているから。