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思ひ出
いい天気だと気分がいい。なぜだろう。最近やっと暖かくなってきた。太陽の光を浴びるとナントカという物質が出て気持ちいい。では電球ではだめなのか。
穏やかな波。海にはあまりいったことがない。広くて怖い。色んな微生物がいる。見た目は綺麗かもしれない。
太陽と波。貴重なもの。貴金属。光るもの。まぶしい。ギラギラではなくきらきら。感動している。
景色に感動できるのは心に余裕があるからか、それともないからか。何でもないことに感動する。現れては消える。
いらいらしてきた。視点が移る。沖が綺麗なのは分かった。では目線を動かせばもっときれいな景色が見つかるのではないか。期待。
目線ではなくて身体ごとだった。海に出っ張っているところ。より高いところから眺めたい。活動的。
相変わらず。見る位置が変わっても変わらず光る。ずっと見つめていると眼が眩みそう。暖かい。風もあるか。
生産。波が生まれては消える。太陽と海が出会って金や銀の光が生まれる。そんなところに工場を作って良い事とは何か。
粘土が海底から取るから。いい天気だから良く干す。同じ形の小さいものがたくさん並ぶ。波と同じか。
今度は煉瓦と太陽が出会う。しかし波とは違って煉瓦は消えない。むしろ生乾きの土から煉瓦になろうという途中である。
海も静か。遠くで光っている波の音は主体のところまでは来ない。
大きなもの、たくさんのものに囲まれていると安心する。レンガ工場がうるさいものなのか知らない。
つまんね。安心のしるし。長ったらしい詩ほどつまらない傾向にある。動作が当たり前の連続。
この後にどのような展開があるのか。突然曇るとか。レンガ工場がうるさくなるとか。突然憂鬱になるとか。
遠くからの音。特になし。その音がどう聞こえるか。気がまぎれるのか。
別に変化はない。ただずっと鳴っていたものに座ってようやく気付いた。リラックス。
暖かさを生む。煙草を消費しながら。
つまらない。同じことの言い換え。思いつかないのならば黙っていればいいのに。季節は春。
鳥の鳴き声。波の音と混ざり合う。のどかで退屈な詩。
窓は透明。窓を通り過ぎていくから、太陽光は。通過点でしかない。
乾かしていた煉瓦もすべて無駄になった。窓にその気配があったのかもしれない。通過点でしかない。光は通り過ぎていく。煉瓦をみんな必要としなくなった。
何も生まず、ただの建物になった。邪魔なもの。岬にあって危ないし、ただそれは突然ではなく徐々に衰退していったのだろうと思う。波が崖を削るように。
曇る。朽ちていく。経年劣化していく。それか太陽の光を浴び過ぎたのか。遮るものが何もない。また潮風もあって、海から来るものを遮れなかった。
作っては壊して、ただの一時的な生産のために作られたもの。すぐに要らなくなる。
芯から腐っていく。別の場所で半また違う工場が生まれている。それを知る由もないが。岬が削れていけばその工場もなくなる。実在するのだろうか。
しかしそれは煉瓦工場からすれば休憩、やっともらえた休憩なのかもしれない。煉瓦を十分に生み出して、あとはゆっくり余生を過ごす。
鳥の鳴き声は変わらない。
どのように朽ちていくのか。まずはてっぺんからだろう。窓やガラスなども割れる。風雨にさらされて削れていく。誰も壊そうともしない。忘れられた場所。
自然は過去と変わらない。何ら変化しない。恒常的。波が侵食していく。物音に響いて朽ちていく。
土から草木が生えたりしているのか。土も死んでいるかも。工場は海を眺めている。腰を据えて。良いことではないか。
人は来なくていい。工場はもう働く必要はない。ゆっくり休んでいればいい。そこで働いていた人たちも働く必要がなくなった。皆にとって得。
たまたま見つけただけ。通りすがりだった。あの時はいい天気だった。今はどんな天気だろう。なぜ煉瓦工場についてここまで語っているのだろう。煉瓦工場を中心とした空間。
火が燃えて。希望にあふれて。煉瓦をたくさん作ればそれらは建物になる。建物の材料のため。しかしその当の工場が廃れるという皮肉か。
作るのは時間がかかるが消えるのはあっという間、のその逆。作るのはあっという間だが消えるのには時間がかかる。朽ちていくのは生き地獄みたいな。
何の役にも立たないのに場所だけを取っている。得体の知れないものになる。役割を取られたものはその形もようすも一気に不気味になる。
ゲシュタルト崩壊。とはいえ見る人さえいないのだが。雨が降ってそれが渇いて、その繰り返しのうちに廃れていく。
何を考えているかわからない。その先が見えない。どうなってしまうのかわからない。取り壊されるわけでもなく、かといってかつてのように生き返るわけでもない。
生産、功績。皆の役に立っていたあの頃。
人を憎むのか。海を睨むのか。自分を恨むのか。海を眺めている。することもないから。鳥も波も工場にはなにももたらしてくれない。ただ周りで物音を立てているだけ。
いつもの習慣なのか。その眼の意図を探るために。自分に向いていないことを確かめるために。または以前のようにただ休むために。いい天気ののんびりを求めて。
朽ちていくのはやはり並みの仕業なのだろう。徐々に削られていく。寄せては返す波によって工場も、その立っているところの岬も削れていく。そのことに気づいた。
残暑
畳、昔ながらの日本の家って感じ。草の匂い。人工と自然の間。なんにもやることがないから。寝るのではなくて寝転ぶ。昼間か。まだ寝る時間じゃない。
蠅もまだ元気。あおむけになっている。寝ているところに来るな、うっとうしい。
勝手に緑だと思っていた。古くなった畳。取り替えたらどうか。金がかかる。歴史がつまっている。どれくらいもつものだろうか。一枚何円くらいなのか。
家の人ではないのか。そもそも自分の家ではないのか。家族のことを誰かと言っているならば少し不自然。ふと思い出す。寝転ぶ分には問題ない。蠅は腐ったものにやってくる。
蠅の軌道のようにあっちへ行ったりこっちへ行ったりする。今朝がたのことを何の脈絡もなく思い出す。
暇人。一本筋の通った記憶などない。それはいつでも散文的である。思い出してはどうせ後悔したり、悲しくなったり、また忘れたりというお馴染みの手法。
勝手に浮かんでくる。記憶を手離している。それを楽しんでいるのか。とりとめのなさが眠気を誘った。刺激のない記憶。
惰眠そのもの。休日かもしれない。昼寝。朝昼晩。夕方太陽が沈む。人々が帰ってくる。夜の準備をする。そんな時間。
残暑、一年を一日とすれば秋は夕方。夏の夕方はまだ明るい。そして暑い。しかし気持ちよく眠れるくらいの気温。畳は涼しい。
枝は空にさらされる部分。栄養を得るために。いずれ枯れる。まだ青々としている。
から、の順接だろう。けどの逆説はおかしい。不自然である。まだ昼の暑さが続いていたから打ち水をした、のほうがより自然。
意図しなかった水しぶき。木の枝にかかる。
ぼんやりしている。失った時間を木の枝に見出しているのか。忘れて言った記憶を打ち水をして落ち着かせようとしている。記憶が勝手に浮かんでくるその熱を寝ることで冷ます。打ち水をする。
除夜の鐘
もう何回似た表現を見て来ただろう。遠い空。鳴る、もうこりごりだ。大晦日か。夜だから目では見えないけど音の響きで空の大きさがわかる。
絶えずなっていたわけではない。この書き方では休むことなくずっと鳴り響いていたようにも取れるから下手くそ。空。古びているのは鐘の方。
神社じゃないか。仏教の文化。何で、霧、超常現象。神秘的、隠されている。
そのあたり、そこから、ダサい言い回し。除夜の鐘の近くにいるわけではない。遠くから聞いている。山の中か。森と言えば山。大体寺は山の中にある。
年越しそば。家族団欒。だから何。願い事。煩悩を消す。孤独。つまらない。
楽しい世間。除夜の鐘の孤独。唯一のもの。銀座に行ったことがない。行ってもやることがない。だから行きたいとも思わない。買い物もしない。
囚人が最も除夜の鐘に近いのではないか。なんか、ピーナッツみたいなセリフ。負けたチームはどんな気持ちだろうね、みたいな。場を森下げるくそ気持ち悪いヤツ。
鐘の響きを表している、とかいうこじつけもできるが、だから何だという感じ。総じてつまらない。
雪の賊
めちゃくちゃな因果関係。雪が降ろうが何だろうがそこから人生について考え始めるのは意味が解らない。大きい主語は相変わらず。
うわあ気持ち悪い。美しいとか言っちゃうのがキモい。自虐というか無力な自分みたいな、被害者面というか悲しいことを強がりで美しいと言っている感じ。
キモい。憂鬱に慣れ過ぎたのか。憂鬱気取りなのか。もうネタ切れなのでは。もうかなしいとか愁いだとかで詩を書くのを止めたらいいと思う。マジでキモい。
中世とかまさに好きそう。そういう「美的」で「文学的」な舞台を用意しておけば雰囲気だけは作れるから。城。水曜どうでしょうで出てきた古城とか。
誰だよ。でもまだまし。こういう突発的な、何の関係のない人物が出てくるのが面白い。謎の選択。誰でもよくないか。
親のいない子供。導のない道。指導者がいない。空に消えていく。空しか保護者がいない。時空を超えて降る雪。
悲しみが積み重なる。しかし孤児であることを悲しいと外野から勝手に判断するのも良くない。ただ手が冷えるとよくないから、温めないといけない。手袋が欲しい。
説得力皆無。都会はそんなことには頓着しない。子供がどうなろうと、みんな自分の生活に手一杯なのだから。
ロシアでは年中雪は降っていそう。そうでなくても十分寒い地域。そこにも人がいる。人生がある。知りもしない人生。悲しいかはわからないが。
遠近法らしい。手前に矢来があってそれ越しに彼方、地平線を見る。雪はそこでも降っている。雪はゆっくり降る。二本とは違って日常の出来事。
だから雪を見て人生を振り返ったり感傷に浸ったりすることも、ロシアの人はしないと思う。限りある人生。降っては消えていく人生。
そんな人どこにもいないのだろう。ただこの詩を書くときだけ想定された人間。かといって小説のように動き回ることもなく、ただ見比べるためだけに用意された人。
勝手にそう思っているだけ。思い込み。つまらない妄想。想像力とやら。何でもあり。雪に強いて文句をつけることもない。
冒頭の繰り返し。何の意味もない。最初に感じた気持ち悪さは途中の文章を経た後でも変わらない。皆で悲しくなろうねえ。感傷に浸ってる自分可哀そうだよねえ。きっとみんなそうだよねえ。本当につまらない。