4/2 海へ
私は今日、海へ行く。昨夜ふとゲリラ豪雨が降って、床が少し揺れるくらいの雷も鳴って、寝る前に少し不安になったのだが、日付の変わる頃には元通り、春の静かな夜に戻っていて、私は安心して眠りについた。
朝起きても道路脇に少し、乾かなかった雨が残っているくらいで、暑くもなく、寒くもない気温だった。割引シールの貼ってある、今日が賞味期限の菓子パンを平らげ、胸、腕、足のプロテクターを付け、庭に置いてあるバイクを、約1ヶ月半ぶりに押して出た。
エンジンはまだかけない。朝8時、横も向かいの家もまだ寝ているかもしれない。自分が騒音に敏感なものだから、うるさくしないようにかなり気を付けているのだった。
決して軽くないバイクをヨタヨタと近くの川まで運んでいく。行くと土手沿いには桜の木が並んでいた。しかし昨日の雷雨に、そうでなくても近頃は雨の日が多かったのだから、花びらは大体落ちていて、むしろアスファルトに散っている花を見ている方が楽しいのではないかと思うほどだった。
西側に大きなゴミ処理場があって、東側、向こう岸の土手までは約500mほど離れている。間には当然川が流れていて、河原には雑木林が点在している。少し下流の方でもう一つの大きな川と合流するので、おのずと周りには家も、人が集まる施設もなかったのだ。
それでも花見客はちらほらいて、しかしここまで来て彼らに気を配れるほど、私の体力は残っていなかった。できるだけ人と車のいないところにバイクを置いて、エンジンをかける。
かからない。長い間放置していたのだから当然である。しかしこのバイクにはチョークという、燃料を濃くしてエンジンをかかりやすくするためのレバーが付いている。なので次はそれを引いてかけてみる。チョークを引くとき、かなりワイヤーが固くなっているのを感じたのだが、私は気にせず引っ張った。
何回か息継ぎを起こした後、ついにエンジンがかかる。しかしここでぼんやりしていてはいけない。すぐにチョークを半分くらいに戻して、様子を見なければならない。
チョークを半分くらい戻す。チョークを半分くらい、半分、あれ? なんだか手応えがない。回転計の針は4000回転くらいのままで下がる気配もない。チョークレバーをいじくってみても、バイクは相変わらず私の横で轟音を立てている。河原とはいえ、音も排気ガスの臭いもそのままにはしていたくはない。
曇り空、桜は散り、落ちる花びらがそれぞれ、昨日の雨の湿り気に浸り、小川を流れていくとき、私はハンドルの左側についている、消しゴムくらいの大きさのプラスチックのレバーと格闘していた。その後も一度バイクを走らせてみたり、ハンドルを右左に切ってみたり、スマホで「バイク チョーク 戻らない」と検索してみたりしたが気づけばもう9時を回っていて、そのことに私の熱は段々と冷めていって、結局そのまま家に戻ることにした。
回転計も時計の針も元には戻らない。バイクも私もむやみに熱を帯びただけで、あとはただ無駄に発生したそれらが、勝手に冷めていくのを待っているだけだった。
私は今日、海へ行く。行きよりかは無駄に消費したガソリンの分、軽くなったバイクを押して帰り、庭に元通りにしてもまだ諦めきれず、もう一度、エンジンをかけてみた。その後私はむなしくも、黙って鍵を抜いて、カバーをかけた。
部屋に戻って服を脱ぐと、汗でインナーがずぶ濡れになっていて驚いた。バイクを買ったのがいつだったか思い出してみると、すでに半年ほど経つことに気づき、その間整備も洗車もろくにしていない、自身の怠けにも驚いて、私はすぐさま購入した店に連絡した。来週の土曜日の午前中、バイクは診てもらうことにして、とりあえずは落ち着いた。
なら電車で行こう。そう決めると私は経路を調べた。大体小田急線で、大体交通費も1000円くらいである。高速料金と同じくらい、ガソリン代を鑑みればやはり電車の方が断然安かった。
着替えを済ませて髭を剃る。歯を磨いて、準備完了。ふと気になったことがあった。靴下は現に履いていたのだが、最近買ったばかりのもう一足の靴下が見当たらないことに気づいて、探すついでに部屋を全体的に荒らしてみた。準備はもちろん完璧である。そのまま玄関に行き靴を履けば出かけられる状態だった。しかし私はその失くした靴下のことが気になってしまって、なかなか外に出ようという気持ちになれなかった。
特にきっかけはない。あるとすれば私が心の中で「どうでもいいや」と呟いた時で、そうなれば私は、服も持ち物も準備が完璧な人ではなくて、もう一足の靴下が欠如している不完全な状態の人として、外の世界に出ることになった。
高速代に使うために下ろしておいた、いくらかのうち半分をICカードにチャージして、私は改札に入った。ホームに突っ立っていると、電車が滑り込んできた。乗ると車内にはスーツを着た若者たちとその親であろう人たちが多くいた。今日はちょうど沿線にある大学の入学式らしく、彼らはその大学の最寄り駅でごっそり降りていった。終点で乗り換え。小田急線の駅に向かう間もスーツの若者とその親たちと、期待と不安たちにすれ違った。しかし私は彼らとは逆方向へ歩いていった。
また改札を抜けてホームへ、待合室に腰を下ろし電車を待つ。来た電車に乗る。降りる、待つ、乗る、座る、マスクもしないで咳をする老人、イヤホンをつける私、降りる、抜ける、歩く、待つ...... 単調な動作の連続の末に、もう一度電車に乗って、そしてそれが最後の乗り換えだった。
その時に目にした「箱根」「熱海」むしろ「新宿」だとかの文字列が私の旅情を刺激した。もちろん向かっているのはそこらではないが、ずいぶん遠くまできたと、なんとなくそう思うことができれば、それで十分なのである。
駅の南口を出て海岸線までは約1.5km、一本道が海まで続いているので、私はそこを何も考えずに、どこで曲がるとかどこを渡るとか一切考えずに進んでいけばよかった。そこまで広くはないものの、信号も少なければ人通りもそこまでない。バイクだったらこんな道ひとっ飛びなのに...... 私は俯きながら、それでも海を目指して真っ直ぐ歩き続けた。
茅ヶ崎海岸。そこは私にとってなんの縁もゆかりもない土地であり、どこかそこに訪れたい場所があるわけでもなかった。ただ降りる駅から一番近い海、家から一番近いであろう海がここだっただけで、この土地に特に愛着もこだわりもなかったのだ。
しかし、あえて後知恵を付すとなれば次のようになる。いわゆるここは「湘南」地域の一つである。しかし季節というのもあるのだろうが、江ノ島や鎌倉などとは違って名所のようなものがあまりなくて、観光客が少ない。いや、雰囲気からして、もしかしたらそのうちの大半は地元の人たちだろうとも思う。加えて、浜辺も大きな石がごろついていたり、傾斜が激しかったりと、絵に描いたような砂浜でないのが、むしろ私のひねくれ根性と相性が良かった。
海に着いてから私はとりあえず西へ、浜辺に沿って歩いてみた。場所によってはもはや山登りのように歩かざるを得ないところもあったり、すぐ脇の幹線道路を突っ走っていくバイクの排気音に少し悔しさを感じたりして、退屈はしなかった。
投擲。ふと手ごろな石を拾って海に投げてみる。特にこれといった感慨はない。もう一度。やはり何もない。筋肉痛になるのを恐れてそこで打ち止めにした。また歩き出す。
盛土のように砂が高くなっているところを過ぎると、上の方にある、「C」の形をしたオブジェが目に入った。近くまで行くと大体3mくらいの、中に人が二人入って、手足を広く伸ばせるくらいの大きさで、立派なものだった。そこを過ぎて右側にはレストランが並んでいて、テラスは満席だった。また少し行くと駐輪場があって、またもや私の悔しさを刺激した。
しかしそれでいい。次のための下見に来たと思えば、得るもののある散歩、旅行である。あそこの交差点を右に曲がって、ここでエンジンは切ろう。降りて、停めて、帰るときは少し厄介か。坂道を登って信号機。左に曲がって大通りに合流する。
下見を済ませて、私は元来た道を戻り始めた。先程の「C」のところで、私も一枚くらい写真を撮ろうかと突っ立っていると、男女二人組に声をかけられた。私は快く承諾し、二人の写真をまずは一枚、そしてマスクを外してもう一枚、撮ってあげた。三枚目を撮ろうとした時、それまでオブジェの前に立って軽くピースをしていた二人は、今度はCの中に入って、大きく手足を広げたポーズを取った。かたや私は一人で内心、勝手に満足しながら、その最後の一枚を撮ってあげた。
終始わざとらしい会話もなく、かといって無愛想でもないやりとりをして
、私はスマホを男性に返して、その場を後にした。結局自分用には一枚も写真は撮らなかったが、あの二人が後で見返して楽しくなるのならば、それ以上のことはないと素直に思った。
もと来た道を戻っていき、私は小さいコンクリートブロックが点々と縦に並んでいる、その列の先端のところに腰をかけた。そこはちょうど波打ち際と岸の真ん中あたりに位置していた。
靴と靴下を脱いでみる。しかし砂が足の裏につくのを嫌がって、脱いだ靴と靴下を下敷きにし、その上に足を置いた。遠くの方で少年たちが青いボールを投げ合って遊んでいる。すぐそばに鳶がやってきて、しかし目の前の俯き加減の男が何も食べ物を持っていないとみると、また遠くの方へ飛んでいった。沖を漁船がゆっくりと渡っていく。
私は今、海にいる。陽は暖かいが風が強く吹いている。歩いた分の脂汗はすぐに乾いて、あとはただ髪が潮風になびくのをそのままにしておくだけだった。
私は帰るタイミングを全く失ってしまった。ずっとここにいられる気はするものの、やはり明日も仕事がある。そしてとにかく風が強い。ここに来る前と後では結局心持ちに大きな変化もなかった。確かに海は穏やかだったし、そこにいる人たちみんなが各々の時間を自由に過ごしていた。
しかし何かが足りない。その何かを見つけるまでは、海の向こうから何かがやってくるまでは、私はこの場を離れてはいけないような気がするのだ。
受け身の姿勢、ありきたりな考え、便利な「何か」、「文学的」な感性、しかしそれで間違いはないのだ。結局人ひとりが生み出せる言葉には限界がある。見るものが、場所が変わっても最後には同じことを、以前誰かが発した言葉を反復するに至るのだった。
気づけば少年たちはいなくなり、鳶も見切りをつけて狩場を移したようだ。水平線を見つめる。船もなく、当然私のところへ海を渡ってやってくる「何か」もない。私はコンクリートブロックに根を張ったようにじっと座って、それでもその馬鹿馬鹿しい「何か」を待っていた。
ふと風に吹かれて、一本の枝、流木とも言えない木の枝が、私の足元に転がってきた。そのときにはもう靴も履いて、バッグも背負っていつでも発てる準備ができていたのだった。
枝を手に取り、空に透かしてみる。ちょうど新品の鉛筆ほどの太さと長さだ。試しに足元の砂に点と線を書いてみる。次は丸、四角、三角と単純な図形を書いてみる。今度は少し複雑な形、楕円、菱形、二等辺三角形と、そうしていくうちに段々私の手は止まらなくなり、気づけば砂に書いてあるのは、次のような文字列だった。
私は立ち上がり、枝をへし折り、海に投擲し、砂浜の文字列を足で蹴り飛ばした。家に帰ろう。今こそ歩き出す潮時である。
帰りの電車でぼんやり考えていた。もし今日の出来事を何か記録に残しておいたなら、おそらくそれなりのモノになっただろうな、と。結局写真は一枚も撮らなかったし、お土産も買い忘れてしまった。行きと帰りで、私に大きな変化はない。あるとすれば靴擦れと、足が少し熱を帯びているのと、流した汗の分身体が少し軽くなった程度のことだろう。
私は今日、海へ行った。それは明らかで確かなことなのだが、それを他の人に証し立てるための材料がない。また、もちろん今の自分ははっきりと覚えてはいるが、時間が経てば未来の自分はきっと今日のことを覚えてはいないだろう。海へ行った。その一点だけを覚えていて、しかしそれには決して短くない前後の文脈があったことなど、忘れてしまうだろう。
現に私はもう、砂浜に書いた文字列の内容を忘れてしまっていた。何か意味の薄い、強いて「詩的」であろうとする魂胆が丸見えの、わざとらしい文字列だったという印象だけが残って、細かい内容は思い出せなかった。
だから、もし今日の一部始終をより長い文章に残していたとしたら、例えば、であるが、おそらく舞台が海であるのに、海の顕著な特徴である、寄せては返すあの波の描写をろくにせず、音に敏感だ、と言いながらしかしその波の音も十分に記述しないような、自己矛盾に満ちた文章になっただろうと、何となく予想がつく。今日一度目測を的中させている私である、この予測も大体当たっているはずだ。きっとそうに違いない。
とにかく、明日からまた仕事である。新年度も始まって、入学だとか新生活だとかの世間の熱に、私も少し浮かされていたのかもしれない。ただ、たまには海や山に行って、ぼんやり景色を眺める時間があっても良いと思えたのは、今日の唯一の成果かもしれない。
私はまた、海に行くだろう。