東京国立近代美術館 2/23
白衣観音川辺に座っているようにも、大きな岩崖に出てきた巨人のようにも見える、春の家手前奥というのは絵の具の厚みによっても表されている、ように見える、おうな太陽の絵の具は色を混ぜ切っていないまま乗せているように見える、右手に太陽が宿る、麗子鬼を打つの図、絵本、娘を楽しませようという気持ち、強い人間であると思わせる、玲子16歳、髷の形だけが描かれて、その表情は見えない、「描かれる」ことの一方通行な感じを脱して、父が捉えることのできない存在に、自立した人間に麗子はなりつつあったのか、写実的で精密な5歳の像とは対照的だ、想い顔の陰影に緑色を使っている、椅子の緑が映っている、赤い扇、髷から首筋、背中を通って手に移動する息の長い曲線が見える、この人物自体抽象化すれば扇型になるのだろうか、自画像、背景の境目をどこに持ってくるか、首のところだったり、ただこの絵は耳の所、少女に対して大きな椅子と机、表情は見えない、何を書いているかもわからない、背景の蔦が少女の中で育っている、伸びている考えを表している、発生源の茂みと少女が重なる、春の池畔、池の周りに人間とその営みが、見えるが、その奥にだだっ広く続く緑一色の荒野、春とは思えない澱んだ空模様が、画面を一気に寂しくさせている、猫のいる風景、のっぺりして見える川面にも絵の具の線がうかがえるので、手前と奥の岸の線の傾きの違い、その傾きに漸進的に、近づいていく、または遠ざかっていく川面の線、横の流れが強い画面の中でしかと佇む猫は、向こう岸の黒い何かと対話しているのか、流民ユダヤ、骸骨のよう、眉間の皺、コタ、バル、鉄条網がある種小作切り線になって見やすい、人物の表情に注目がいくようになっている、目は誰も死んでいない、刀を持った人物が日本の侍の成れの果てのように見える、一つのさくらんぼ、さくらんぼの向きと右の縞々が横の動きを生み出しているが縦の分割線が重力を感じさせる、宇宙にぼんやり浮かんでいる惑星のようだ、左の黒い背景は大きな天体の影でその後ろから恒星の光が滲み出ている、アスパラガスの根の所、ういきょうの先端、ぶつ切りにされている、そこにあっただろう、あっておかしくないだろうという期待を取り上げる、日記1977年8月4日、ガラスか何かわからないが反映が徐々に細かさを失っていく、ガラス細工のディティールも花?の様子も、写っている像には無い、新聞(2)文字や図の配置、あえてそうしたのではなく必要だから生まれた二次的なもの、情報をわかりやすく伝えるという意識の副産物、アスファルト、雨に打たれて地面とその上に乗っかっているゴミが一体となる、主婦の1日、目で挟み込む、私の目と画面の目、見ること見られる事、一方的に見られる暴力性、岸田の麗子像の変遷を思い出したい、テレビは指定の物なのか、主婦はあまり振り返らない、主婦の一挙手一投足を監視するようになる、見ている私を意識せざるを得ない、あの目は私を見ている、町、内側と外側、内から外、外から内、夕暮れ、暗い写真、木綿地型絵染壁掛 織機、その絵が描かれているまさにその下地が織物である、界延曲地、平べったいトタン板がいわゆるあのギザギザのトタンのかたちになる、しかし元のトタンも全く平らなわけでは無い、不均一な凹凸から「均された」凹凸へ、干渉、1布と2絵の具と3木材、その三者がいて、右の黒いシミは1と2のダイレクトな干渉、その隣はその間に3木材が挟まったもの、そういう意味での干渉でもある?
ambient light - sakura枝に桜の花がつく、という関係が無くなってどちらも鑑賞されるものになっている感じ、、