12/7
今日も何かしらの文章を残していきたいと思います。気づけば12月も1週間が経とうとしていて、2020年も一緒に22年も残すところあと3週間位となってしまいました。思い返してみると何と言うてか、2022年だけを思い出すと言うよりは今、個人的には2020年から今までの2年間が3年間か3年間がひとまとまりのような印象があって、だから1020年2022年1022年が思い出すと言うことになったらおのずとその前の2年間も思い出してしまうような気がします。なんというか、新しい日常とかちょっと前まで言ってましたけど、今はもうそんなこと我慢しかなくなってしまいました。
まぁおそらくそれは純粋な日本語ではなくて、由来としておそらく外国語日本語に訳した、直訳した事柄から最後まで見られなかったのかもしれません。それで言えば持続可能な開発目標とか、まるっきり直訳というか、もしこれが英語のテストの問題だったら、バスとはいかないまでも多分三角位で済まされるんじゃないでしょうかね。よく狩野持続可能と言う茨城を取り出して考えてみると、例えば衣食住と3大欲求に関わる物事の場合は、結婚持続可能な気がしますね。どれだけ好き嫌いが多い人でも全く食べ物食べないということが好きだし、好きだし、無理だし、おしゃれに興味がない人でもやっぱり外に出る時は何かしてるの布切れを見にまとういるらしい、でもそれはそうしたくて本人がしているわけではなくて、そうせざるをえなくてやってることだから、それを厳密に分けて考えると、持続可能とは少し違うのかもしれません。
衣食住でも衣食住でも3大欲求でもない、これらに関わらない物事でもし持続しているものがあるとすれば、それはとても素晴らしいことだと思います。。損得勘定なしで、自分がやりたいと言う気持ちだけで続けているものというのは、言い換えれば趣味とか1時間とか言うことになるんでしょうけど、いちどそうなってくると、何事も何事を始める時でも、始める前にこれは持続可能かどうかを考えてしまって、で大体結論としては持続可能ではないと言うことになって、何事にも取り組みなくなってしまうと言うこともあるかもしれません。
続けると言うことを美化されがちだし、上の文章もかなり美化していますけど、実際のところやってる途中でおそらく意味がよくわからなくなっちゃう気がします。最初はみんな自分でやるけど、何ヶ月か経ったらなんか俺だけ取って中身が伴ってないように思えてきて、でもこの会議こそが持続可能と言う事から遠ざけてしまうものなのか、難しいところです。
とにかくやるしかないですね。他に好きなことがなければ、今のところはこういう感じでお茶をしていこうと思います。今日は疲れたので誤字脱字も修正しません。この中途半端な文章こそが私が現に口述筆記をしていると言うことも明かした形になると信じています。