5/26 東京都美術館 マティス展
フォービズム、純粋な色彩、二十歳スタートは遅い、
「現在」を描く、
右から歩いてきたような、そのまま左へ向かっていきそうな勢い
椅子と棚の上の瓶、瓶と顔、そして顔は本の中に吸い込まれている、いや、むしろ誰も目が合っていないのでは、見つめあっているのは女性と本だけ、6.瓶の中に色見本のようなものができる、背景に使われている色が瓶の中に宿っている、瓶だから当たり前だけど、ただ「白」は瓶の中にしかない?空に浮かぶ橙色の楕円の周りに青色を置いているのは何だろうか、左のはドアだろうか、今まさに開いた感、川の曲線と窓の対照、右側にも窓枠を描こうとした形跡はあるか?、窓と言われなければただの直線、10.空、山と大地、人間、全てに赤青黄色緑が分配されている、どこかに偏るということがない、ように見える、胸の下にある黒い塊はなんだろう、下に窄んでいく構図、目を描かないのがいやらしい、10を見た後では12は退屈に見える、海と山の境界が唯一直線か、空にある曲線は雲?13の方が雲の曲線から右側のアキレス腱伸ばしている人間の背中へ線が連続しているように見えるから好き、消し跡とかぼかしの線も悪くないかもしれない、アニメーションのように見える、比較的背中と腹は素直に掛けたのだろうか、右太もも、脚への執着が見える、21の左肩からの背景への渦巻きは13に見たあれと似ている、ただ方向があるとすればこっちは人間から空間へ、さっきは空間から人間へのように見えた、20.高村の女や手の捻りの動きがこの足の彫刻にも見てとれる、あそこまでわざとらしくはないものの、20と8がs17はH、18はL、19がoとかA.11はその全ての複合か、25、体の線が足に向かうにつれて直線的になっていく、背景はほとんど直線、人間から背景への連続の主題がここにもみえるか、外の道と部屋の中の水?、右下の水へ、飛び地、金魚鉢の光沢、でもやっぱり6と同じく金魚鉢が色見本のようになっている、気がする、これからこの色で背景を描きますよ、背景にはこの色が使われていますよ、その見本を中心に置いている、24と1、見つめ合っているのは画家とモデルだけ、肝心のパレットに色が乗っていない、絵の中の女性はわたしたちを見つめているのだろうか、それはないか、絵の中の女性は外を見ている、右側の窓の外、27背もたれから肘置きへ、座面へ、右の肘置きに多くの線が集中している、椅子の足もその歪みに吸い寄せられているよ絵に見える、集中の末路は地味である、下へまっすぐ伸びる、「顔と胸部」胸部はどこ?28.どちらかといえば右側に偏っている、右利きの宿命か、29に11が再登場する、乳房が果物へ、左腕が蔦へ
35〜38にかけて、ただ抽象的になっていくのではなく、個人的にはbackからfrontへ移行する、ように見える、完全にではないが、20とか8が二人の黒人女性の構図へ、
左上に右下を向く何かを置くのが好き?、楽譜はヴァイオリンのためのものではないだろう、「この期間は、保守化や休息どころか、これまで獲得したもの一切に対する問い直し」44番がそれを端的に表している、気がする、45強いていえば左の黒線がスカートの影に受け継がれている、しかし今までのようなわかりやすい受け取りはない、42フラクタル、二つの三角形、人物と扇、色見本の次は図形見本か、49背中じゃん、人間を描きたくてたまらない感じが出てる、48外の景色に興味がないのか、41ネクタイと人物の輪郭
二重になっている、51.視線が散乱する、窓も本も花瓶も女性もみんな違うところを見ている、背景に並ぶバツマークが人のどこかに現れていないだろうか、53腕や足の断面は円になる、切り落とされて果物になって机に散らばる、59中心を、鑑賞者の視線を避けようとしている、80もしいろみほんのようなものを見出そうとすれば、上中央の花瓶となんかその横の青いところの境目、65瓶の膨らみがそれぞれ違う
89.90.96.108.などの余白は何か、89は53.石膏像の成れの果て、103はなんか椅子に座っている人の成れの果て、123脚のパーツはひとつだけ、「アンフォラ」との類似を強調するためか、46と似ている、腕はこんなにも細分化しているのに、果物が図形見本になっている、これらの形を組み合わせれば中心の人物を形作ることができる、みたいな、65.マグノリア、二色使われている、ツボの膨らみが