単純な私
高校生時代、東大インド哲学出身の倫理の先生は
私たちに「単細胞」という口癖がありました。
先生から見れば高校生の私たちはまさに単細胞で
物を知らない存在だったような気もします。
先生の人格もあってか、嫌な言葉ではなかったし、
誰もが普通に受け入れていたように思います。
私も純粋に政治や事件を捉えていたと思いますし
若者の持つ正義感や熱心さ、自己中もありました。
単純に考えることは危険な要素もあるのですが、
今思うとその時の方が生きやすかったと思います。
もうもどれないので、これからは若者を応援する
立場で考えていけたらと単純に思っています。
「応為の格子ハウス」は人物表現に入りました。
シルエットになった人物ですが、レリーフのような
ある程度立体的になるようにしました。
原画の画像を拡大してハウスのサイズに合わせ
樹脂粘土で細部を想像しながら凹凸をつけます。
その内に、金のない町人が冷やかしている?とか
羽織を着て頭巾をかぶったのは武士かもなどと
覗き込む人たちに対し、妄想も広がりました。
そうする内に、手の位置などを若干をずらしたり
着物も気になって変化をつけるようになりました。
人が入ることで物語が生まれるのでしょうか。
これはハウスを作っていて初めての体験でした。
こんな単純なことで楽しくなるんですね。(笑)