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うつ闘病日記

休職して2ヶ月が経った。
うつ病記録。


1年前の4月から部署を異動した。4年積み上げた経験と居心地の良いポジションを手放して、文化の違うところへ飛び込んだ。何もかも新しい仕事、まだよく知らない同僚、社内外から向けられるいろんな視線、プレッシャー。異動して0から覚えた仕事は、5ヶ月後にさらに職種が変わってもう一度0からスタートになった。


どんなに足掻いても、必死でやっても、視界が明るくならなかった。どう手を付けて良いのか分からないタスクが降り積もっていくのに、暗闇を手探りで恐る恐る歩く毎日。上司は「分からないことは聞いてこないとダメだ」と言う。プレイングマネージャーである故に超多忙な上司に話しかけるのは苦手だった。聞きにいけない自分がダメなんだ、弱いからダメなんだ。震える脚にはやく行けと言い聞かせて、上司に相談していた。

上司は時々褒めてくれた。でもそれは私の自信にならなかった。数字を管理する資料が違っていると、上司は決まって下っ端の私を疑った。確かに私の数字が間違っていることが多かった、理解していなかったから。すみません、すぐ修正します。


最寄り駅から自宅までの帰り道、泣くことが増えた。あるときから会社を出ると涙が出て、泣きながら電車に乗ることが増えた。ある日の残業中、自席で涙が止まらなくなってトイレに駆け込んで泣いた。人生で初めて過呼吸になって手足が痺れて、床に座り込んでしばらく泣いた。その時もう女性社員は職場に残っていなくて、誰も来なかった。




なんだろう、もっといろいろ、辛かったことあったはずなのに出てこない。でも本当に全部自分のせいだと、思ってしまう。ついていけないのは私の力が足りないせい。周りに助けを求められない性格のせい。こうなったのもすべて、厳しい職種への挑戦を望んだ自分のせい。だから、誰が悪いとかあの人のせいでとかそんな文句は出てこなかった。いい人ぶっているのではなく、本当に。

自責思考はうつの特徴だと後々知ることになる。



明日から休暇に入っていいと言われたときから、全て手放したと思った。涙が止まらなかった。家でずっと泣いて、手足が重たくて動かせなかった。そのときの血液検査の結果はかなりの脱水状態だったらしい。泣きまくると血が濃くなるようだ。
泣いて、泣き疲れて寝て、目が覚めるとなにか食べなきゃと口に入れてベッドに戻る生活がしばらく続いた。ただひたすら体が重かった。




2ヶ月たった今、ベッドから出て家事をしたり、ときどきジムに行ったりができるようになってきた。ふとしたときに、不安が襲ってきて泣いたりする。応急処置的に、手をお湯で温めると落ち着く。

通院して薬を飲んではいるけど、他にできることって何なんだろう。休むって難しいな。

ストーリーを更新すると、古い友人たちがハートつけたりコメントくれたりした。友人たちは私の仕事のことなど全く知らない。私が仕事をしていようとしていまいと、人間として付き合ってくれてた人がたくさんいたことを忘れていた。

私は結局、会社という狭い世界で、より上の職種(そんなものないのに)、より良い給料に固執して、諦められなくて、必死だったんだ。かっこいい仕事にただ憧れて、やってみたかったのももちろん大いにあるけど。


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