浮かれていた
先週のわたしは
完全に浮かれていた。
はしゃいでいた。
ガラにもなく。
原因はわかっている。
小学一年生の孫から突然手紙が届いたのだ。
この日を境に
少し、情緒不安定だ。
昨年の11月に会いに行って、それっきり、声も聞いていないし、顔も見ていない。
保育園の卒園式のときは、数十秒の動画が送られてきた。
悲しい気持ちで、
貪るように見た。
算数のテストで100点を貰ったと、答案用紙の写真が息子からスマホに送られてきたのは春のことだった。
ママ→パパ(息子)経由で
写真が転送されてきた。
画像を拡大して、隅々まで食い入るように眺めた。
ちょっと難しい、名前の「ふ」の字も上手に書けている。
婆馬鹿の見本だった。
昨年11月に息子の車で、孫たちのママの実家を訪ねた。
皆で和やかに話す中で、窓の外を指差して、あそこの小学校に入学させますと既成事実のように伝えられた。
田んぼに囲まれた田園地帯。
離れの一戸建ては、都会の賃貸マンションより数倍広い。
犬小屋まであって、犬は既に孫に懐いていた。
おじいちゃんおばあちゃんは愛情深く善良な人で、孫と同年代のいとこたちと隣に住んでいる。
楽しく暮らしているから安心だ。
そう自分に言い聞かせる。
でも、本当にそれでいいの?
わたしが決めることじゃないけれど。
息子は都会でファミリータイプの賃貸マンションに住む。
一人暮らしには広すぎる。
二人の孫たちは、いくら広い家に住み、不自由なく暮らしていても、
両親が揃っていることに勝るしあわせはないのでは?と何度か問いかけてみたけれど、息子夫婦の決意は固い。
わたしもいろいろな場面で
見ざる、聞かざる、言わざるを決め込み、思い出すのも辛い不都合な記憶を封印してきた。
これが最善の道なんだと言い聞かせる。
「子供より親が大事」と
有名な小説家も言っている。
時々、お菓子や本、おもちゃ、服など送っている。
宛名は孫の名前で。
届いているのかな。
捨てられていてもいいや
と思って送っていたけれど、
孫の手紙には
おかしやほんをおくってくれてありがとう。〇〇〇(妹の名前)といっしょにほんをよんでいます。
と書いてあった。
最後の一行は
またあそぼうね。
この流行病が落ち着いたら
また会える希望が見えてきた。
同封の写真で、孫娘がかわいく成長していて一安心。
やはり女の子は可愛いほうが。