当たり前の基準
自分の当たり前が人の当たり前とは限らない。
あなたの当たり前と
わたしの当たり前は違う。
違っているのが当たり前。
人並みの暮らしがしたい。
人並みの基準も人によって違う。
そのことに気づくまで随分と時間がかかった。
当たり前、常識、人並み……
そんな言葉に囚われていた。
当たり前の線引きをして、
上か下かで一喜一憂。
その当たり前の基準は、何の根拠もない曖昧なものだったと気づく。
世間の常識を疑ってみる。
結婚したら楽しくて、
ひとりは寂しい。
結婚しても
離婚したら不幸せ。
いやいや、結婚=幸せとは限らないでしょう。
わざわざ不幸せになるために結婚する人はいないけれど。
結婚したからこそ、いろいろなことがわかる。
結婚=幸せではないと気づいたのなら、その経験は無駄にはならない。
どこの神様か知らないけれど、
神は越えられない試練は与えないといったとか。
結婚するのも試練。
別れるのも試練。
どっちにしろ、生きることは試練。
結婚したら、自分の時間が半分持っていかれる。
そんな考え方では、そもそも結婚には向いてない。
離婚して幸せになれる人もいる。
喧嘩別れしても、他人に戻った方が関係が良好になることもある。
別れても、子どもたちを育てるという共通の目的をもって、頑張っている人もいる。
両親が揃っているのが当たり前。
両親が揃っていてもグレる子はグレる。
離婚したぐらいで、ご愁傷様みたいな顔をするのだけはやめよう。
そもそもバツ1バツ2という勘定の仕方がネガティブ過ぎる。
こちらを読ませていただいて、なるほどと思いました。
勝手にご紹介しましたが、斉藤大河さんは結婚も離婚もされていないということです。