見出し画像

張り合い

生きていく上で、何かしらの張り合いは必要です。

仕事嫌だなー、と思っても、仕事が終われば、それなりの達成感があります。
人生には刺激が必要だと思います。

先日久しぶりに友人と電話でおしゃべりして、世の中にはとんでもない人がいるものだなと認識を新たにしました。

お互い、身近な知人、身内の中にもヤバい人(?)がいます。

身内の場合は簡単に逃げることはできません。
他人を変えることが出来ないのなら、自分を変えるしかないのです。
自分を変えるというのは考え方を変えるということです。

「ははは、こんな人が世の中にいるんだね」

「人間観察の場と割り切るしかないよね」 

友人とはいつもこんな話をしています。
笑い話にすると少しは気が晴れます。

周りが善人ばかり
イエスマンばかりでは
逆に退屈です。

程度問題ですが、何かしらの刺激は必要です。

入院中の母は、今週早々に退院という話が進んでいたのですが、ほとんど食べようとせず、生きようという意欲が感じられず、宥めたりすかしたり、叱咤激励したり、好物の差し入れをしたり、あの手この手を試みていますが、生きる張り合いを失ってしまった人には、もはや暖簾に腕押し…という感じです。

元の施設に戻って健康が維持できるのか、それでも退院して、このまま老衰していくのを見守るのか、これからの方針を今日病院で話し合うことになりました。

好物の「お寿司」というワードと、曾孫の写真にだけ反応し、笑顔が出ます。
当面この二つで生きる意欲を引き出しながら、なんとかモチベーションを上げられるよう、あの手この手を繰り出しつつ、模索していくことになりそうです。