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持時間

幸田文の随筆を読んでいたら、
「もう持時間は少ない」
という文章があった。

 この頃、とかく思うことを押し通そうとして、我を張ることが多くなった。もう持時間は少ない、と思いはじめているものだから、今日の機会をせっかちに追う。またその折に、といっていたこれ迄のゆとりはなくなってしまった。

幸田文『木』(新潮社)「ひのき」より引用


ある程度の年齢になれば「持時間」を意識せざるを得ない。
60代のわたしは、まだそこまでの切羽詰まった感じはない。

人間は生まれたその日からカウントダウンが始まる。
寿命がそのまま、健康寿命と一致するとは限らない。
寝たきりのベッドの上で、最期を迎える場合もある。

あれもしたい、これもしたいというタイプではない。
そこまでの欲も気力もない。

あれこれやって、今更面倒なことに巻き込まれたくないという消極的な気持ちもある。

余命宣告でもされれば、やり残したことをリストアップして、一つひとつ潰していくのかもしれない。

あそこに行ってみたいとか。
あれを食べてみたいとか。

ならば、
歩けるうちに。
食べられるうちに。

わたしの父は、消化器系の癌だったので、最終的に口から食べられなくなって、鎖骨のところに穴を開けて、栄養補給のためのCVポートを設置した。
残酷な気がして、「最後に何が食べたい?」と訊けなかった。

年末年始の一か月は、父母が暮らすケアホームの部屋に、ベッドを置いてもらって、3人で過ごした。
コロナ最盛期だったが、検査をした上での特別の配慮だった。

元旦は、自分でお雑煮らしいものを作りたくて、ケアホームのキッチンでお餅を焼いた。
お椀に最中もなかのお吸い物とお餅を入れて、即席雑煮にして母とふたりで食べた。

父は同室で静かに寝ていた。
高齢を理由に、自分の意志で手術を拒否したので、口から食べられなくなっても一言も文句はいわなかった。
何でも美味しいと喜んで食べる人だった。

もう長くはないと知りつつ、わたしは一旦、横浜の自宅に戻った。

日曜日の朝だった。
近くに住む孫がひとりで泊まりに来ていた。
昼食の親子丼の仕度をしていたら、電話が掛かってきた。
父が亡くなったという知らせだった。
3年前の2月のことだった。


映画『PERFECT DAYS』の中で、主人公が幸田文の『木』を読むシーンがあった。

図書館でたまたま見つけたので、借りてきた。
吟味された言葉、研ぎ澄まされた文章に「さすがだな」と感心した。
没後に出版された随筆集と知った。


noteに感想を書くつもりが、人生の「持時間」という言葉に反応して、父の最期の話になってしまった。