思うを伝える誓いのようなもの
言うは易く行うは難しという言われるけれど、本当にそれだ。
私は言葉にして宣言したことでも三日坊主で続かないことの方が多く、最近は周囲に口だけの人がいても、人間そんなもんかと解釈している。
そんな言うは易く行うは難しの言葉を噛み締めているのだが、私の場合、言うも難しなのである。
そうした性質なのだろうか、大勢の前では思っている言葉を声に出せない、なぜか恥ずかしいという気持ちが出てしまい上手く話せないのである。そして私の場合は、思うは易く言うも行うも難しなのである。思うことは、割りとできるのにな。
そう思うのは、自分のことなど誰もほとんど気にしていないとういうことを頭の中ではわかっているのだが、話の話題に踏み込めない自分に気付くときだ。
昨日はじめていったバーでもそうだった。友人2人と私の3人で行ったのだが、私1人がノリに圧倒されたというか、自分の楽しみたいや歌いたいという気持ちを飲み込んでしまって、もっと楽しめるはずだったのに楽しみきれなかった(それでも充分に楽しんだが)。
しかし、昨日気付いたこともある。バーのイケイケなノリに圧倒されたと思っていた自分が、本当はノリに圧倒されている自分を演じているのではないかということに。いや、きっとそうなのだろう。楽しもうと思えば、もっと楽しめたしハチャメチャなこともできたはずだ。自分でブレーキを踏んでいたのだ。
そういえば、友人も歌を歌うかと助け舟を出してくれたっけ。そこで1曲でも入れていれば何かは変わっていたのに何歌おっかなで濁してしまった。自作自演のノリの悪さに自己嫌悪に陥りそうだ。
きっと楽しめる自分は近くにいたはずなのに、自ら遠ざけてしまうという皮肉。環境や誰かのせいにしがちだけれど、自分の取っている行動を客観的に見つめる必要があるようだ。それと覚悟のなさ。私は臆病者だと自分で自分を刷り込ませて覚悟することから逃げてきた。逃げてきたこともそれはそれで私という人間の性質なのだろうけれど、自分の弱さを人と比べてしまうから治したいと思っている。
そうは書いたが、思う易く言うも行うも難い自分にはハードルは高そうだ。あと、noteに書くは易いです。