この魂にゆく年くる年
もう今年も24時間を切った。
あんなに長かった残暑が嘘のように冬の寒さだ。今は寒さに対しての対策を練ろうとしている。しかし、その寒さも例年ほどの冷え込みではないようだ。このままで終わる冬ではないだろうが、寒くない冬はありがたい。そんなこんな考えているうちに、 また寒い寒いと言っているうちに、花が芽吹く春がやってきて、うっとうしい暑さ舞い込む夏になっていくのだろう。そんな予感は少なからずあるが、今は寒さがこんなもんで冬を終えてくれと願うばかりだ。
もう2019円の12月31日だ。
激動といえば毎年が激動なのだけれども、その波は今年はひとしお強かった気がする。私の中で。
なんといっても初めて彼女ができたこと、これが一番大きい。24年で初めての出来事で2019年、右往左往して落ちつかない印象が残っているのはそのせいだろう。
彼女ができたからといって劇的に何かが変わった訳ではないけれど、気持ちの部分で何もない自分に何かが与えられたから生きている意味ができたような気になった。生きている意味は大袈裟だが、明らかに趣味や思考にまで影響してくる他者の存在ができたことが嬉しかった。それは一緒に出掛けたり、一緒に部屋でゴロゴロしたりすることで自分だけでは辿り着けない彼女の世界を知り、自分の世界に色が付け足されたことだ。他者との交わりは億劫であまり得意でないのだけれど、自分一人で行き着けるちっぽけな世界よりも広い世界があることを教えてくれる。これだから人と人との交わりは止められないし、もっと心開ける自分でいたいとも思う。そう思わせてくれた彼女には感謝だ。
そして、もう1つの私的重大ニュースは、仕事を辞めることだ。
保育園から大学まで普通と言われる(普通と言われるが大学まで通わせてくれることは普通ではない。それも奨学金なしで。両親のありがたみを感じまくっている)レールの上を走り、1つの会社に就職して稼いでいく自分がいると信じていたが、そうはなれなかった。体も心も正直にその一般的なレールを拒んだ。自業自得といえばそれまでだけれど、仕事選びも人生の選択も失敗せず用意周到に何でもこなすことなんてできるのだろうか、いやできない。失敗することが人間らしさだ。グランメゾンの尾花も元イチローさんも全ての大物から何者でもないあなたや私は失敗を重ねて今を生きている。だから、仕事を辞めることの1つや2つで気に留める必要はない。必要はないは嘘だ、ごめん。仕事を辞めるという失敗をしてしまったかもしれないけれど、次の職場が天職の場になるかもしれない。そう考えれば仕事を辞めるというネガティブなようなことでもポジティブな要素になり得る。だから、失敗なんか気にしすぎる必要はないのだ。明日の生死すらわからない私たちが見えない未来に取り越し苦労するのは精神衛生上よろしくないし、心配事に潰される人生はつまらないもの。小心者の私、これからも失敗するのだから死なない程度に悩み、もがき、時々ある幸福な瞬間のために生きていようよ。それが生きていくことだと今の時点では思うよ。
仕事を辞めた後、後悔することはなくても仕事が失くなる恐怖に苛まれるかもしれないが、そんな時でも失敗を恐れずに何事にも挑戦できる自分ではいよう。邪魔者、助けをくれるもの、大切な人たちと織り成す我が人生がどんな展開を迎えるか、考えると少しわくわくしないかい。私はわくわくしてるよ。内心、心臓バクバクでびびりまくっているけれど、それが私らしさかな。
今日で2019年が終わる。そんな時には2019年を振り返ってやらなければと思って書いた文章だ。2019年さんは私よりも多くの人に感動や悲しみを届けてきたけれど、何となく上から目線で言わせてもらうよ。
2019年、ありがとう。決して悪い年じゃなかったよ。むしろ、いい年だったかな。