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人間らしさを存分に。

人間らしさとはなんだろう。ドラマ「ニッポンノワール」の登場人物、柴門の言葉が頭をよぎる。

人間らしさとは完璧を目指して突き進むことか、失敗もしない精密機械のような働きぶりのことか、金のために嘘をついて人を騙すことか。いくらでも人間らしさの候補は浮かび上がるがどれも正解ではない気がする。それは、どれもが正解であるからに他ならないのかもしれない。

嫉妬、妬み、憧れ、弱さ、狡猾さ、卑劣さ。そのどれもが人間らしさだ。一つの正解を求めるのは野暮なことで、その野暮な考えでさえも人間らしさだ。そうだ、人間らしさなど無数に存在している。星の数ほどとでも言っていいのか。星っていくつあるんだろう?

近頃、真面目に自分の理想に生きようと心の中で誓っていたが、そんな誓いも脆いもので簡単に崩れた。けど、崩れてもいいよね。生きることもままならない姿も人間らしさだよね。

失敗を糧にして生きようとできる心意気があるのなら、何度でも立ち上がれる。しかし、その気概が失われつつある今、自分を守ってやらなくちゃいけないのではないか。真っ直ぐに強くあれない弱さを人間らしさと思えていなかった昔の僕。弱さを持ちながらももがいて、綺麗とは決していえない生き方をしているけれど、それも人間らしさとわかりつつある僕の方がいいと思ってるよ。かっこよくもなく、生きていることに必死のぼんくらだけれど、1人で威勢よく生きているよりも幸せを感じているよ。それは1人ではないからという感覚があるからなのかな。正しくもあれないけれど、こんな僕を支えてくれる人がいるだけで生きていられる。

甘えているのかな、でもそれでいい。嫌なことから逃げ出してもいいよね。だって、生きていることが嫌になりそうだから、少しは休ませくれよ。

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